三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

対三重県訴状 「結論」

2011年05月30日 | 紀州鉱山
 1万8千字あまりの三重県を被告とする訴状の「(三) 結論」の全文は、つぎのとおりです。

■結論 「追悼碑建立の土地」には、二つの公共性がある
   2010年3月28日に、紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑が除幕された。
  「朝鮮の故郷から遠く引き離され、紀州鉱山で働かされ、亡くなった人たち。父母とともに来て亡くなった子どもたち。わたしたちは、なぜ、みなさんがここで、命を失わなければならなかったかを明らかにし、その歴史的責任を追究していきます」と記された追悼碑の前には、犠牲者35人の名前を記した35個の石が置かれていた(甲第6号証の1)。
   紀州鉱山で亡くなった朝鮮人を追悼する碑を建立したのは、朝鮮人と日本人である。
   本件原告も朝鮮人と日本人である。
   朝鮮の故郷から強制連行され、紀州鉱山で命を失った朝鮮人を追悼する意味は、朝鮮人と日本人では同じではない。しかし、朝鮮人も日本人も、共に、「なぜ、みなさんがここで、命を失わなければならなかったかを明らかにし、その歴史的責任を追究していきます」と犠牲者に約束している。
   本件土地の公共性は、朝鮮人と日本人の歴史的諸関係にかかわっている。韓国江原道議会議員一同が、「追慕碑の敷地にたいして、“公共性がない”と言う理由で課税したという話に接しました。これは、非常に不当な処分であり、残念に思います」と述べているのもそのためである。

  1300人以上の朝鮮人が紀州鉱山に連行され、劣悪な生活環境の下で、過酷な労働を強いられた。石原産業の元職員の証言によれば、「彼らは銃や日本刀を持った軍人に監視されていた」のである。その歴史的事実を後世に語り伝え、その歴史的責任を追究するためのひとつの基点として、「鉱山資料館」の斜め前に当たるこの地に、本件「強制連行された朝鮮人の追悼碑」は公共性を帯びて建立されたものである。三重県知事がこの追悼碑建立について「何らの義務も責任もない」として宅地並みに課税して良いはずはないのである。
  本件追悼碑は、熊野市の紀州鉱山における真実の歴史を刻み、その責任を問い続けるモニュメントとして今後も末永くここに在り続けるであろう。本件追悼碑のある空間には、その歴史的意義において金銭では計りえない価値がある。

  紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑の除幕集会には、100人を超える方がたが参加し、地元の方々はもとより、日本各地から、韓国から、沢山の老若男女が集い、新聞を見て参加した人も複数あったのである。
  まさに不特定かつ多数の多彩な参列者に囲まれ、70年の間忘れられて来た強制連行の朝鮮人犠牲者へのはじめての追悼式が本件土地で行われたのである。「墓地」が訪れる人を拒まない、不特定多数の人々に開かれた空間としての公共性を持つのと同様、本件「紀州鉱山で亡くなった朝鮮人の追悼碑建立の地」もまた訪れる人を拒まない、不特定多数の人々に開かれた公共性ある空間であることを証明するような集会であった。
  繰り返すが、熊野市が文化財指定するほどに公共性を認めて管理している「英国人墓地」は、そこに英国人捕虜の遺骨は存在しないのであるから、実質は「英国人捕虜の追悼碑の土地」であり、「朝鮮人の追悼碑建立の地」と「追悼の場」であることにおいては異なるところがないのである。どちらも、「戦時下の紀州鉱山で何があったか」その歴史的事実を後世に伝えるモニュメントとしての碑のある場である。
  異なるのは、追悼される対象と、その対象がそれぞれに問う「歴史的責任」である。「英国人墓地」が問うのは、日本政府と日本軍が国際法(ジュネーヴ条約32条ほか)を無視して、俘虜を危険な労働に使役し、1年の内に16名を死に至らしめた事実であり、本件「強制連行された朝鮮人の追悼碑」が問い続けるのは、日本国と日本軍と日本企業と地方行政が植民地朝鮮の人々を強制的に連行し、過酷な鉱山労働に就かせ、その本名を名乗らせないなど人権を踏みにじり、35名を死に至らしめた事実である。それゆえ、本件追悼の場には、本名を記した35個の石が置かれねばならなかったのである(甲第4号証の2)。

   他県・他市において、「強制連行の犠牲者の追悼碑」等に自治体が公有の土地を提供している例があるのは、こうした歴史の真実を刻み、その責任を忘れさせないモニュメントである追悼碑の建立等に公共性を認めているからである。民間有志の想いが実って建立に至った場合においても、それぞれの自治体は、強制連行・強制労働という過去の歴史について、反省を迫られて協力したのであり、議会の承認を得て住民の税金を用いて「納骨堂」の建設や「慰霊祭」等に補助金を支出することができるのは、歴史の真実を刻み、その責任を問い続けるモニュメントとしての存在意義を多くの県民・市民が認めているからである。そこには地域の住民と行政がともに承認する公共性が存在するからである。

  本件紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の追悼碑建立の地も他県・他市の追悼碑の地も、「英国人墓地」という名の「英国人捕虜の追悼碑の地」も、同様に二つの意味で公共性がある。
  既に述べて来たことを繰り返すが、その一つは、「不特定多数の人々に開かれた空間」としての公共性であり、今一つは「歴史の真実を刻み、その責任を問い続けるモニュメント」としての公共性である。
  三重県知事は、かつて、紀州鉱山を含む三重県内の鉱山などに朝鮮人を強制連行し強制労働させることに加担した。被告三重県知事が、その行政責任をとろうとしないで、被告処分庁の裁量権の逸脱・濫用や不公平な処分を黙認し、「追悼碑建立の土地」に不動産取得税を課すことは、被告処分庁の手続き的違法に加えて一層赦し難い不正義である。それは未来に向けて「歴史の真実を語り継ぐこと」を妨害することであり、歴史の隠蔽・改竄を黙認する地方行政の権力の濫用を意味する。
  本件「追悼碑建立の土地」は、地域の特殊事情とその用途における特異性から、通常の宅地とは比べることのできない用途に属する事案である。
  歴史の真実を刻み、その責任を未来に語り継ぐ存在として在り続ける本件「追悼碑建立の土地」に、形式的な所有者の名において通常の住宅としての評価に基づく不動産取得税や固定資産税を賦課することは相当ではなく、被告三重県知事の「裁決」は、公共性・公平性の観点からみて、極めて不当な判断で、不公正な処分であったと言わざるを得ない。

  よって、原告らは、公正・妥当な司法の判断によって、先ず、本件「紀州鉱山に強制連行された朝鮮人の追悼碑建立の土地」の取得に対する「不動産取得税賦課処分」を取り消し、原告が求めた不服審査請求を棄却とした被告三重県知事の「裁決」を取り消し、本件土地取得には免税が相当であることを確認し、被告処分庁が「差押え」によって原告から強制徴収した金額を返還するよう、判決されることを求めて、本件裁判を提起するものである。
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