明治22年、町村制実施に伴い、地図のように野村(野村新村と野村は、明治初年に合併し野村となる)・宗佐(そうさ)・下村・船町・上西条・中西条が合併して「八幡村」が誕生した。
史料がないため、詳しくは分からないが、この地区にある「厄神・八幡神社」から、八幡を「やはた」と読ませ、村名にしたようである。
今日から、加古川市の北東部に位置する「八幡町探訪」に出かけたいが、詳しいことは知らない。
下記のメールに、お教え願えたらありがたい。
幸い、私の手元に、「ふるさと・やはた」と言う冊子がある。
下村・宗佐・中西条の高齢者の力作である。
明治・大正・昭和の八幡町の歴史は、この冊子を紹介させていただきたいと考えている。
冊子の「あとがき」に、「・・・編集者として20年・30年先には、おじいちゃん・おばあちゃんたちが書き残した貴重な財産になるようなものを作りたい・・・」と書かれている。
この冊子の発行は、昭和59年3月であるから、発行から23年がたつ。
「あとがき」にある、まさに「20年・30年先」になった。
貴重な冊子である。冊子の存在を知る人も少ないであろう。
八幡町の古いところは、『加古川市史』などを参考にして、八幡町を再現したい。
もっとも、他の町の紹介と同様、かなりの独断と偏りを持った記述になると思うが、お付き合い願いたい。
(Email) qq7z6tn9@mist.ocn.ne.jp 宛名は「ひろかず」です。
*なお、10日間ブログを休んだが、チベットのラサに行った。ラサについても、別の機会に紹介したい。
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