ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川町探訪:旧加古川大橋(大正2年)

2007-03-09 09:15:58 |  ・加古川市加古川町

_377     加古川の大橋(国道2号線)のすぐ北の川面に転々と橋げたの土台の部分(写真右)が続く。

    今日は、この橋げたの土台の話をしたい。

  加古川は、古代から流路を何回も変えた暴れ川だった。

  そのため技術的な問題もあったが、江戸時代は、何よりも姫路城の防衛のため加古川には橋が架けられなかった。

  明治以後、幾度となく橋が架設されたが、流失している。この経過を『加古川市誌(第一巻)』にみたい。

 明治7年  粗造の木橋を架設  

     明治12年5月11日流失(再建されるが14年再び流失)

 明治16年8月31日  新しく架設

     明治25年7月24日流失

 明治27年3月31日  新しく架設

     明治29年以降毎年の洪水のため破損がひどくなる

 大正2年6月 本格的な鉄の新橋架設

 大正13年8月15日、現在のもとになる加古川大橋完成

Ffaff4f5   大正2年、毎年のように発生する洪水のため兵庫県は、やっと本格的な鉄の橋を建設した。それまでは木の橋であった。

  写真(下)は、大正2年完成の橋であり、写真(上)は、その時の橋げたの土台部分の跡である。

  個人的な話で申し訳ないが、中学生の頃、この橋げたの土台あたりが、私の水泳場所だった。

  もっぱら、セルビン(セルロイドの大きめの魚を取る道具。焼きぬか・さなぎ粉を入れるとよく魚が入った)を仕掛けた。川底の深いところも良く覚えている。

  40年以上も昔の話になった・・・

*写真(下)は『写真集・加古川』(玉岡松一郎編)より

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1 コメント

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加古川橋の歴史 (お節介じじい)
2020-05-16 09:38:23
2号線の4車線化に伴う加古川橋の架け替えで、その歴史を調べているうちにこのブログに行き着きました。
先日の”観濤処”に続き、またまたお世話になりました。
ありがとうございました。
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