加古川の大橋(国道2号線)のすぐ北の川面に転々と橋げたの土台の部分(写真右)が続く。
今日は、この橋げたの土台の話をしたい。
加古川は、古代から流路を何回も変えた暴れ川だった。
そのため技術的な問題もあったが、江戸時代は、何よりも姫路城の防衛のため加古川には橋が架けられなかった。
明治以後、幾度となく橋が架設されたが、流失している。この経過を『加古川市誌(第一巻)』にみたい。
明治7年 粗造の木橋を架設
明治12年5月11日流失(再建されるが14年再び流失)
明治16年8月31日 新しく架設
明治25年7月24日流失
明治27年3月31日 新しく架設
明治29年以降毎年の洪水のため破損がひどくなる
大正2年6月 本格的な鉄の新橋架設
大正13年8月15日、現在のもとになる加古川大橋完成
大正2年、毎年のように発生する洪水のため兵庫県は、やっと本格的な鉄の橋を建設した。それまでは木の橋であった。
写真(下)は、大正2年完成の橋であり、写真(上)は、その時の橋げたの土台部分の跡である。
個人的な話で申し訳ないが、中学生の頃、この橋げたの土台あたりが、私の水泳場所だった。
もっぱら、セルビン(セルロイドの大きめの魚を取る道具。焼きぬか・さなぎ粉を入れるとよく魚が入った)を仕掛けた。川底の深いところも良く覚えている。
40年以上も昔の話になった・・・
*写真(下)は『写真集・加古川』(玉岡松一郎編)より
先日の”観濤処”に続き、またまたお世話になりました。
ありがとうございました。