樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

緑茶発祥の地

2008年03月26日 | 木と飲食
みなさんが普段飲まれるお茶は、黄緑色か黄色でしょう。なのに、なぜブラウン系の色を「茶色」と言うのか、疑問になったことありませんか?
お茶にもいろいろあって、昔の庶民は粗末な茶葉を煮出して飲んでいました(今の番茶よりもっと濃い色だったようです)。その色が「茶色」。その後、ある人が製法を改良して庶民でもおいしく飲める黄緑色のお茶をつくったので、私たちが飲むお茶の色と「茶色」がズレたのです。

             

その黄緑色のお茶をつくったのは、永谷宗円という人物。宇治市の隣に宇治田原町という茶所がありますが、ここで約300年前に「青製煎茶」というお茶を開発しました。現在、宇治田原町は「日本緑茶発祥の地」として町興ししています。
昨年、永谷宗円の生家が復元されたと聞いて、先日ちょっと覗きに行ってきました。かやぶき屋根の古民家の中に囲炉裏が設けてあり、横には焙炉(ほいろ…茶葉を手もみしながら乾燥させる台)が置いてあります。

       
              (復元された永谷宗円の生家)

宗円がつくったお茶は保守的な京都では認められなかったので、販路を江戸に求めました。そのお茶を最初に買ったのが日本橋の茶商・山本屋。「上から読んでも山本山、下から読んでも山本山」で知られる現在の山本山です。宗円のお茶が大ヒットして急成長したようです。
ちなみに、お茶漬けの素で有名な永谷園も同じ家系で、生家の復元や村の神社の修復に多額の寄付をしています。お茶漬けの素を発明したのも、やはりお茶がらみだったようです。

       
          (保存されている樹齢600年のお茶の幹)

この生家の前庭には、大きなお茶の樹があったそうです。幹の太さ90cm、高さ3mもの大木で、茶葉が26kgも採れたと記録されています。明治5年に枯れましたが、上部の幹を伐ったものが保存展示してありました。現在は茶摘みしやすいように樹は低いままですが、昔はそんな大きなお茶の樹もあったんですね。
コメント (4)
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