樹樹日記

じゅじゅにっき。樹木と野鳥に関する面白い話をご紹介します。

30数年ぶりの『武蔵野』

2007年01月12日 | 木と作家
私は大学で日本の近代文学を専攻し、卒論では国木田独歩というマイナーな作家を取り上げました。
日本の近代文学を選んだのは、外国語や日本の古語を勉強するのが面倒だから。国木田独歩を選んだのは、著作数や研究書が少なくて楽そうだったから。若い頃から、楽な方へ楽な方へという安易な消去法人生を歩んでおります。
卒業後は読んでいませんが、樹の本に時々この懐かしい名前が出てきます。『武蔵野』という代表作で明治時代の東京の森や樹を描いているからです。
先日、30数年ぶりに読み返してみました。『武蔵野』は小説ではなく、H.D.ソローの『森の生活』みたいなエッセイなので、自然に興味のない人(学生時代の私がそうでした)には面白くない作品です。
「楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨がささやく。木枯らしが叫ぶ。一陣の風が小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞って、小鳥の群れの如く遠く飛び去る。(略)鳥の羽音、さえずる声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。草むらの陰、林の奥にすだく虫の音・・・」。
森を歩くことが好きな人にはこの感じが伝わるでしょう。学生時代の私はこういう描写をサラ~っと流していましたが、今読むと「そう!そう!」と感情移入します。

      
      (武蔵野ではないですが、ミズナラやトチノキのある落葉樹林)

別のところでこんなことも書いています。「元来日本人はこれまで楢の類の落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえば松林のみが日本の文学美術の上にも認められていて、歌にも楢林の奥で時雨を聞くというようなことは見当たらない」。
ある樹木研究家は、日本人が落葉樹を愛でるようになったのは近代以降のことで、それを促したのは国木田独歩をはじめ明治時代の文化人だったと言います。西欧文化の影響を受けた彼らが、文学や美術を通じて落葉樹の良さを日本人に教えたそうです。
そんなこと卒論にはひと言も書かなかったな~。
コメント (6)
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