ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

ぬのべじゃないよ…布部ダム

2024-09-30 07:00:29 | 島根(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は島根県安来市広瀬町布部(やすぎし ひろせちょう ふべ)にある斐伊川(ひいがわ)水系飯梨川(いいなしがわ)の布部ダムを目指します。アクセスは国道9号から側道を下りて国道432号を八雲(やくも)方面へひたすら進んで行くと到着します。

【飯梨川の由来】(参考
733年に完成した『出雲国風土記』によると、飯梨という地名はもともとは「飯成」であり、大国魂命(おおくにたまのみこと)がそこで食事をしたことに由来するそうな。その後、726年になって飯成は飯梨と改められたという。

【安来/布部の由来】(参考)(参考
市名の安来は『出雲国風土記』によると、その昔、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこの地を訪れた際、「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」と言ったことから「安来」になったという。また、布部はかつてこの地に布を生産する職業集団がおり、それを朝廷に献上していたことに由来するようです。

そんなこんなで、まずはダム下へ行って「御尊顔」を仰ぎます。

続いて、国道432号に戻り、ダム横へ向かいます。おお、なかなか大きなダムです。

近くにある「布部ダムのあらまし」。それと、上のリンク先の説明によれば、当該ダムは洪水調節、発電、都市用水の確保を目的とした多目的ダムで、型式は重力式コンクリートダム。高さは55.9m、長さは190.0m。昭和39年4月、飯梨川総合開発事業として飯梨川と東比田川の合流地点で築造が始まり、昭和43年(1968年)に完成したものだそうです。

実際の竣工は1968年3月。

左岸のダム横には「島根県布部ダム管理所」があります。

左岸から見たダム上の様子。曲線を描いているように見えますが、アーチ式ではなく左岸側が少しカーブしているだけです。

ダム中央のオリフィスゲートの建物の壁面にはダム完成50周年を記念して島根県立情報科学高校美術部の生徒が描いた絵に安来市立布部小学校全児童(24名)の手形を押したものが飾られています。


ダム上、中央から見たダム湖(白椿湖:しろつばきこ)の様子。

ダム下を覗き込みます。

そして、下流側の遠景。

右岸側の白椿湖の壁面には制限水位と常時満水位の表示があります。

対岸(右岸)に来ました。振り返るとこんな感じ。

右岸、下流側から見たダムの様子。


前回の山佐ダムでも書いたように、布部ダムと山佐ダムは松江県土整備事務所広瀬事業所が管理しており、山佐ダムのある山佐川は布部ダムから流れ出た飯梨川に合流して中海へ流入します。その中海から境水道を経て日本海に至るのですが、境水道までは斐伊川なので水系としては斐伊川水系になるんですね。
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