ライターの脳みそ

最近のマイブームはダム巡りと橋のユニークな親柱探し。ダムは目的地に過ぎず、ドライヴしたいだけ…。

51の尊命と引き換えに…鳥取池

2022-08-20 06:53:24 | 大阪(ダム/堰堤)
どーも、ワシです。今回は大阪府阪南市桑畑(はんなんし くわばた)にある男里川(おのさとがわ)水系の鳥取池(とっとりいけ)を訪れます。アクセスは国道26号から株式会社センエイエンジニアリングを目指し、さらにその道を進んで行くと到着します。

【鳥取池の由来】
池の名前は現在の阪南市一帯がその昔は和泉国日根郡鳥取郷(いずみのくに ひねぐん とっとりごう)と呼ばれていたことに由来するもので、鳥取郷という地名は平安中期の承平(じょうへい)年間(931-938)に学者で、三十六歌仙の一人である源順(みなもとのしたごう:911-983)が編纂した『倭名類聚抄』に初めて登場するそうな。(参考

そんなわけで、鳥取池の右岸に到着しました。しかしダム上は自動車通行禁止なのでクルマは手前の駐車スペースに停めて歩いて行きます。



ダム横には「紀泉高原国有林案内マップ」。



そこからダム上を見ると、こんな感じ。



ダム上、中央には「鳥取池管理塔」。ここは阪南市が管理しているんですね。





ダム上、中央から見た貯水側の様子。



ダムの真下を見ると…。



そして下流側の遠景です。



対岸(左岸)に来ました。振り返ると、こんな感じ。



帰途につこうとクルマを停めたところまで戻ると、山側に何やら石碑のようなものが…。



「水難者慰霊之碑」と刻まれています。



その裏側には次のような文言が刻まれています。転記すると、

「鳥取池は大東亜戦争中物資が窮乏の秋の建設にして昭和27年7月11日当地を襲える未曾有の豪雨に脆くも決潰(けっかい)し多数の田畑家屋を流出し桑畑字民51名の遭難者を出す凄惨言語に絶し慟哭悲愁の声未だ耳底を去らず嗚呼哀(し)い哉。爾来挙村一体鋭意災害対策を講じ孜々(しし)復旧に邁進する五星霜幸に政府並に大阪府の援助を得て鉄筋の堰堤を築造す人為の最善を盡し以って災害の絶無を期す近代式池塘近郊其比を見ず茲年鳥取池の再築に当り謹みて遭難諸賢の芳名を録し恭しく在天の尊霊を弔す希くば永久に鳥取池を護持せられんことを。
  巍々たる堰堤 世を益し民を利す
  山は高く水は清。千古霊を慰めん
昭和33年3月上浣(上旬)」

補足説明すると、鳥取池は灌漑用のダムとして男里川上流の井関川を堰き止めて昭和19年(1944年)に着工し、昭和23年(1948年)に完成します。ところが昭和27年(1952年)7月10日、朝から降り続いた雨は昼から豪雨となり、各地の河川が氾濫。翌11日になった頃、ついに鳥取池が決壊。下流の桑畑地区では小学生6名を含む51名が犠牲となりました。鳥取池はその後昭和29年(1954年)から復旧工事に着手し、昭和33年(1958年)に完成しています。(参考

「水難者慰霊之碑」の横には犠牲となった51人の名前が刻まれています。合掌。



鳥取池へ行く手前には緑地や桜の園があるようですが、周囲は木に覆われていて「ご尊顔」を拝むことはできません。
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