久慈川水系の竜神ダム(茨城県常陸太田市下高倉)は県道33号(常陸太田大子線)の「竜神ダム入口」から入っていきます。
【久慈川の由来】
ところで、久慈川の由来を調べてみました。史料として最初に登場するのは元明天皇が713年に編纂を命じ、725年に成立した常陸国(現在の茨城県全域に相当する)の地誌である『常陸国風土記』です。これは、常陸の国司が九つの郡(新治、筑波、信太、茨城、行方、香島、那賀、久慈、多珂)の説明や古老の話をまとめたもの。この中で、久慈の郡の説明のところに久慈の由来が書かれていて、「郡家の南に小さな丘がある。その形が鯨に似ている。(それを見た)倭武天皇(ヤマトタケル)が久慈と名付けた」と書かれています。ちなみに「郡家(ぐんげ)」とは郡の役所のことで、郡衙(ぐんが)とも言います。
では、ダムへ向かいましょう。見えてきました。なんとも特徴のあるダムですね。
ダム横の駐車場には3枚の案内板があります。まずは竜神ダムの案内板。1979年3月に完成した多目的ダムだそうです。
お次は周辺案内図。これを見れば竜神ダムの位置関係がわかると思います。
最後はダムの構造と配分図。これはマニアック過ぎて、ワシには興味の対象外。
竜神ダムの諸元のプレートが嵌め込まれた石碑。すごいね、石碑として独立させちゃうんだから。
ダム横には「竜神ダム竣工記念碑」の石碑。
その奥にあるのが竜神ダムの管理所。写真上に見える吊橋は「竜神大吊橋」で、吊橋の上からバンジージャンプを体験できるそうな。どうりで時折絶叫が聞こえたわけだ。最初、なぜ昼間から動物が吠えているんだろう…と思ったら、そういうわけでした。
では、いよいよダム上を歩いてみることにしましょう。
ダム上、中央付近から見た貯水湖(竜神湖)の様子。
ダムの真下はこんな景色。
そして、下流側の遠景です。
ダム上、中央には何かの操作室の建物がありますが、何だかカワイイ。ドアをノックしたら「はい、どちら様ですか?」と言われそう。
対岸(右岸)に来ました。突き当たりには「こちらからも竜神大吊橋へ行けますよ」という看板。もちろん行きませんでしたが。
対岸から振り返るとこんな感じ。
対岸、竜神湖側から見たダムの様子。
同、下流側からダムを見るとこんな感じです。
屋根が三角なのはもちろん降雪対策なのでしょうが、堅牢なイメージのあるダムの中にこれがあることでユーモラスな雰囲気を醸し出しているように思います。
【久慈川の由来】
ところで、久慈川の由来を調べてみました。史料として最初に登場するのは元明天皇が713年に編纂を命じ、725年に成立した常陸国(現在の茨城県全域に相当する)の地誌である『常陸国風土記』です。これは、常陸の国司が九つの郡(新治、筑波、信太、茨城、行方、香島、那賀、久慈、多珂)の説明や古老の話をまとめたもの。この中で、久慈の郡の説明のところに久慈の由来が書かれていて、「郡家の南に小さな丘がある。その形が鯨に似ている。(それを見た)倭武天皇(ヤマトタケル)が久慈と名付けた」と書かれています。ちなみに「郡家(ぐんげ)」とは郡の役所のことで、郡衙(ぐんが)とも言います。
では、ダムへ向かいましょう。見えてきました。なんとも特徴のあるダムですね。
ダム横の駐車場には3枚の案内板があります。まずは竜神ダムの案内板。1979年3月に完成した多目的ダムだそうです。
お次は周辺案内図。これを見れば竜神ダムの位置関係がわかると思います。
最後はダムの構造と配分図。これはマニアック過ぎて、ワシには興味の対象外。
竜神ダムの諸元のプレートが嵌め込まれた石碑。すごいね、石碑として独立させちゃうんだから。
ダム横には「竜神ダム竣工記念碑」の石碑。
その奥にあるのが竜神ダムの管理所。写真上に見える吊橋は「竜神大吊橋」で、吊橋の上からバンジージャンプを体験できるそうな。どうりで時折絶叫が聞こえたわけだ。最初、なぜ昼間から動物が吠えているんだろう…と思ったら、そういうわけでした。
では、いよいよダム上を歩いてみることにしましょう。
ダム上、中央付近から見た貯水湖(竜神湖)の様子。
ダムの真下はこんな景色。
そして、下流側の遠景です。
ダム上、中央には何かの操作室の建物がありますが、何だかカワイイ。ドアをノックしたら「はい、どちら様ですか?」と言われそう。
対岸(右岸)に来ました。突き当たりには「こちらからも竜神大吊橋へ行けますよ」という看板。もちろん行きませんでしたが。
対岸から振り返るとこんな感じ。
対岸、竜神湖側から見たダムの様子。
同、下流側からダムを見るとこんな感じです。
屋根が三角なのはもちろん降雪対策なのでしょうが、堅牢なイメージのあるダムの中にこれがあることでユーモラスな雰囲気を醸し出しているように思います。