2014/06/13 記
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被災地の障がい者団体の岩手から1箇所、宮城から2箇所応答があったが、ゆとりがないので7月は関東に出て行けないという。これも直談判が必要な情勢だ。1箇所は近くに宿泊施設がないとの話で、来るなら車で来てくださいとあった。これにはまいった。その私に付き合うドライバーがいないからだ。被災地は路線バス本数が極端に少ないところが多い。車所持が常識化しているのだ。
肝心の地域診療所・病院は応答が無い。電話してもFAXしてくださいといわれる。前の方法と同様に、学会にお願いして仲介してもらう手だけ、一応は連絡が取れている。
雨にじゃまされたが、中野と新橋に行く。今回は「高齢者特に認知症と被災後の地域ケア・サポート」について、「在宅ケア」の現状を考える。人材不足下、医療・看護・介護・生活の地域サポートを無理に作って、結局は若手の流出した家族の老老介護に負担が集中しないか。地域コミュニティが傷だらけのまま、通所デイケアのような方策がとれない場合、当事者のQOLが下がってしまう。「病院から在宅へ」という施策が強引に進められると、特に被災地では問題が噴出しそうだ。
今回の打診で、年末と来年春の企画が先に開けそうだ。問題は医療関係者だ。
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9月末と10月の「金曜災害ミニカフェ」の番組が決まった。
9月末>「首都圏スペシャル”ふるさとを遠く離れて”原発事故避難者の3年」(NHK 45分)
10月>「tomorrow『急げ!患者のもとへ~災害医療の現場から』」
(2014/04/16 30分)
「NHKスペシャル・東日本大震災『最後の避難所~原発事故の町 住民たちの歳月』」
(2013/12/27 NHK 48分)
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夜間傾聴>なし
(校正2回目済み)
2014/06/13 記
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「スペアちがさき総会」に参加。久々に若いおかあさんたちの話を聞いてきた。青年の自閉症スペクトラムの子たちの課題とは比重がことなる、生育と教育をめぐる課題だった。進路再確定や就労支援などを行っている青年の課題は、学童期の取り組みの上にたっている。しかし、自立をめぐる青年期の課題は、なかなかこうした交流の場が得られない。それは支援活動が通過点としての意味合いが強く、経験は当事者相互の共有のものになることは少ないから、関係者の結束という方向には、向きにくい。結局は教員やケア専門職、労働畑の活動に。なっていく。そのシステムの是非は、ここでは問わないが、改めて考えさせられた。プレジョブという職場体験活動がある。これは、丁度橋渡しのような活動だが、社会人リターン組のような、挫折を抱える方の課題には不十分だと思う。手立てを考え続ける必要がある。プレジョブ主宰者の方に、賛助会員登録を済ませ会場をあとにした。
昼に会議が終わったので、昼食をとりつつ、懇話会講師候補へのメールをだした。阪神淡路大震災体験の医療関係者の方だった。やはり日赤系列から石巻の支援に入った方だが、身体障がい者支援関連の経験が深い。遅発性PTSDや、知的・発達障がい者のストレスについて問い合わせたが、無理かもしれない。
15時から糖尿病外来の予約があったので、SFC看護学部の**先生に面会依頼を出していたものの、17時から湘南台で会う話は月曜日になってしまった。日がどんどん過ぎて行く。焦りを感じている。
相模大野校で面談。帰宅時には、急に足元が酔人のようにもつれて慌ててしまった。午前中企画の後遺症だろう。覚悟を決めて、帰宅後3時まで睡眠をとることにした。
夜間傾聴>中止
(校正1回目済み)
2014/06/12 記
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高齢者関連の医療・介護関係の講師特に「被災時、地域ケア関連」の被災経験を還元してくださる方というのが、7月懇話会の講師選びの基準になっている。
3年目の東日本被災者の生活面の緊急課題があり、その支援の形を見出して行くことが必要だが、そのニーズの前面に立っているものが、生活再建の行き詰まり、避難生活のストレスと孤立、認知症を中心とした「老い」に対するケアの家族負担の増大というような課題だ。この意味で高齢者関連のテーマになればなるほど、障がい者関連支援者の関心は離れて行く。その一方で高齢者関連の支援者との交流が少ないという矛盾がある。
一方、被災を経て障がい者の地域サポートの困窮という課題、仮設住宅生活と地域コミュニティとの齟齬というについては、障がいの種別によって、困難の現状は異なるが、障がい種別の関連団体と既存施設のふんばりに、現状の地域サポートは、それぞれが委ねられている。東北は「世間に迷惑をかけない」という遮蔽傾向が強く、なおさらに実態が見えにくい。ここで高齢者の課題と重なる「医療・生活支援」という話となると、医療支援が必要な身体障がいと、施設支援と結びつきが弱い成人軽度障がいの方以外は、「医療関係者」講師のニーズが低い。認知症と心のサポートを媒介に、精神・知的・発達等の障がい分野とのつながりを提起しても、実態としてサポートが別であるという状況がある。
要援護者支援のシリーズ化した取り組みが、被災という点において、災害弱者サポートの相互協力を見通すという地域支援ネット形成を見通した戦略的発想が育っていない。この状況下でいかなる講師を招待するか、それは例え空転すれども、現在の社会的ニーズの核心に迫る課題のとり方、被災経験がなす実践のヒントを実効的に果実として持ち帰ることのできる設定をたてるべきだ。前回のような総スカンのリスクは、負わねば始まらない。例えそれが周囲の警戒を生んでも、必要なものは必要。それは被らねばならないだろう。最低限10数万人を越す避難生活を強いられている被災者に、目をつぶらないために、蟻の穴のような可能性でも、あらゆるアプローチは行うべきだ。
今、躊躇している壁は、企画が空転したときの講師に失礼をしてしまうということだ。賛同してくださる講師のハードルが高い。ある被災自治体の職員の方も候補にあがっていた。しかしそれも、まさか無人の会にお願いすることはできないだろう。災害という課題が、将来に備えるという視角に固定されている事態、東日本大震災は地元に任せる段階だという幕引き意識が蔓延する状況だからこそ、今が見えるケア関係者の方の懇談を育てなければならない。懇話会の活動は、社会的課題の即解決実践を行うものではない。各自の課題のつかみ返しを行いうるプラットホームであり、意思決定活動ではない。それぞれがそれぞれの実践を行っている、そういう現状にフィットした活動だという自負がある。
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明日13日は朝10時から「スペアちがさき総会」がある。あと数時間の睡眠時間確保のため、ここで中断。
夜間傾聴>ひとり
**子の和尚さん(定例連絡っぽく)
(校正1回目済み)
2014/06/11 記
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「6/20金曜災害ミニカフェ」を印刷。市議会・行政関係に配布。今日は熱帯性低気圧が夜通過するとのことで、必要最低限の範囲ににチラシを配布し、早めに引き上げようと、残りのチラシを片付けていると、議会本会議中なのだろう、**市議の関係者と議会事務局の前で出くわした。チラシを見て追いかけてきたのだ。もともと支援組織の内側と外側の落差のある方だったので、期待はしていなかった。
立ち話をしたのだが、被災地の高齢者医療の地域サポートの話題に通じるものがあったらしく、「金曜災害ミニカフェ」の中の地域医療論議の経過を尋ねてきた。困った。相手がいなくては議論にならない。話せばしらけるだろうと諦めて、実情を伝えた。
驚いていたが、私が逆に驚いたのは、議員の鉄則「君子危うきに近寄らず」ではなく、議員を訪ねるようにといいだしたことだ。これはお断りした。私の作りたい「懇話会」は、ただの勉強会。地域の推進者となるケア関係者の意見交換を通じて、発災時の地域ネットの芽を育んでおくことだ。私の成したい実践はある。ただそれが特定の政党の活動とリンクすることは、排他的な政治の世界にあって、今は無用なレッテルを上貼りすることになるからだった。たとえ、私が親方日の丸、所属を持ちたくも、合致する政党が無いというのが実情ではある。
しかし、関心をもっていただいたことは、驚きでもあり歓迎すべきことでもあるので、来ないだろうなと思いつつ、カフェで会いましょうと告げ、別れた。ただ読者が初めて可視化した。先方から、チラシは必ず読むと言ってくれた。一歩前進ではある。(懇話会の7月講師選びの話は持ち出さなかった。)
陸前高田に済世会の診療所が出来る。恩賜法人ではあるが、大阪西成区などの生活困窮者の保健医療支援に伝統を持つところだ。ソーシャル・ファーム(社会的弱者のための社会的企業)の紹介者炭谷氏を2011.3.8に茅ヶ崎に招いた。ソーシャルファームについて議論を深めようとした3日後、東日本大震災が起きて議論が消し飛んだ経過がある。その済世会が社会的困窮者医療支援に乗り出したという話で、これはいつか「わーく」編集部枠でゲスト懇談したいと思っている。
今回の懇話会は、在宅介護・診療を、被災地の長期避難生活という先鋭化した環境で問うという話で、すでに被災地実践を経験している方を招きたい。特に「認知症」という四六時中、家族が離れられない方について考えたい。地域のサポートネットの母型が見えてくるといいのだが。それゆえに講師が制限されるが、さすがに会が私とあなただけとはいえない。タイムリミットが来ている。
施設関係が先に応答を返してきたので、秋の懇話会と順をいれ代えても可能だと思うが、障がい者の話題をリンクさせたいので、もう少し時間をかけたい。
盛岡で談判かなと思い始めている。
夜間傾聴>**子(仙台に法事で出かけてから、長期間風邪をひいていた。)
ひとり
p.s.楢葉町の被災ネコに「シャケ」と名前が付いたそうな。健康回復順調のようだ。
(校正1回目済み)
2014/06/10 記
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6/20「金曜災害ミニカフェ」用チラシ原稿完成
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●3年前の3.11、岩手県陸前高田の拠点病院「高田病院」は震災津波で大破した。東日本大震災は東北から関東にかけての太平洋沿岸は、地域の医療にも甚大な被害をもたらせた。被災と長い避難生活によって、震災弱者である高齢者は特に、体調を維持することが困難な方が寝たきりになったり、心身症をわずらったりし、単身者の場合、孤独死に至る事例も出ている。
●現在被災地医療は、ふたつの課題を抱えている。ひとつは、崩壊した地域医療の中で、拠点病院の通院診療だけでは解決できない患者数と、通院困難な寝たきりの高齢者診療をどう立て直すのかという課題だ。まずはバンク状態となる地域病院の外来診療を訪問診療を積むことによって、先々の病院と家庭医の分業を生み出そうという試みだ。もうひとつは、災害によって若手人口流出が起き、地域の働き手が激減し、自治体の存立を脅かすに至る「高齢化」や、地域によっては「過疎」「無医地区」化が進行し、医療ケア関係者の地域包括ケアのネットワークによる在宅医療が不可欠になりつつある。
●こうした課題を先取りした試みが、岩手県陸前高田市の高田病院の訪問診療や、宮城県石巻市や気仙沼市の地域医療ケア関係者の訪問医療ネットワーク作りとして行われている。今回の番組は、その概要を取材している。
●在宅看護・介護は、家族の負担が非常に大きいので、生活再建中の家族にはその負担が一層鋭利な形でとわれている。近郊都市型の湘南の今後の医療と比較しながら、過疎・高齢化の地域の医療の近未来を考えてみましょう。 (飛田)
---- ここまで ----
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)
2014/06/09 記
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雄勝情報を持つ**さんの応答なし。
陸前高田市保健医療福祉未来図会議の方の応答があるが、市民と勘違いされているので、話が全く通じていないことがわかる。3往復目なので、どうしたものかと考えている。
赤十字関連応答なし。足を運ばないと埒が開かない。
今回の話ではない名取市の施設関連から、応答あり。(秋口の会用)TV会議形式で懇話会を作れないかなどと考えたが、これも、参加者がないと失礼になる。石巻赤十字病院が拠点病院の役割分担のためのガイドブックを出した。地域医療sysの話題に合致するが、謝金・出会いに問題。再問い合わせを書いている。
摂食障害の子の親から電話が入る。私が紹介したところと連絡を取ったら半年待ちだという。どこも同じかなあと思いつつ、新宿を紹介した。
認知症関連、明日歩くことに。
夜間傾聴>なし
(校正1回目済み)
<整理して見つかった、気になる記事>
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●「障害と差別-仙台市・禁止条例策定に(上)痛み/避難所でののしられ」
●「障害と差別-仙台市・禁止条例策定に向けて(下)融和 立場を理解、歩み寄り」
2014/06/08 記
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日曜日、講師予定者への電話・メールが空振りの一日。訪問学習相談も断わりの電話あり。家庭訪問日程再調整。覚悟を決めて資料を読み込む。対象は絞られてきている。しかし、「誰も参加しない場合がある」という非常識な見通しを飲んでいただける方は、まず、いない。懇話会の趣旨である「被災地の現場の感覚を湘南に持ち込む」、「ケア関係者」の「懇談会」。互いに意見交換をするが強制はしない。東北被災者生活医療介護福祉支援と経験に踏まえた湘南の防災の、亜急性期以降の生活医療介護福祉支援に特化した話題の懇談。これが約束事。これを実現したい。道は無いか、歩きながら考える。
一方、「わーく」の「金曜災害ミニ・カフェ」は、議論のための情報再確認と、交流。
とにかく、予想された、今は冬場。非被災地の有志が取り組める活動の形を集中して考える。ひとの支援の質を濃く絞り込んでいく。
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今、次の懇話会通信を書いている。肝心の講師の部分がかけない。月中までに通信、発行できないか。
巡回相談員、被災者緊急雇用で補っている。資金が切れた先が、保証されていない。
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洗濯物が乾かないと母の機嫌が悪い。私がPCに向かっているときは、いつも機嫌が悪い。陸前高田の広田のワカメを買っているが切れた。明日、買出しせねば。
県内支援者**さん(元看護師)に、初メールを出した。会えるといいのだが。雄勝に行ったことがある方。怪しい爺ぃなのですがよろしく。
夜間傾聴>ひとり
(校正2回目済み)
2014/06/07 記
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9月の「金曜災害ミニ・カフェ」の作品が決まった。「再出発の困難な被災者の現状」「被災地のセイフティ・ネット」のテーマの作品を各1回取り上げる。内容は個人の状況を語るため濃い。また阪神淡路大震災の経験を経て、豊中市社協の勝部麗子氏が釜石市の地域サポートネット作りの研修に、ヒントを提供。湯浅誠氏が大枠を交通整理。
9/12(仮設定)2本立て
●「ゆうどきネットワーク 東日本大震災から3年”600人アンケート”から見た現実(特集部分のみ)」(2014/03/26 15分)
●「明日へ 証言記録・東日本大震災(21)福島県富岡町"災害弱者"突然の避難(2013/09/22 NHK 50分)
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9/26(仮設定)1本
●「明日へ-支えあおう- 復興サポート▽地域のセイフティーネットを作ろう~釜石市2」(2014/04/21 NHK 48分)
以上
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7月の懇話会講師選びが難航している。大きくは前回の小山貴氏のときのように、懇話会の狙いがなかなか伝わらず、表面的には湘南の現状とかけ離れた、陸前高田の障がい者地域サポートの試みの意味が伝わらなかった。東北の災害弱者支援への連携意識の衰退と、湘南要援護者への避難生活サポートプランへの緊急性の欠如がある。大切なアクセント。被災現場の空気を呼び込むこと。異質な者との接点が活性化の鍵・その対話の価値を共有出来ていないことがある。つまり、再度、誰も参加しない場に講師を呼ぶことは、なかなか先方の常識があるので、付き合ってもらえないという現実がある。価値を下げず、無理を飲んでもらうという交渉をしている。
そのタイムリーな質を落とさず、必要な方を招待していく課題なのだ。それには自己点検がいる。
まずは、
1)焦点を絞り込むこと。
(今回は慢性期~復興期の地域保健医療ネットの検討)
湘南の防災>住民意識無関心を踏まえ
論点を震災対策として初め絞り
ケア関係者有志のテーマ懇談会で芽を
作る。(サポートネットの芽)
動ける人から動き、論点を蓄積論議
して待機する。
2)講師との間の、認知症をめぐる在宅医療の評価の差
拠点病院と家庭医・「病院医療」から「在宅医療」へ
は、家庭介護者の負担増にならないか。
3)謝金+交通費の金額(+参加者なしの場合を踏まえる)
4)現在交渉中の講師は、いずれも顔合わせ相談を踏まえる。
(盛岡・仙台・神戸etc.どこに出向くべきか?)
この辺を煮詰めている。
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天気予報より天候は静か。口の中の大出血(ポリープと根元近くが口内炎状の白斑)があって、耳鼻咽喉科へ。しかし土曜日午後診療しているところがなく、某開業医のところに行った。
耳鼻咽喉科にしてはすいているところの初診。医師は爺さん。まだ患者の訴え一言も聞かず「口あけて!」。耳の患者だったらどうするのだと思いつつ、「まずは患者の訴えを聞きなさいよ」と言ったものだから険悪なムード。事前に症状を調査しているわけでもないから、明らかに失礼。
「2週間ほど風邪を引いて、直りかけなのにのどの片側が急に痛くなった。見ると…まで言うと、口をこじ開けた。ああ、消毒しておけばいいというので、朝6時にロキソニン60mgを飲んだと私が言うと、「ではロキソニンを出しておこう、ネブライザかけて帰って」と私を追い出そうとする。まだ2分たっていないし、私が最後、診療終了まで1時間ある。なんで話をきかないのですかと問う。相手にせず看護師に処方箋メモを渡す。処方箋メモには、ロキソニン3錠と胃のコート剤などが1日分処方されていた。これらは、家に余って溜まっているものばかり。ひどい医者だった。どことは書けないが、土曜診療していても絶対に行かない。処方箋を棄てた。
そういえば、成人検診が始まっている。病院の総合診療科の##医師もひどかったなと。一回も顔を見ないし、話も押し付けばかり。どうしていつまでも茅ヶ崎の医療の質は低いのだろう。
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夜間傾聴>摂食障害の相談あり、この方のお宅が町田なので東京側の心療内科を紹介。紹介したくもフリースクール系の%%さんは鬼籍の方なり。ちと寂しさも。
(校正1回目済み)
2014/06/06 記
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大雨の中、「金曜災害ミニカフェ」を行った。お隣さん、元気のよい団体の会合あり。またしても、待ち人、来たらず。祈るのみ。
---- ここから ----
(番組名は上記画像参照)
●今回の会は、梅雨入りの大雨の中で行われた。今回のふたつの番組は、仮設生活の被災者にのしかかる老いと孤独というものが、実際どのようなものかを教えてくれる。老夫婦に忍び寄る認知症とその在宅介護、単身者の孤独とアルコール依存症の実例が紹介される。仮設からは若い世帯が抜けて行き、極端な高齢化が見て取れる。その個々の入居者の孤立と老老介護の現実を当人に任せきりにしていていいはずがない。80代後半の老夫婦は、息子の被災死という現実の中で、妻がうつ病を発症、夫が妻の介護を抱え込む。公的支援の枠の中では、全介助の重責が夫にのしかかる。地域の入所施設は職員不足で利用枠は限界に達している。その袋小路を80代の夫が、全壊した自宅を新築に踏み切って介護すると決意する。元漁師の単身男性は、アルコールに依存し、泥酔中、怪我をしていた両足の血流が止まり、足が壊死。両足切断に至り、車椅子生活に。血をふき取った畳の上で現在も生活している。
●こうした高齢入居者の仮設のコミュニケーションを図る試みも行われているが、互いに親交を深めても、やがて仮設は閉鎖され、復興支援住宅への転居で再び分断される。その矛盾を抱えながら、仮設間横断型の地域支援が始まっている。今回の番組では、石巻市の隣、女川町の「あがらいん」の自立的デイケアの様子が紹介される。(湘南に懇談のゲストにと交渉中。秋口以降。)料理担当という分担を与えれた初期認知症の妻が、活力を回復し今を十全に生きるという流れの中にいることがわかる優れた映像になっている。また、両足切断した男性も、企画の野菜販売のレジ係を担当し、孤立から隣人との交際が生まれて行く。こうした支援の実例を見て行くとき、「病院から在宅へ」、「地域包括支援ケアネット」の隙間が見えているように思う。災害が壊したものは、被災者の生涯にわたる生活であり、送り返された在宅生活のキャパシティの限界をどうサポートして行くのかという問いは、鋭く問うことにつながっているのだ。 (飛田)
(補)移転先がなく、仮設の薄い壁のため隣人トラブルを避けられない障害者家族の話は今後に続く。
----- ここまで -----
帰りにタクシーを呼ぶ。約束どおり、近くのマッサージから、母を拾って帰宅。
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)
2014/06/05 記
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宅配便事件勃発。生理食塩水のセットが届いた。実はタイミングが悪く、生理食塩水セットが、市内の母の友人宅に突然届いて、数日後返品したら請求書が入れ違いに届いた事件があった。通販の「押し売り」だった。市の生活相談窓口を私が紹介したという経過が前段にあった。春先の出来事だった。今回私のところに届いた箱も、てっきりその手と勘違いし、茅ヶ崎警察署に連絡してしまった。依頼主の記述が無く、送り主が通販会社になっていたからだった。ラベルの写真を巡査が持って行った。数時間後、私が出かけた留守のところに、警察と宅配便から連絡があり、なんのことはない、私の友人が送ってきたプレゼントだったのだ。>**さん、感謝。
改めて警察と宅配便に謝りの電話を入れた。友人の事件の方は、他の方も多数被害にあっていたので、業者が捕まっていた。今回とは別の業者である。最近は県警に、この手の商売や愉快犯事件の専属担当者がいて、逮捕率が7割を超えるそうな。これはすごい数字だ。
出遅れたが、東京のプライマリーケア連合学会の事務局に行って、担当の%%さんを尋ねた。謝金や、認知症の扱いが一致していなかったが、すりあわせをしてこようと思っていた。やっと新事務局を探しあてて、尋ねたが**さんは不在。その足で池袋に出て、某大の被災地生活支援プロジェクトの##さんと会うことができた。収穫はあることにはあったが、秋の企画に協力を得ることが出来たという話で、今回はいまだ決まらないままだ。
帰りは17時を回っていたが、茅ヶ崎保健所と育成会に立ち寄り、「わーくOnlinePicUpNo.43」を置いてきた。読んでくれているのがわかり、嬉しかった。7月の懇話会の話を聞かれた。まだ講師交渉が難航していると応答。急がねば…。
帰りが遅くなったので、バーミャン中華丼のテイクアウト。生理食塩水の性急な対応をじんわりといびる母の小言が始まった。さえない一日だったが、明日には講師の件で、先方から電話が入るだろう。
地域自治会ゴミ掃除当番なり。夜は生ゴミが出せない。夜の仕事の私には、それは困る。日の出にあわせてゴミを出して寝る。睡眠時間確保のためだ。夜明け後もいかんとは言うまい。
&&さんから電話あり。被災ネコ、新しい飼い主宅に戻ったそうだ。ひとまず、一段落。
日送り、塾長不機嫌。明日はまともにお仕事を。
夜間傾聴>中止
(校正2回目済み)
2014/06/04 記
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教材屋の給料が出た。いつも最終稿入稿後、まもなくという感じ。本当の出来高払い。これで7月の講師謝金も整ったが、講師がまだ決まらない。昨日、サポセンで7/18は予定がぶつかるとのことで、7/25に日程を変更した。5・6月は総会、7月は早々にお盆休みの影響が出る。
そこに母から突然、めまいの件でMRI画像の撮影を東京のかかりつけの大学附属病院で行うから来てくれとひっぱられた。大概こういうときは早朝と相場が決まっている。もう徹夜騒ぎは、まっぴらと、拒否。すると母は16時といい、墓穴を掘ることになってしまった。母は午前中に眼科もあると、先に出て行ったが、後から追いかけて私も外来に行くことになってしまった。
友人が朝、何事かあって、メールをくれていたが、目が覚めたのが11時。間が空いていた上、言葉使いが違うので、応答しなかった。三省堂書店に立ち寄って、講師予定者の著書を買い、これで教材屋の今回の仕事分はあっさり消えた。
そこから母の病院は近い。合流したものの、何をするわけでもない。検査と診察が終わって、既に外来は閑散としていた。食の細い母は何を食べるでもなく、新しい墓を見て帰りたいと言い出した。目の前にプライマリィ・ケア連合学会の事務所があるのに、立ち寄ることもできず、とにかくタクシーを使って墓地に行き、駆け足で茅ヶ崎の駅まで帰ってきた。私は保健所にまわり、母は先に家に戻った。私は外食、母は弁当をつまんでおわり。
急がばまわれ、なのである。
今日は生き残った左目で、講師の著作を読んでいる。今日は足踏み。焦ってもしかたないが、ため息をついている。
p.s.楢葉町の猫。危機脱出、明日にも帰れるとか。飼い主さんからメールが来ていた。
夜間傾聴>ひとり
(校正1回目済み)
2014/06/03 記
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橋本に出て、時間つぶしにパンを買う。ふとこの汗ばむ妙に静かな時間に、横須賀野比のアルコール症センター奥の谷戸にゲンジボタルの観察に塾生と来たこと(今は廃棄物永久処分場に化けて面影もない)、筑波大附属久里浜特別支援校が特殊研と呼ばれていた頃、研究員の方と待ち合わせた門前の、焼けた道と潮の香りが唐突に蘇ってきた。それは3.11から数ヶ月を経た大船渡の河口の腐った海産物の匂いへと飛び石のように記憶が跳んでつながった。約束の時間を間違えた私が、早く橋本についてしまったために、忙しく人が行き来する駅前の端でパンをかじって時間をつぶしている間から誘導された夢想だった。
結局彼は来なかった。定時より先に到着している私が許せなかったらしい。取次ぎに出てくれた電話先の親御さんに、横浜で探してきた、彼との対話に使った本を彼に取り次いでもらうことにした。理科年表2014年版だ。この時期に理科年表を買う者はいない。探してもらって入手したものだ。多摩境の親御さんのお店まで持っていった。
相模線で茅ヶ崎に戻る間、いつもなら携帯やPCを出して作業しているが、南橋本まで覚えているが、目が覚めたら宮山を過ぎていた。
私の仕事は辺境の仕事だと思っている。もとのさやに、ひとを追い込むのではなく、彼の足元から拡がる道を探して肩を押す仕事だ。しかしそれは、相手を死に導くこともある。この仕事の罪深さを「客観視」という知の浮き輪でようやく沈まずに済んでいる因果な仕事だ。絶対に地獄に落ちると腹積もりをしている。教室という場の教員とは違う、社会という旅先への旅行案内業の方が近い。
チームプレイのかけらもない仕事だから、自閉症傾向の子やパーソナリティ障がいの子たちのつながりの壁と僅差の壁(のつもり)を、ひたすら信頼への信仰に似た祈りで越えている。ただ窒息しそうな水中から息継ぎをしたときのようなつながりが、私を支えてきた。
今、道の舵の取り直しをしていると感じている。当たり前と感じている「所属」なる世界を私は持っていないから、その舵取りは体験が基準になる。アンチョビが引き出した連想と考える私と、疑わずに進むことが出来た記憶という意味づけをすり合わせながら、茅ヶ崎市立図書館に書籍の交換に向かった。カフカ気取りかいなと思いつつ本を取り出していると、なんと禿げ頭になった中学時代の同級生に出会った。さすがに驚いた。
互いに茅ヶ崎が長い地元だから、行政職員を停年退職する前に何度か会っていた。だから久しぶりという程度なのだが、話を聞いた。行政職員になった同級生のうちの二人が病死していた。少し話そうかということになり、彼の仕事が終わるまでに、ビッグイシュー誌と、「『わーく』Online PicUp No.43」を駅の近辺だけ配布することに。
市社協・市議員団・市役所関係課・サポセン・高齢者包括支援センター2ヶ所と獣医1箇所を回った。楢葉町の被災猫の新しい飼い主さんのところまで、古い玉子の食料を持って行く母が信じられないのだが、食中毒救急入院させた病院だった。猫は元気を取り戻していた。
大根やら長ネギやらをぶら下げて、彼と合流し、ちょっと酒をと促す彼をなだめて、コーヒーを飲む。彼は同窓会に出ているらしく、当時の連中の話をしてくれた。私は昔、全共闘活動の洗礼を受けている。その関係もあって同窓会は疎遠だったが、彼の話は懐かしくもあった。逆に私の話はオタクのつなぎ合わせのような話ばかりだ。彼の仕事は少し接点があるので、何とかあわせてくれているのが悪くて、コーヒーをスプーンでゆっくりかき回していた。
「『わーく』No.43」は80部配布が済んだ。今回は高齢者向けの課題が多く、障がい者団体には主だった団体だけに配布した。
サポセンに立ち寄ったとき、「金曜ミニ・カフェ(7月)」の日程調整をした。日程の修正作業を終わらせてから寝る。
作業の進捗状況次第だが、明日、行けたら東京に出る・プライマリィケア連合学会に行ってくる。懇話会7月講師の件。
夜間傾聴>なし
(校正2回目済み)
2014/06/02 記
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小川町の教材屋に行き、やっと入稿終了。時間がないので急ぎ横浜でビッグイシューを仕入れ、みなとみらいの紀伊国屋書店で、不足分絵本を補充。大和経由で相模大野校に寄る。
藤沢有隣堂書店で茶封筒ならぬ黄封筒購入して発送。
茅ヶ崎駅前から「わーくNo.43」配布中。
とりあえず。
p.s. 楢葉町からの避難ネコ(白)食中毒。近隣の獣医さんへ。母の暴挙、猫エイズを知らず。
夜間傾聴>携帯入力慣れしているおっさん、ひとり。
(校正1回目済み)
2014/06/01 記
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土曜日、市役所の「住民と専門職の協力からなる地区を見守るネットワーク」の会合、申し込んでおきながら、参加できなかった。午前中の会、就寝8時で起きられなかったのが真実。教材屋の仕事、5月最終稿だった。スランプかなと思いつつ。
「『わーく』OnlinePicUp No.043」が仕上がった。個人支援者への郵送から始めている。最後のページは下記に。月曜日から配布を始める。
今日は困ったことがあった。藤沢で「茶封筒」を買い忘れて、辻堂に戻ってきて悲劇となったのだ。駅北口に出てセブンイレブンで買おうとしたがなかった。B4版が入る大きな「茶封筒」だ。黄色某店の開架を見渡したがなかったので、高校生アルバイトさんに「茶封筒」を尋ねた。ところが「茶封筒」がわからないので、そのアルバイトさん、隣のアルバイトさんにきいた。
「『茶封筒』ですか、お茶、入れる封筒はありません」
びっくりした。主任のおばちゃんに聞いて、店にないことがわかった。やむなく駅南口の商店街を探したが、文房具店にもなかった。結局辻堂駅前には「大きな茶封筒」は無いことがわかった。宅配便で絵本を贈る試みは、こうしておわったのだった。しかし、びっくりした。
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☆☆☆3.11 災害避難所支援に入った美容師さんのカット・サービスの経験から…/地元業再建を助ける 美容券(間接)支援方式☆☆☆
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☆3.11東日本大震災が起き、避難所生活がはじまったころ、各地の美容師同業者組合からの、道具(ハサミ・クシ等)の被災美容店への提供や、避難所へのカット・サービスが始まった。整髪は清潔を保つという意味だけではなく、避難生活の中の気分転換という精神衛生上の利点がある。専門性を生かした優れた支援であるのだが、この支援は長期化できなかった。その理由のひとつに、地元同業者からのクレームという矛盾した問題があった。「仕事が減り、地元業者の再建の妨げになる」というものだった。
☆このことは、買出し・通院支援と地元タクシー業の場面でも、苦情の形で現れていた。これらは、いずれも市場が固定的で狭い業種という特徴があるのだが、大船渡・陸前高田では若い自営美容師さんたちが共同の仮設店舗をひらき、仕事再建の道を探っていた。中間支援者として、ここに非被災地の支援者と結ぶ支援システムの可能性を提案した。結果は誰が頻繁に被災地と地元を往復しシステムを立ち上げるかという問題があった。その大きなネックとなったのが、店舗資金を提供していた本部が盛岡にあるという条件だった。目の悪い私は車の運転が出来ない。盛岡と気仙地方と湘南を公共交通機関で巡回することになると、宿泊費もかさみ、負担が大きすぎた。
☆地元茅ヶ崎の美容師同業者組合の方々に、現地業者さんと対立せずに支援が可能な方法があると話を持ちかけた。それは「美容券」方式というものだった。これは被災地の同業者組合や、今回の若手美容師の会と「組み」、「カット券」を発行し、避難所の被災者に配る。この券を使って、地元美容師さんからカットサービスを受ける。
☆このカット券は、非被災地の美容院でそれぞれの特典(例えばカットのみ半額券というような)をつけて、「避難者へのカットサービスを届ける券」という形で各自で店舗販売を行い、売り上げを被災地美容師さんたちに贈り、現地では券の枚数にしたがって売り上げ配分するというものだった。
☆盛岡の本部からは、「カット券」の内定は受けていたが、すでに湘南では組合としての被災者支援支援を終了していた。こうしてこの話は流産したのだが、私の関わった二十年間の災害支援の避難現場では、同様の衝突が繰り返されてきた。いわゆる「間接支援方式」はなぜか登場してこなかった。今後の災害支援の現場で支援方法として考えていい方法だと考えている。
☆システムの準備が必要という欠陥があるが、当人が被災地に出向き支援するという原点を一歩進め、現地に出向けないが支援の意思がある方に参加の道を提供するという支援拡張の道であることを記しておく。 (飛田)
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夜間傾聴>なし
p.s.「発達障害支援」から見た被災地の現状と今後の課題および提案」JDD 2011.5 の読み直し中。
(校正1回目済み)
2014/05/31 記
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「『わーく』Online PicUp No.043」の原稿を書いている。後残り1ページ「地元業を支援する 美容券(間接)支援方式」のみ。これは明日記載予定。
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(No.42 その2より続く)
●「要援護者の被災保護は、家族保護の視点で(その3)」
仮設住宅で在宅介護をしている高齢者家族は、粗末な壁の向こうの隣人との気兼ねや、被介護者を残した外出の困難さを被災前以上に感じている。一方、通所デイケアや、訪問介護の支援サービスも、被災以降の専門職の人手不足からサービスは充分提供できていない。そのために、地域の訪問看護・介護システムの確立は急務なのだが、私たちは2025年問題という高齢化社会の問題をもともと抱えている。東北の現在の熟年就労世代も放置しておいたとしても、働き手が地域にいない超高齢化が始まってしまう。震災はその現象を加速化しており、介護は老老介護に向かっている。仮設住宅に取り残されている高齢者は、非被災地の高齢者と違い、生活の破壊という経験をしており、それゆえに個々人に寄り添うケアが必要なのだが、それだけの質が保証できる見通しを持っていない。
特に単身者の場合は、生活再建の挫折や孤立からアルコール依存症や、生活活力の低下からうつ病など精神疾患を発症等、先鋭化した傾向に陥り易い。老老介護世帯や単身者世帯の相談員の個別訪問などの「見守り活動」が大事な意味を持ってくるが、東北の被災地ではケア関係専門職だけでは、人手が足らないという状況が続いている。2025年を見通して「病院から在宅へ」という医療改革は、家族の継続介護負担がより顕在化した形で問われ、老老介護世帯は勿論、家族への在宅介護は家族介護者のケアを含んだ実践が求められている。
仮設住宅入居後、非被災地の支援活動は急速に衰えている。被災地長期滞在型支援以外は、その効果が届かないため、諦めている潜在支援者がいる。生活支援の場合も、上記の状態の中では、被災地長期滞在型支援であれば、訪問相談員活動・弁当宅配を通じた様子確認・仮設隣人間の保健体操と顔合わせ(保健師活動の補助)・通院や買い物連れ出しサポート・子ども行事や娯楽企画への鑑賞随伴などの活動が考えられる。この中の「弁当宅配」は、定期的に非被災地の支援者の手紙や届け物を仲介できる優れた日常活動であり、この流れの中に、個人対個人、家族対家族の知り合い作り(擬似親戚作り)を生み出して行くことが、非被災地の支援活動に手がかりを与えていく。非被災地の匿名支援者が地域の被災者に漠然と支援物資を贈る活動よりも、顔の見える支援を行うことが、時代の要請だと思う、別項で紹介する「間接支援方式」を実現して行くことが、被災地長期滞在型支援の無い地域でも可能になる。地元業者と提携して、支援者と協働で目的のサービスを届けるのだ。これに適合する業種は「宅配弁当」「美容師・理容師」「蕎麦屋等飲食店」がある。詳細は「地元業再建を助ける美容(間接)券支援方式」を参照されたい。 (完)
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●<連載>個人医療情報QRカードの検討 003 個人情報の狭間
●「個人医療情報QRカード」は、1枚のコード面に1800字まで詰め込める。しかし、薄灯りの下では読み取れなかったり、読み取りに時間がかかった。カードの主眼は急性期・亜急性期、医療関係者が迅速に個人の医療情報を取得でき、電子情報化しやすいことにある。このため、健康保険証の裏面にシールを貼るか、同じサイズのカードを作り携帯することが大事となる。
●コードは、3分割した。氏名や年齢などの<基本>、当事者の仕事・家族に依頼したいこと・銀行口座番号(PWはなしで)メモ等が<家族>、既往症・常備薬・体質・身長・体重等<医療>に分かれ、その項目は必須のもの以外は「利用者の自由選択制」を必須のものとする。いずれも「カンマ区切りテキスト」で書いていく。
項目は以下の通り。
① <基本>
必須>氏名(フリガナ)・住所・性別・年齢・血液型
任意>家族連絡先(各人別)
② <家庭>
勤務先・勤務先電話・家族向け緊急緊急時連絡事項・銀行口座番号・その他
③ <医療>
任意>既往症・持病・常備薬・健康保険証No.・主治医連絡先・病院連絡先・臓器提供の意思・献体提供の意思確認
(つづく)
☆☆金曜ミニ・カフェ☆☆=3.11災害と防災の映像を観よう=
●今回は、被災後3年余を経た仮設住宅中心の高齢者の現状についての特集です。仮設住宅は、もともと学校や公園などの公共用地中心の場所に立てられています。その関係で辺鄙なところが多く、自家用車の利用が自由にならず、隣人が他地域の知らない方が多いとき、高齢者は、引きこもりがちになります。
●こういう条件のもとで、被災後3年、高齢ながら家族を支えてきた方に生活再建への疲れが出てきます。自らの仕事再建の道も絶たれたまま、遅々として進まない復興事業や、生活再建の基礎となる復興住宅建設の遅れから、多重債務と家計の破綻の解決の見通しが立たなくなります。若い家族や親しい隣人の仕事や新生活を求めての仮設流出が起き、高齢者の挫折や孤立がさまざまな医療・福祉上の問題となっています。
●今回の番組は、支援の届きにくい生活と健康上の問題を取り上げています。被災地の医療・介護・福祉に地域のケア関係者のネットワークを通じて、地域の専門職の高齢者地域支援の試みを紹介します。しかし、高齢者介護施設や訪問介護等の現場では、人材が枯渇しており、求人の応募がない状態が続いています。地域一般公募の訪問相談員のような形で、専門資格を持たない者の支援協力の形を考える必要があります。折りも折り5月に入って、日本創生会議は「20~30代の若手女性の都市への流出」の結果、地域の過疎高齢化によって、岩手・宮城の一部の自治体の消滅の危機を予測しました。地域の高齢者ケア・介護医療ネットワークは、火急の課題になってきました。そんな話と併行しながら、被災地の現状('13秋~'14春)のTV番組を観てみましょう。(6/6 6/20 分)
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☆前回5/23のミニ・カフェは、「NHK 被災地の福祉はいま(3) 相次ぐ新たな”こころの病”相馬市」、「TBS報道特集『震災と自閉症』気仙沼市~小野寺 凌君の被災3年後」を扱いました。遅発性PTSD(心的外傷後ストレス障害)と、自閉症の青少年の被災体験の後遺症の様子を取り上げました。
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夜間傾聴>ひとり
**子
p.s.国立障害者リハビリテーションセンター&発達障害情報・支援センター「発達障害児・者のニーズを踏まえた 障害福祉サービス等の利用支援に関する調査報告」(2012)の読み直しをしている。
(校正1回目済み)