湘南オンラインフレネ日誌

フリースクール湘南オンラインフレネ学習的就労支援活動・災害ボランティアの実践を書き溜めていきます。

6/3 疲れているのかなと思いつつ/中学時代のはげ頭同級生に出会い

2014-06-04 05:10:43 | 地震津波災害ボランティア

2014/06/03 記
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橋本に出て、時間つぶしにパンを買う。ふとこの汗ばむ妙に静かな時間に、横須賀野比のアルコール症センター奥の谷戸にゲンジボタルの観察に塾生と来たこと(今は廃棄物永久処分場に化けて面影もない)、筑波大附属久里浜特別支援校が特殊研と呼ばれていた頃、研究員の方と待ち合わせた門前の、焼けた道と潮の香りが唐突に蘇ってきた。それは3.11から数ヶ月を経た大船渡の河口の腐った海産物の匂いへと飛び石のように記憶が跳んでつながった。約束の時間を間違えた私が、早く橋本についてしまったために、忙しく人が行き来する駅前の端でパンをかじって時間をつぶしている間から誘導された夢想だった。

結局彼は来なかった。定時より先に到着している私が許せなかったらしい。取次ぎに出てくれた電話先の親御さんに、横浜で探してきた、彼との対話に使った本を彼に取り次いでもらうことにした。理科年表2014年版だ。この時期に理科年表を買う者はいない。探してもらって入手したものだ。多摩境の親御さんのお店まで持っていった。

相模線で茅ヶ崎に戻る間、いつもなら携帯やPCを出して作業しているが、南橋本まで覚えているが、目が覚めたら宮山を過ぎていた。

私の仕事は辺境の仕事だと思っている。もとのさやに、ひとを追い込むのではなく、彼の足元から拡がる道を探して肩を押す仕事だ。しかしそれは、相手を死に導くこともある。この仕事の罪深さを「客観視」という知の浮き輪でようやく沈まずに済んでいる因果な仕事だ。絶対に地獄に落ちると腹積もりをしている。教室という場の教員とは違う、社会という旅先への旅行案内業の方が近い。

チームプレイのかけらもない仕事だから、自閉症傾向の子やパーソナリティ障がいの子たちのつながりの壁と僅差の壁(のつもり)を、ひたすら信頼への信仰に似た祈りで越えている。ただ窒息しそうな水中から息継ぎをしたときのようなつながりが、私を支えてきた。

今、道の舵の取り直しをしていると感じている。当たり前と感じている「所属」なる世界を私は持っていないから、その舵取りは体験が基準になる。アンチョビが引き出した連想と考える私と、疑わずに進むことが出来た記憶という意味づけをすり合わせながら、茅ヶ崎市立図書館に書籍の交換に向かった。カフカ気取りかいなと思いつつ本を取り出していると、なんと禿げ頭になった中学時代の同級生に出会った。さすがに驚いた。

互いに茅ヶ崎が長い地元だから、行政職員を停年退職する前に何度か会っていた。だから久しぶりという程度なのだが、話を聞いた。行政職員になった同級生のうちの二人が病死していた。少し話そうかということになり、彼の仕事が終わるまでに、ビッグイシュー誌と、「『わーく』Online PicUp No.43」を駅の近辺だけ配布することに。

市社協・市議員団・市役所関係課・サポセン・高齢者包括支援センター2ヶ所と獣医1箇所を回った。楢葉町の被災猫の新しい飼い主さんのところまで、古い玉子の食料を持って行く母が信じられないのだが、食中毒救急入院させた病院だった。猫は元気を取り戻していた。

大根やら長ネギやらをぶら下げて、彼と合流し、ちょっと酒をと促す彼をなだめて、コーヒーを飲む。彼は同窓会に出ているらしく、当時の連中の話をしてくれた。私は昔、全共闘活動の洗礼を受けている。その関係もあって同窓会は疎遠だったが、彼の話は懐かしくもあった。逆に私の話はオタクのつなぎ合わせのような話ばかりだ。彼の仕事は少し接点があるので、何とかあわせてくれているのが悪くて、コーヒーをスプーンでゆっくりかき回していた。

「『わーく』No.43」は80部配布が済んだ。今回は高齢者向けの課題が多く、障がい者団体には主だった団体だけに配布した。

サポセンに立ち寄ったとき、「金曜ミニ・カフェ(7月)」の日程調整をした。日程の修正作業を終わらせてから寝る。

作業の進捗状況次第だが、明日、行けたら東京に出る・プライマリィケア連合学会に行ってくる。懇話会7月講師の件。

夜間傾聴>なし

(校正2回目済み)

コメント
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