2014/06/25 記
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やっと事が動き始めた。ふたつの団体が、話を聞いてくれることになった。競合するような話ではない。ひとつは主に高齢者向けであり、いわゆる医療関係。もうひとつは障がい者関係で、秋に準備している企画にお願いするものだからだ。あとは先方が会議にかけて、了承となれば、講師が決まる。
ただ、高齢者・医療の関係の団体は、医師や看護師という治療の核になる職種ではなく、社会的には地域ケアネットの周辺的職種になる。たとえば薬剤師さんのような職種だ。(薬剤師さんも来年は招待していくが。)
医師・看護師さん・医療関係者の団体にアクセスしていたが、被災地では、ひどい人手不足で中心人物は、被災地を離れられない。医師は謝金の金額が全く違っていた。
講師派遣をしてくれることが決まれば、次は地域ケアネットと、被災地の現状打開とのつながりを明確にして、茅ヶ崎の関係者の説得をしなくてはならないからだ。講師職種が端役…と、出席しないという認識不足が起きかねないからだ。被災地の現状について、広く見える立場にいる方たちだ。どうか会議の承諾が得られますように、そして被災者の長期避難生活に寄り添う被災地の現場が語れる方が選ばれますようにと、祈るような気持ちになった。
私が訪問したとき、相談に乗ってくださったのは、事務局長さんだった。ホームページでもわかるように、被災後3年余、仮設住宅生活を送る方の心のがんばりの限界、疲れが拡がっているとみる暗雲を察知しており、現在もまた活動継続している点で、私の思う懇話会の関心の中心と話題が接したように思えた。
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もう一件は、被災地の支部団体は活動継続しているが、団体全体としては、取り組みを引いている障がい者関係団体だった。以前から、資料などを分けていただいていた関係で、既知の方が仲介にたってくれた。こちらは、7月は無理と宣言されていたこともあって、まだ期間がある関係で、講師選択のみ始めてくれることになり、以後はメールで秋口実現の調整をとることに。
今日は慈恵医大眼科外来で、常備薬の補充をしてきたのだが、待たされて巡回時間がぎりぎりだった。だから深い話は2団体ともしていないが、他団体と異なり、3年目にして活動を完全終了することなく、被災地の今を語れる団体と、やっとコンタクトとることができたのだった。
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帰りは地下鉄が橋本に直結していたが、塾長が行方不明と知って、立ち寄る必要がなくなり、ならばと小川町の教材屋に顔を出し、東京駅まわりで帰宅した。
私の旧友がメールで「早く寝ろ」との指摘、感謝。今日は少し安心して眠れそうだ。「(寝ないのは)ネコ年だから」と悪態をついたが、今回ほど講師選択に難航することはなかった。まだ安心は出来ないのではあるが…。
●「東日本大震災 ボランティアによる支援と仮設住宅-家政学が見守る石巻の2年半」
を読んだ。家政学会プロジェクトというまた別個のアプローチがあることを知った。被災地の活動では、栄養バランス食の炊き出し提供という栄養士さんと重なるが、生活支援という独自の領域を取っているところが面白い。
夜間傾聴>ひとり(サッカーフアンなので、機嫌が悪い)
(校正2回目済み)