湘南オンラインフレネ日誌

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老老介護、介護者の老いということ/茅ヶ崎の野宿者の死

2010-02-17 17:49:57 | 引きこもり
父の排泄介護のことで、介護の先輩格の方と電話で話すことができた。精神科の看護師を長年努めてきた方で、現在は千葉のある特養ホームの副代表をされている。戸塚から総武線乗り換えがあるが、東京からはすぐ。総武線から再度乗り継ぎも無い駅に近いところなので、友人の紹介で頼んでみることにした。その関係で知り合った方だった。

父の体調の件、基本的には大腸の働きが弱まっているので、無理して整腸剤で軟便調整をするよりも、周期的な排泄に導いていくべきであること、歩けなくなったのならケアマネさんと話しあって介護度をあげて、積極的にショートステイを増やし、(老老介護なら)在宅介護ではなく、入所を急ぐべきという全然意外性のない話だった。ただ介護度3は、一番放置される位置なので、4なり5なりに上らないと、入所は難しいねという、これもいつも話していることを裏づける意見。

昨日(火)は特養(市外)を確率虚しいと知りつつ別に1件申し込んだ。父は月曜日のデイサービスから帰ったあと、私が夕食だと父の身体を揺するが目覚めず、異常ではないかと冷や汗をかいた。21時過ぎ、父がトイレに立った音と同時に椅子がひっくり返った。父はサイドテーブルにしがみついて、今にも転倒しそうな状態で、母に助けられた。またもや私の留守のときの出来事だった。排尿も間に合って大事に至らなかったが、父は緊張でネズミのように小刻みに足を震わせていたという。

父に関心が行っていることは注意していたつもりだが、こんなことが続いて疲労が溜まっていたのだろう。母は不注意な行動が目だってきた。細い廊下の壁に身体をぶつけて衣服を汚したとか、財布を置き忘れたなど、従来と異なるしくじりが始まっていた。

火曜日、父は前日のデイとの連続であるが、2泊3日のショートステイに出て行った。濡れた床を干すにはあいにくの、みぞれがちらつく雨空だった。私が父の着替えを始めていると、母は私の横の狭い隙間から、父の掛け布団を強引に引き出して、布団を椅子に引っ掛けて、椅子を倒した。このとき、足の親指をアザが出来るほど強く、椅子の下に挟みこんでしまった。

父には何が起きているのか分からず、ちょうど階段下にホーム職員のFさんが現れたことに焦り、着替え途中で立ち上がり、階段に向かって歩き出そうとし、私が制止、もつれてしまうという対立状態で、母が実質放置されていた。父をなんとか送り出した後、母は風呂場で足を洗って処置。痛むからとベッドに入ってしまった。

この日、私は巡回が1件、親御さんとの訪問相談が入っており、14時からは、私の右目の異常で東京の眼科に予約を取っていた。網膜色素変性症の専門医は少ない。偶然予約が取れたときに行かないと、また数ヶ月待たされてしまう。そんなことで、母を放置して東京に出てきてしまった。視野の中央部の霞みが急に濃くなったのだった。進行すると視力も低下する。父がいないのは幸いだった。

どうしたものか、いつもは2時間は予約でも待たされるのに、検査後10分も待たずに検診を受けることが出来た。確かに視野が狭まっていたが、目の疲れが出ているので、それが調子に影響するから仕事をやめるようにと注意をうけた。

冗談ではない。仕事をやめられるなら苦労は無い。結局、現在の点眼を確実に行うことと、寝る前に注す薬ひとつが増えて終わり。何回も、昼夜逆転と小刻み睡眠の状態だから、「寝る前に」というタイミングはないから、どうすればいいかと問うのに、やめなさいとしか言わない。医者としたらそう言うという場面の話ではなく、次の患者の時間になっているので、時計が気になってしかたないからうわの空という風なのだ。腹をたてて診察費をはらって、クリニックを出た。

探す気も無いので、近くのまずいラーメンを食べて、ともあれ早く終わったのだからと、ビッグイシュー東京事務所に立ち寄り、MさんやSさんと会ってきた。路上脱出ガイド(大阪版)の改訂版が欲しいので、分けてもらいに行ったのだった。

これも空振り。改訂版はまだ東京事務所に未到着だった。

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私が出かけるとき辻堂ビッグイシュー販売員のEさんから、中央公園のベンチ周辺で寝泊りしていたホームレスの方が、日曜日夜に亡くなったと聞いた。前から行政や支援者が病状を気にして入院を勧めていた方だったが、頑としてうけいれなかったという。しかし、この寒空、野宿は健康な方でも命が危ない、そんな寒い夜空の下で、亡くなったというのに、何も手助けが出来なかった虚しさは残る。Eさんとメールで話した。せめて畳の上でと考えるのは「自業自得の競争脱落者の世界、甘い」というのだろうか。無宗教者であるが、手を合わせ、目を閉じた。

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火曜日、新宿から相模大野の教室に立ち寄り、書類の受け渡しを済ませて、家に戻ろうとした。連絡したが母はいなかった。再度携帯に電話をすると、夕方まで白内障手術をした地元眼科と胃切除のケアを担当している地元医と通院のはしごをしてきたのだという。

足の指が痛いから、医者帰りの外食で済まそうと母から話があって、駅に近い中華料理の店で食事をした。まじまじと見る母は、胃切除後、ふたまわり小さくなった。ちょうちん・からかさというのだと自嘲していたが、父の次が待っているのだなと思って、料理の湯気たちのぼる天井を見た。親である、さっそく心を察知して、「そんなに簡単に耄碌(もうろく)しないよ」という。ばれてはしかたない。うなづいて、黙々と料理を食べた。

昨日は、誰も夜に連絡が入らなかった。溜まっていた作業を延々とこなしているうち、ついうとうととしていると、母が突然部屋に入ってきた。「まだ世話なんかにならないから、大丈夫だ!」と捨て台詞を言って出て行った。午前4時である。気にしてませんって。

夜間傾聴:2/15 ******君(仮名・こちらから)
     2/16 なし


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《入手した書籍》
★「文化と実践―心の本質的社会性を問う 」
★「トリエステ精神保健サービスガイド―精神病院のない社会へ向かって」
★「支援から共生への道 発達障害の臨床から日常の連携へ」


(校正2回目済み)
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