湘南オンラインフレネ日誌

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父の緊急対応と食事の制約の中を

2010-01-18 12:54:04 | 引きこもり
父の一日3回の食事の制約は大きい。母の手の症状もあるので、食事の大半は私が作っている。だから外出時には事前の準備が要る。母と段取りの確認をしないと、父は空腹のために、ふらりと階段を降りたり、室内で転倒巻き込み事件を起こす。糖尿病が空腹感を生み出している。

もうひとつは、介護経験者の多くが感じている「出にくさ」の問題がある。介護者がふたりとも外出するときは、SECOM の非常用ボタンを首から下げさせる。父にしてみれば、ボタンを下げさせられるときは、誰もいなくなるときだから、この際、やってもらいたいことをしてもらおうとする。介護者には、なぜ今、用事を増やすのかと気がもめる。予定時間が迫っているからだ。このやりとりが事故を生む。そのために外出が阻まれる。たとえ、ボタンを早めに下げさせても、父は聞き耳をたて、玄関を出ようとすると立ち上がり、転倒したり私を呼ぶ。結果は同じことになる。

昨日は昼食後、すぐにボタンを首から下げさせた。そのあと食器を洗って外出の準備をしていると、大音響が2階に響いた。ポータブルトイレを弾き飛ばし、尿バケツの中身は周囲に飛び散り、転倒した父は、そのトイレの木枠に、またつかまろうとしていた。次に起こることは父の腕の上に木枠が倒れてくることだった。制止が間に合った。

父に怪我は無いようだ。しかしこの後始末には段取りがいる。まず私が自分の衣類を脱がなくては、私が糞尿まみれになってしまう。ゴミ袋を拡げ、雑巾とペーパータオルを父の見えない位置に置く。タオルを見せると、ひとりのとき、、清拭にペーパータオルを使って、それを尿バケツに入れてしまうので、排泄物の始末のとき、分離にひどい手間がかかる。そのまま便器に流すとトイレが詰まってしまう。だから父の身近なところには、ティッシュペーパーや新聞紙も置かない。(ティッシュペーパーは繊維が長いのだ。)この紙の区別は、ティッシュの場合などは認知症発症前から、説明しても全く通じない。最後に介護用手袋をつけて、アルコールの滲みたクリンペーパーを持って、出陣となる。

この間、父の「物につかまる」身体引き寄せ行動を阻止し続けなくてはならない。ここは猛烈な戦いとなる。言葉で制止しても一切聴かないからだ。父を背後から羽交い絞め、それを振りほどこうとし、汚れている私の手に噛み付くほどの、壮絶な糞まみれの戦いである。怒りを納めるまで息を整えていく。帰りに食器の盆が震えて持てなくなるほどの消耗戦なのだ。これは母には無理だ。

父の清拭と着替え、原状回復を終えると1時間半が経っていた。会議も巡回も、今回のような企画も、一瞬にして消し飛んでしまう。しかし先方に介護の遅刻としか言いようがない。だから諸企画には、遅刻する可能性を読み込んだ選択肢を常に作っておく。しかし1時間半はカバーできない。無理だ。

茅ヶ崎市民文化会館小ホールの上映会会場にたどり着いたのは、終了10分前だった。網膜色素変性症の私の目には、暗い場内の様子はよく分からないが、前方にやや空席を感じるので約7~8割の入りと見えた。

この映画は知的障碍のサッカーチームの物語だが、画面では既に試合が終わり、個々の選手が自分の今後の希望を語る場面になっていた。しかしそのとき、選手のひとりが、子ども車椅子サッカーのコーチをしている映像が飛び込んできた。私が言う「ひとに関わることが情熱を生み出す」「ケア・パートナー」の場面だった。このやや非対象の相互関係が、挫折や迷いからの離脱に有効なのだ。これはひとの本源的な能動性なのだ。関わることによって自己変革をも遂げていくインタラクティブな動的過程である。

受付と数名のスタッフの方に呆れられながら、映画の終了のテロップが流れる中、次は15分遅れの、携帯を持たない藤沢のBさんの待つ茅ヶ崎サポセンへと飛び出した。こちらもBさんは帰ったあとだった。レターケースにメモ書きがあった。水曜日午後、藤沢のセンターにてとの指定。この時間は父がホームから帰宅する時間の30分前。設定が無理と応答したいが先方からの連絡を待つ以外、連絡が取れない。ともあれ、もうひとつの用事のビッグイシュー誌の在庫確認を済ませた。翌日の月曜日が支払日なのである。あすなろ会のTさんの書き置きがないかチェック。これも空転。帰路、中央公園を見てから帰ろうと顔を上げると、歩道の先にサポセンのMさんが見えた。私同様、上映会からの帰りだった。

中央公園では、あすなろ会のHさんとも出あった。Tさんが捕まらないと告げる。海老名巡回までは少し間があるので、とにかく駅ビルで夕食の食材を買い込み、コインロッカーに入れておこうと先を急いだ。Hさんには失礼したが、新年号が150部しか売れておらず、増部仕入れした250部の100部がそのまま残っている状態は異常だった。この件は次回の定例会に出すが、就職の研修があったEさんと、三賀日販売休止以降の再開が止まっているTさんのふたりの結果であり、見通しの甘さがあることは明瞭だった。次の号が送られている現状で、これを解消していく必要がある。返本を含んで調整することに。

海老名巡回はなんとか間に合った。しかし、センター試験でもめている彼の情報が忙しくメールに届き、海老名から相模大野に立ち寄るようにとの話はすべて断った。夕食の約束が母との間に出来ていないからだった。果たして夕食の準備があるからと言って職場の要請を断れるだろうか。この通じなさに家事介護の矛盾がある。センター試験君(仮名)のフォローの最中、父は階段をジャンプすることすらありうるのだ。

相模線読書とばかり、北村さんの著書の読み直しに開いた誌面の文字が恐ろしいことに何も読めないのだった。右目の視力低下の結果、同じ網膜変性症を発症している左目は注視の意志を続けないと読み取りの開始ができない状態だ。読みの惰性がつくまでの集中ができない。諦め観念して目を閉じた。

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求人情報の依頼話のひとつが帰ってきていた。某精神科病院の配膳係の仕事だった。Eさんの年齢は。やや希望年齢を超過していたが、Eさんには、これは先がないと思われた。同じ介護職なら、ヘルパー2級取得へと準備できそうな雑務清掃係からの方が職が有れば、先の道があるだろう。知人筋の打診を始めているが、これは今だ応答がない。父が帰って来る時刻まで、支払いが済んだら、入所の件でホームを1件まわる。そのときに聞いてみようと思っている。

父の引きずる足音が聞こえ、ポータブルトイレの蓋が大きな音をたてて閉まった。午前3時40分。あと1時間半ほどで夜間傾聴の待機時間が終わる。□□君から、もうひとりの彼の情報が入る。東京シューレと重なっている方だが、□□君は自宅からの通いの不便さから、シューレには行っていない。先方から手伝えと誘われているというので、やってみたいと思うのなら、やってみるとよいとこたえつつも、彼も自覚している通り進学への意志のぐらつきは、私も分かっていると告げた。改めて話そうということになったが、この時期、彼らの意思は常に揺れている。「□□君、トビタ、股裂きじゃん」は2つ、私は4つ裂きだ。残念でした。

夜間傾聴:□□君(仮名・傾聴ではない。)
     中央林間君(仮名・眠りの東林間、通過しないで済む方法は?)

p.s. iphone 3gs 用のDAISY が出来る。今夜は情報収集する。
   母に頼んでおいたETV、識字学級吉田一子さんのインタビュー番組、今夜観る予定。


(校正2回目済み)
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