お盆休みに入り、巡回も緊急時以外はストップしている。自分の時間が取れるので山積したチラシの整理をしていると、親の部屋の電話が鳴った。弟だった。弟夫婦がまもなく家に着くという。弟夫婦も子育てとともに、先方の親御さんの介護をしている。そんな関係で、父の介護には間接的に協力する以上の援助は受けられない状況が続いている。だからめったに家を訪れることはないのだが、体調がいいということで、親御さんをホームにシュートステイさせ実家を訪ねてきた。
私はこれを幸いと、父の補助を頼んでルーチンワークから抜け出した。県立図書館から借りている本の更新日が近づいていることもあって、とりあえず返却・交換する書籍をまとめて、横浜駅西口の県生涯教育センターに行くことにした。
茅ヶ崎市立図書館を経由すると時間がかかって、取り寄せ書籍は数ヶ月は待たされる。だから県立図書館直営窓口を利用する。
「若者の雇用・社会保障」脇田・井上・木下共著(June'08)
がすでに届いていた。反貧困ネットワークの湯浅誠氏が、第一部の現状分析を担当している。独立行政法人の関連機関からは、若者の雇用状況についての研究が出ているが、学会でも大学からのまとまった研究は書の指摘どおり少ないから、さっそく希望図書を出しておいたのだった。私の読書は、つまみ食いが多い。まとまった時間が取れないからだ。
実は横浜に出てのには、もうひとつの目的があった。坂田雅子監督の映画「花はどこにいった」を観に行こうと思いたったのだ。坂田さんの夫で、フォト・ジャーナリストだったグレッグ・デイビス氏が突然肝臓がんで亡くなった。ベトナム戦争を取材したとき、米国の空中散布した枯葉剤(Agent Orange)を浴びていた。突然の出来事で戸惑い、危険な場所を取材していた夫の足跡を追って追体験の旅に出た。その取材の記録である。
ジョン・バエズの「What Have They Done To The Rain」を聴かされると心がざわついてくる。60年代のベトナム反戦活動の空気を吸ってきた同世代のものとして、坂田さんの見たものを私も見てみたくなった。
黄金町からすぐの場末の映画館「ジャック・アンド・ベティ」は、社会波の作品を上映する小さな映画館である。おそらくこの作品に関心を持つ人は少ないだろうから、観客は私だけとかいう冗談を思いながら券を買ったのだが、案の定、観客は10名に満たなかった。同世代が見るとしたら、知り合いに会う確率が高いなと思っていたが、さすがにこの人数では出会うことはなかった。
ベトナムの大気が広がる画面で、ダイオキシン汚染による障碍児が生まれた家庭を回りながら、木が枯れようが枯れまいが、子どもに障碍があろうがなかろうが、子どもへの愛情は変わらない。そういう生活をもくもくと送るものへの共感が、次第に濃厚に映し出される。
ベトナムの取材から、坂田さんが何をつかんだのかはその辺から想像する以外ないが、私には私も関連してきた時代が頭をもたげ、中途で幕引きされてしまったような気分が残った。「汝、殺すことなかれ」から私はベトナム反戦に関わっていたのではない。殺し殺される双方のひとに家族がある。その相手に銃口を向けることは出来ない。そんな気持ちで全編を見終えた。
「花はどこへ行った」
レイチェル・カーソンの生涯を追体験する上遠恵子さんのドキュメント「センス・オブ・ワンダー:レイチェル・カーソンの贈りもの」を見たときも同質の印象を受けたのだが、特定の個人が個的体験を照らし合せるように追体験する作品は、そこに他者へと通底する地下茎をまさぐる志が無いと、観客は追体験のお供に過ぎなくなってしまう。私が映像から受けた印象は選択の余地の無い映像であり、その映像に託した意志の放つニュアンスはまずつかめないのだ。しかし戦争被害者として障碍者を描くのであれば、その平板な見え方を軽蔑していただろう。しかし、坂田さんは、汚染地帯に生きる家族の営みと共に生きるやさしさに気がついている。グレッグ・デイビス氏の見つめていた世界への入口に立ちましたね。続編を見せてください。
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夜間傾聴:中延君(仮名)
町田2君(仮名:こちらから)
(校正1回目済み)
私はこれを幸いと、父の補助を頼んでルーチンワークから抜け出した。県立図書館から借りている本の更新日が近づいていることもあって、とりあえず返却・交換する書籍をまとめて、横浜駅西口の県生涯教育センターに行くことにした。
茅ヶ崎市立図書館を経由すると時間がかかって、取り寄せ書籍は数ヶ月は待たされる。だから県立図書館直営窓口を利用する。
「若者の雇用・社会保障」脇田・井上・木下共著(June'08)
がすでに届いていた。反貧困ネットワークの湯浅誠氏が、第一部の現状分析を担当している。独立行政法人の関連機関からは、若者の雇用状況についての研究が出ているが、学会でも大学からのまとまった研究は書の指摘どおり少ないから、さっそく希望図書を出しておいたのだった。私の読書は、つまみ食いが多い。まとまった時間が取れないからだ。
実は横浜に出てのには、もうひとつの目的があった。坂田雅子監督の映画「花はどこにいった」を観に行こうと思いたったのだ。坂田さんの夫で、フォト・ジャーナリストだったグレッグ・デイビス氏が突然肝臓がんで亡くなった。ベトナム戦争を取材したとき、米国の空中散布した枯葉剤(Agent Orange)を浴びていた。突然の出来事で戸惑い、危険な場所を取材していた夫の足跡を追って追体験の旅に出た。その取材の記録である。
ジョン・バエズの「What Have They Done To The Rain」を聴かされると心がざわついてくる。60年代のベトナム反戦活動の空気を吸ってきた同世代のものとして、坂田さんの見たものを私も見てみたくなった。
黄金町からすぐの場末の映画館「ジャック・アンド・ベティ」は、社会波の作品を上映する小さな映画館である。おそらくこの作品に関心を持つ人は少ないだろうから、観客は私だけとかいう冗談を思いながら券を買ったのだが、案の定、観客は10名に満たなかった。同世代が見るとしたら、知り合いに会う確率が高いなと思っていたが、さすがにこの人数では出会うことはなかった。
ベトナムの大気が広がる画面で、ダイオキシン汚染による障碍児が生まれた家庭を回りながら、木が枯れようが枯れまいが、子どもに障碍があろうがなかろうが、子どもへの愛情は変わらない。そういう生活をもくもくと送るものへの共感が、次第に濃厚に映し出される。
ベトナムの取材から、坂田さんが何をつかんだのかはその辺から想像する以外ないが、私には私も関連してきた時代が頭をもたげ、中途で幕引きされてしまったような気分が残った。「汝、殺すことなかれ」から私はベトナム反戦に関わっていたのではない。殺し殺される双方のひとに家族がある。その相手に銃口を向けることは出来ない。そんな気持ちで全編を見終えた。
「花はどこへ行った」
レイチェル・カーソンの生涯を追体験する上遠恵子さんのドキュメント「センス・オブ・ワンダー:レイチェル・カーソンの贈りもの」を見たときも同質の印象を受けたのだが、特定の個人が個的体験を照らし合せるように追体験する作品は、そこに他者へと通底する地下茎をまさぐる志が無いと、観客は追体験のお供に過ぎなくなってしまう。私が映像から受けた印象は選択の余地の無い映像であり、その映像に託した意志の放つニュアンスはまずつかめないのだ。しかし戦争被害者として障碍者を描くのであれば、その平板な見え方を軽蔑していただろう。しかし、坂田さんは、汚染地帯に生きる家族の営みと共に生きるやさしさに気がついている。グレッグ・デイビス氏の見つめていた世界への入口に立ちましたね。続編を見せてください。
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夜間傾聴:中延君(仮名)
町田2君(仮名:こちらから)
(校正1回目済み)