2015/05/23 記
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母が昨日の訪問強制買取り経験から、ひとりのときの対策を考えてくれと言い出した。携帯電話を肌身離さず持っていることも大事だが、室内にいれないことだと説明した。
よくある事例では、「トイレを貸して欲しい」と言い出し、用を済ませてから戻るときに、巧妙に茶の間に座り込むという手口がある。そのときは、急いで外に逃げ出し110番するのがいい。相手をしてはいけない。盗難があれば、彼は不法侵入から強盗になり実刑となる。
彼らは交渉のシュミレーションをしてから、仕事についている。説得しようなどとは思ってはいけない。
母は不服そうにうなづいた。
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包括支援センターは今日は休みだが、地域医療に関心のある開業医の**先生は午前中診察しているので、訪ねていいか確認電話をいれて、午後にお時間をいただいた。以前、私の祖母の往診の件で無理をお願いしたことがあった。
話は、懇話会への参加要請と、個人医療情報QRカードへのアドバイスをいただくことにあった。ひととおり説明を聞いてもらったが、即答はもらえなかった。医師会への仲介をお願いできないか頼んで、それでも話は30分近く聞いてもらえた。期待せずに待つことにした。
懇話会ゲスト講師をこれから福島に説得しにいくが、その結果より、湘南の側の受け入れが心配なのだ。いつもこの不安と闘いながら、納得の行く人選を心がけ、懇談の必要性を説いて回ってきた。
阪神淡路の時、有珠山噴火のとき、そして今回の3.11のときも同じ轍を踏んでいることが私には見えてしまう。今回はそれでも障がい者保護の話が浮かび上がってきた方だが、それとて安全避難話以外に避難後の困難と対策の話となると、部外には話が聞こえてこない。私は自分が軽度の視覚障がい者であるが、家族に障がい者を抱えているわけではないし、仕事の上でも手帳を持っていない若年層の方の教育とケアは、地元に受け皿がない。障がいの領域を超えて連携する場がない。個別にあたるとき、この災害対策の経験差が必要性の感じ方に齟齬を生む。
だが必要なものは必要。3.11も4年目を超えたが、災害弱者の保護を保護を具体的な方策に無図美つけるとき、相手の連想する災害からの安全避難だけのイメージから判断を下す浅さを超えて、避難後の困難に目を向ければ、手を打てることが見えてくるから、「防災=安全避難」という頑固な発想枠をはずしていかなければならないだろう。
福島に出て行く足は、実はすくんでいる。しかし、良質な情報体験企画を立ち上げ、リスクを受け入れることを念じている。
夜間傾聴>ひとり
塾長
(校正1回目済み)