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☆秋山駿「私小説という人生」感想

2009年02月23日 01時06分24秒 | 文学
私小説という人生NHK大河ドラマの「天地人」はちっとも面白くならないのだが、今日は小泉孝太郎の芝居を興味深く見ていた。
このひとの演技を僕は他で見たことがないのでいつもこんな感じなのか、今回だけ意図してこんな感じなのか分からないのだが、どういう感じかというと素人くさい。こどもふうの、はつらつとした演技をしようとしてこんな芝居をしていますという意図がよく分かる。
妻夫木聡にはそんなことを感じないので妻夫木聡はうまいのだろうな。
最近島崎藤村あたりの私小説に興味があるので、加藤典洋の「文学地図」を読んだ時にも秋山駿の「私小説という人生」(新潮社)という本を見逃さず、図書館で借りて読んだ。
小説というものはこんなものだろうという思いで書いている小説家というものがたぶんいて、それは芝居というものはこういうものだろうという思いで演技している小泉孝太郎のようなものだろうと思うのだが、こっちがそれをだんだんわかってくるとその絵空事が馬鹿らしくて読めなくなる。
田山花袋はドストエフスキーの「罪と罰」のような、主人公が殺人を犯すような劇的なことを描くことをせず(自分はそのような経験をしていないので)、自分の日常をなんとかして小説にしようとしたところがえらいと思った。少し興味を持った。
二葉亭四迷の「平凡」の引用を読んでいると、まるで高橋源一郎のような文章だった。あまり好きではない。しかしなんかすごい。
樋口一葉を僕は一生読むことはないのではないかと思った。どうしても読めない。

この本はドストエフスキーの「罪と罰」と小林秀雄の「ゴッホの手紙」の話が異常にたくさん出てくる。ほとんどそれについての評論のような本だった。
秋山駿は小林秀雄が好きなんだなあ。(僕も好きだけど。)
他に、取り上げられている本では正宗白鳥の「自然主義文学盛衰史」を読んでみようと思った。
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