村上春樹の初期の短編集「中国行きのスロウ・ボート」(中公文庫)をすべて読み終えた。
以下は、後半の三つの短編のそれぞれの感想。
「午後の最後の芝生」
語り手が芝生を刈りに行く客は、浦沢直樹の漫画「MASTERキートン」に登場しそうな、ドイツ風の太ったおばさんを想像した。低い声を出しそうな雰囲気。
具体的にイメージさせる。
(恐らく)死んだ娘の部屋の雰囲気もよく伝わってくる。
うまいなあ。
「土の中の彼女の小さな犬」
彼女のなかで犬はまだ死んでなくて、語り手に手の匂いを嗅がれたことでやっと死ぬ。
この短編に限らず具体的な数字が(机が四十個並んでいたとか)書かれていて、そういう風に具体的にイメージすることは読者にとってよりも、どちらかというと作者にとって必要なことなんだろうな、と思う。書き手が具体的にイメージできていることが大切なことなんだろう。
「シドニーのグリーン・ストリート」
羊男(ひつじおとこ)が登場する。
挿絵のせいか宮沢賢治の童話を思わせる。特にひらがなで書かれた私立探偵の看板のあたり。
しかしこういうものを読むとフロイトの心理学は万能ですばらしいと思ってしまう。(もちろん嘘です。)
以下は、後半の三つの短編のそれぞれの感想。
「午後の最後の芝生」
語り手が芝生を刈りに行く客は、浦沢直樹の漫画「MASTERキートン」に登場しそうな、ドイツ風の太ったおばさんを想像した。低い声を出しそうな雰囲気。
具体的にイメージさせる。
(恐らく)死んだ娘の部屋の雰囲気もよく伝わってくる。
うまいなあ。
「土の中の彼女の小さな犬」
彼女のなかで犬はまだ死んでなくて、語り手に手の匂いを嗅がれたことでやっと死ぬ。
この短編に限らず具体的な数字が(机が四十個並んでいたとか)書かれていて、そういう風に具体的にイメージすることは読者にとってよりも、どちらかというと作者にとって必要なことなんだろうな、と思う。書き手が具体的にイメージできていることが大切なことなんだろう。
「シドニーのグリーン・ストリート」
羊男(ひつじおとこ)が登場する。
挿絵のせいか宮沢賢治の童話を思わせる。特にひらがなで書かれた私立探偵の看板のあたり。
しかしこういうものを読むとフロイトの心理学は万能ですばらしいと思ってしまう。(もちろん嘘です。)
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