Francis Scott Key Fitzgerald という長い名前を持つフィッツジェラルドの代表作は言うまでもなく『偉大なギャッツビー(グレートギャッツビー)』であるだろう。映画でも観たし、1920年代という大戦の合間の米国にとって資本集積が進んだ繁栄の時代だった。その時代の寵児ともいうべきフィッツジェラルドは長編小説こそ自分の書くべき仕事と思っていたらしいが、それほど多くはない。『夜はやさし』は成功作なのだろうか。賛否両論。
未完の長編『ラスト・タイクーン』は未完部分のプロットを読めば、書き切っていれば名作になったとも言われる。書き始めた時には、第二次大戦が勃発していて、もはや美しく強い国は泥まみれになりはじめていた。
どうも、夫妻(夫人はゼルダ)ともに浪費癖があり、もらったおカネはすぐに使う主義であったため、長編小説では印税が遅れてしまうため、短編小説を書きまくって金策を回していたようだ。そして、徐々にネタが切れてきて読者は離れていき、ついにどこの出版社も原稿を買ってくれなくなるのである。
本書「バビロン再訪」は表題作と「メイ・デー」、「富豪青年」の三作を収録している。いわゆる「古き良きアメリカ」。トランプ政権の目標とする世界だ。当時は米国民は3グループに分れていた。「成功者」「普通の白人」「貧乏な黒人」。本書には実は、黒人は登場しないといっていい。第一グループと第二グループのみ。
現代は、白人と黒人だけではなく、ヒスパニックAとB(不法入国)、ITの得意なインドや中東系、大統領になってしまうアフリカ系とか、相変わらず仲間内だけで閉鎖的に生きる日系、韓国系、中国系とか、入り混じってしまい、人種や国籍をテーマとして小説を書くことは困難を極めることになっている。
「メイ・デー」はいわゆるメーデーの日に左翼系新聞社が酔っぱらった帰還兵の襲撃を受けるが、逆に帰還兵1名が窓から落ちてなくなる事件を描いている。
残り二作は、白人青年たちの成功者と敗残者の悲哀がテーマで、まさに今日的とは言えるのだが、米国はこの小説が発表された少し後に大恐慌に襲われ、成功者の大半が敗残組に編成替えになった。
未完の長編『ラスト・タイクーン』は未完部分のプロットを読めば、書き切っていれば名作になったとも言われる。書き始めた時には、第二次大戦が勃発していて、もはや美しく強い国は泥まみれになりはじめていた。
どうも、夫妻(夫人はゼルダ)ともに浪費癖があり、もらったおカネはすぐに使う主義であったため、長編小説では印税が遅れてしまうため、短編小説を書きまくって金策を回していたようだ。そして、徐々にネタが切れてきて読者は離れていき、ついにどこの出版社も原稿を買ってくれなくなるのである。
本書「バビロン再訪」は表題作と「メイ・デー」、「富豪青年」の三作を収録している。いわゆる「古き良きアメリカ」。トランプ政権の目標とする世界だ。当時は米国民は3グループに分れていた。「成功者」「普通の白人」「貧乏な黒人」。本書には実は、黒人は登場しないといっていい。第一グループと第二グループのみ。
現代は、白人と黒人だけではなく、ヒスパニックAとB(不法入国)、ITの得意なインドや中東系、大統領になってしまうアフリカ系とか、相変わらず仲間内だけで閉鎖的に生きる日系、韓国系、中国系とか、入り混じってしまい、人種や国籍をテーマとして小説を書くことは困難を極めることになっている。
「メイ・デー」はいわゆるメーデーの日に左翼系新聞社が酔っぱらった帰還兵の襲撃を受けるが、逆に帰還兵1名が窓から落ちてなくなる事件を描いている。
残り二作は、白人青年たちの成功者と敗残者の悲哀がテーマで、まさに今日的とは言えるのだが、米国はこの小説が発表された少し後に大恐慌に襲われ、成功者の大半が敗残組に編成替えになった。