「漂流ものがたり」は本当に悲しい

2017-03-05 00:00:00 | 美術館・博物館・工芸品
国立公文書館で開催中(~3/11)の『漂流ものがたり』を観に行く。公文書館だから、数多くの江戸時代の漂流事案について、幕府や各藩に残る記録を集めて、少しだけ解説がつけられている。ある程度の知識があれば、ああ、あの事件はこういうことだったのかとさらに面白くなるのだが、漂流した人たちからすれば、命がけの苦労を楽しむな!といいたいところだろう。

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ただ、歴史上の記録に残るということは、ある意味幸福なことではあるし、何しろ大部分の漂流者はネバーリターンになっているわけだ。何しろ大部分は太平洋側の沿岸を航海中に嵐になり、転覆しないように荷物を捨て、帆柱を切り倒してしまうしかなく、そうなると、潮に流されるだけで、運よく島に着くか北太平洋永久巡回の旅になるかだ。もちろん島に行き当たる可能性はきわめて少ない。

実際に、多くが助かった例で小説にもなったものは、ジョン万次郎とかアメリカ彦蔵、そしてモスクワまで旅をした大黒屋光太夫が有名だが、その大黒屋の漂流の11年後にやはり若宮丸という船がアリューシャンに漂着。彼らは大黒屋と同じように大陸を陸路モスクワに向かうが、やはりイルクーツクで現地に住み着いた漂流民が通訳に当たる。つまりさらにもう一隻も漂着していたわけだ。生き残った津田夫他はマゼラン海峡経由でハワイ、カムチャッカ経由で長崎にたどり着く。

また、おぞましいのが鳥島。ここは無人島だった。運よくたどり着いたとしても何もない。雨水を貯め、アホウドリを捕まえて食べるしかない。そして数十年に1隻のパターンで漂着すると、前の漂流組の生存者が一人残っていたりする。そして、全員で船を再建し、脱出を図り、かなり成功したわけだが、失敗した人の記録は残らないから成功率は計算できない。

そして、本展で明らかになったある種の漂流者が悲惨だ。日本に漂着した漂流者、それも女性が二人だ。


うつろ舟の女 第一号

1698年、浅野内匠頭の殿中ご乱心の3年前、今の豊橋(三河)の海岸に「ウツホ舟」が漂着。へさきに男の首がさらされていて、舟の中には女が一人。言葉も通じず、長崎へ送還した。幕府の記録に残っているが、本展ではそれ以上の資料がないため、よくわからない。

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うつろ舟の女 第二号

1803年茨城県神栖(常陸)に香合のような船が漂着。上がガラス障子で、底は鉄板だそうだ。図も残っていて、これではUFOの円盤というか川から流れてきた桃の実といった形で、中には水と食糧と女性が一人、そして四角い箱が一つ。

地元の古老の話により「蛮国の王の娘で、嫁ぎ先で密通の罪を犯し、流されたのだろう。昔も同様の例があり、箱の中には男の首が入っているのだろう」とのことになる。

そして、幕府に届け出ると、長崎まで送れ!ということになり藩の費用がかかるため、再び女を舟に乗せ、沖へ引き出したということだそうだ。舟に書かれた文字から、この蛮女はイギリスかオランダかアメリカの王の娘ではないかと推測していたようだ。

地元の古老の耳に、前述の105年前の豊橋の話が届いていたのか、あるいはその前にもUFOが流れてきたことがあったのだろうか。

一回目も二回目も事実の全貌はわからないままなのだが、特に二回目の方のお姫様の漂流旅行がアリューシャン列島のどこかの島で終わっていたことを祈りたいものだ。