イトカワと糸川英夫

2012-08-30 00:00:24 | 市民A
「はやぶさ/HAYABUSA」DVDを観た後で、少し気になって糸川英夫氏のことを調べてみた。1912年生まれということは今年が生誕100年にあたるのだが、百年記念の行事などはないようだ。1999年に亡くなられているので87歳ということになる。日本の「ロケットの父」と呼ばれるそうだが、本当は「糸川博士」と書きたいのだが、博士号を取得したという記述は確認できなかった。

itokawa


そして、実は彼の講演会に行ったことがあるのだが、それはもちろんロケット開発者の時代ではなく、アカデミズムから離れ、「逆転の発想」という著書で大もうけした後の、逆転発想の講演会の話だ。ロケット開発が失敗の克服の成果と言われるように、マイナス要素をプラス要素としてとらえる発想の転換が必要ということだった。講演の中には、当時、先生が熱中していたクラシックバレエの話もあったが、いまだによくわからないままである。

調べているうちに気付いたのが、糸川先生がロケット開発を始める前の時代。中島飛行機(現在の富士重工)に勤務し、数々の軍用機を設計したそうだ。そして、33歳で終戦を迎え、大学でロケット工学を始めた。

最後に設計した陸軍の戦闘機が「隼(はやぶさ)」である。

小惑星イトカワの探査船に付けられた名称が、「はやぶさ」。完全に符合している。ただし、「はやぶさ」が発射された段階では、まだ小惑星には「イトカワ」という名前は与えられていなかった。

経緯は偶然なのか蓋然なのかわからないが、昨今の東アジアの対日問題からいえば、クレームがでなかったのが不思議だが、単に気が付かなかっただけなのかもしれない。


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