偏愛文学館(倉橋由美子著)

2008-12-19 06:38:47 | 書評
2005年7月に発表された彼女の文芸評論。その後、文庫化されたものを読む。

文芸評論といっても、小林秀雄や江藤淳みたいのではなく、ずばり「読書感想文」。その読書感想文の感想文をここに書いているのだから、妙だ。



読書というのは、一応、文化的な市民(と自覚している人)には、数ある趣味の中の一つに加えておかなければならないものの一つだが、結構、好き嫌いがはっきりする分野である。案外、小説などの場合でも、『ストーリー』の拙稚よりも、『文体』の好みという方が大きいように思っている。『文体』のよってくるところを書くと、いわゆる『文体論』の世界に入って、とんでもないことになるが、思い切って一言でいうと、『作家の体臭』みたいなものだろう。

よく有名人の離婚の原因に『性格の不一致』とか法律用語が使われるが、あれも本当は『体臭が鼻に合わない』というようなことではないかと想像できる。婚姻関係では、だからといって、すぐに離婚したりしないで、別のまっとうな事由が発生するまでじっと我慢するのだろうが、こと書物を手にする、という読書の第一歩について言えば、「嫌いな作家の本は読まない。だから書評もない。」ということだろう。まさに本著は、倉橋由美子が、自分の好きな本だけを取り上げているのだから、否定的な話は書かれていない。

ネガティブな酷評がなければ、面白くないじゃないかといえばそうでもなく、好きな本を列挙している中に、あちこちに、嫌いな作家や文豪への嘲笑が読み取れる地雷や毒汁が含まれている。

彼女に斬られた作家は、

石川淳=浅薄、夏目漱石=弟子にとりまかれた文豪などならず、大学教授になればよかった、カミュの異邦人=翻訳が格調高過ぎ、パトリシア・ハイスミス=容姿は怖いオバサン、日本には元作家で政治家になって、また元作家になった人が一人いる(?)、元大蔵省の役人で大作家になれたかもしれない人(MISHIMA?)。

作家という同業者のことを、こんなに侮辱的に書いてもいいのだろうか。こんなこと言っていたから、なかなか文学賞にありつけなかったのだろう、と思うのだが、後で考えれば、この本が上梓されたのが2005年7月。長く心臓の難病と戦っていた彼女はその一ヶ月前に69歳で他界している。晩年は、もう長編を書くことはなく、一冊ずつを人生のハードルのように跳んでいたようだ。

それにしても、そういう状況下で、『無人島に持って行きたい一冊』とか『5年に一回は読み返したい一冊』とか、そういう表現がよくできるなあ、というのが実感なのだが、初期の太宰より晩年の太宰に共感できるというのが、思わず表出した彼女の心の無念なのかな、と勝手に思うことにする。

本著で紹介された作品は以下のとおりだが、なぜかその多くは読んだことがある。もちろん、読んだものの、ほとんど覚えていないのだから、彼女がいうように5年毎に読み直せばいいのだが、読んでいない作品を手にすることからはじめようか、と、思っている。

◎夏目漱石『夢十夜』
◎森鴎外『灰燼/かのように』
◎岡本綺堂『半七捕物帳』
◎谷崎潤一郎『鍵・瘋癲老人日記』
◎上田秋成「雨月物語」「春雨物語」
◎中島敦『山月記 李陵』
◎宮部みゆき『火車』
◎杉浦日向子『百物語』
◎蒲松齢『聊斎志異』
◎『蘇東坡詩選』
◎トーマス・マン『魔の山』
◎『カフカ短篇集』
◎ジュリアン・グラック『アルゴールの城にて』
◎同『シルトの岸辺』
◎カミュ『異邦人』
◎コクトー『恐るべき子供たち』
◎ジュリアン・グリーン『アドリエンヌ・ムジュラ』
◎マルセル・シュオブ「架空の伝記」、ジョン・オーブリー「名士小伝」
◎サマセット・モーム『コスモポリタンズ』
◎ラヴゼイ『偽のデュー警部』
◎ジェーン・オースティン『高慢と偏見』
◎『サキ傑作集』
◎パトリシア・ハイスミス『太陽がいっぱい』
◎イーヴリン・ウォー「ピンフォールドの試練」
◎ジェフリー・アーチャー『めざせダウニング街10番地』
◎ロバート・ゴダード『リオノーラの肖像』
◎イーヴリン・ウォー『ブライツヘッドふたたび』
◎壺井栄『二十四の瞳』
◎川端康成『山の音』
◎太宰治『ヴィヨンの妻』
◎吉田健一『怪奇な話』
◎福永武彦『海市』
◎北杜夫『楡家の人びと』
◎澁澤龍彦『高丘親王航海記』
◎吉田健一『怪奇な話』

なお、この中で私のベストスリーを選べば(順番はないが)、『高丘親王航海記』 、『海市』、『恐るべき子供たち』だろうか。


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