佐世保プールサイド乱射事件について

2007-12-16 00:00:07 | 市民A
まだ、事件の動機・原因・深因などについて明らかになっていないため、後で読むと、的外れになる部分もあるかもしれないという前提で、自分的に考えてみる。

犯人は三丁の散弾銃のうち、二丁を車に残し、残る一丁で自殺したわけだが、怨恨などの理由で犯罪を起こすのが目的で、副意的に自殺したのか、あるいは自殺が主目的で、そのための何らかの儀式として乱射があったのか。このいずれかを特定するのは非常に重要だと思う。

複数の友人をスポーツクラブに呼び出して、事件の被害者だけが災難にあったことを考えれば、先に自殺目的があったのではないだろうか。犯人が亡くなっているので、簡単にはわからないかもしれないが重要なポイントである。

仮に、自殺目的と考えた場合は、さらに二つの観点が必要だ。まず、「道連れ」になった方はたまらないということ。先日も池袋とか浜松町でビルから飛び降りた人間の犠牲になった方が続出した。犠牲にまでならなくても、人身事故とかで月曜の朝、数万人が1時間電車に缶詰になったりするのも、このケースだ。まあ、思いつめると他人に迷惑をかけるとか思わないのだろうか。

次に、なぜ、自殺するかということなのだが、このテーマは重過ぎるので書くつもりもないが、自殺者の多くは、ある種、精神的に一時的あるいは長期的疾患を持っている場合が多い。まあ、痛い思いをして直ぐに死ななくても、どうせいつかは死ぬのだから、頭がぼけるか、モルヒネ漬けになるまで待っていればいいのに、と思うだけだ。

そして、犯人の様子が前からおかしく、銃を持って出歩いていることまで警察に通報されていたのに、野放しにしていたことは、とうてい許されないだろう。銃の所有自体、狩猟、スポーツ、美術品鑑賞という目的に限られているのにかかわらず、日頃、何の目的もなく銃を持ち歩く行為など、規制できるのではないだろうか。しかも、散弾銃3丁、空気銃1丁。おそらく、買いたければ何丁でも買える仕組みなのだろう。一小隊分でも可能かもしれない。


それで、ブログだから好き勝手書くのだが、元々、銃とか狩猟とかいうのはほとんど男性がやっている(パトリシア・コーンウェルの小説では、女性検屍局長が拳銃を乱射して、事件を解決するが)。こういう攻撃的な行為は、男性ホルモンによるのだろう。一方、男性ホルモンが多すぎると頭が薄くなるのと同時に凶悪犯罪性を増して行くわけだ。つまり、より危険な人間こそ、銃を持ちたがるし、銃を持つことができるわけだ。


もう故人になったので、書いてもいいだろうと思うのだが、ずっとずっと以前、学校を卒業して最初に入った会社の担当の年配役員が、ある日、何らかの原因で銃が欲しくなったわけだ。そして、色々と仕事時間中にパンフレットを読んだりしていて、とうとう御当局の許可が得られ、新宿銃砲店に銃を買いに行ったわけだ。もちろん勤務時間中だ。銃を手に入れたことが、あまりにも嬉しかったのか、自分の机の横に置き、部下と目が合うと、銃で狙いを付けたりするわけだ。「おおたく~ん」とか言われて顔を上げると、銃口がこちらを向いている。もちろん勤務時間中だ。今、思えば、シベリア抑留経験があるとか言っていたから、何らかの銃に関する異常体験が、彼に銃を買わせたのだろう。もちろん彼の最後の儀式には行かなかった。頭は、いわゆるO型HAGE。

次に、ずっとずっと昔の友達の友達の友達の友達の話。a friend of friend of friend of friend。「ピストルの分解掃除」が趣味の人がいる、とか風の噂を聞いたことがある。もちろんただの噂だろうとは思う。なにしろ、表に出ない話だが、戦前は日本もアメリカのように銃の所有は自由だったらしい。その中でたいていの人は政府による金属調達の時に提出。一部、秘匿されたものが戦後に残っているらしいのだ。もちろんピストルは、目的が対人用なので、日本では禁止になっている。こちらも故人のはずだ。


で、銃規制と言えば、アメリカではライフル協会が大反発するのだが、日本では、もう少しで首相に手が届いた麻生太郎氏がクレイ射撃の五輪選手だった。ところが、首相の座は打ち落とせず、椅子に座っているのは福田康夫である。近い将来、今を振り返ってみると、「銃を規制したことだけが福田内閣の功績」とでも言われるかもしれないが、しっかりやってもらいたいものだ。もちろん自殺対策も含めてだ。

↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


将棋の反則について

2007-12-15 00:00:19 | しょうぎ
先日、某棋士の方から聞いたのだが、プロの世界では「二歩」について、「投了優先」なのか「二歩即負け」かどうかはっきり決まってなく、棋士総会で、ある九段から「二歩即負け」をルール化するように何度も提案がなされているそうだ。実際にはあいまいになったままらしい。どういうことかというと、例えば先手が二歩を指しても、すぐに後手が気付かずに手が進んで、後手が投了した場合、二歩を打った段階に遡り、後手の勝ちにするのか、あるいは投了優先で先手の勝ちになるのか、ということ。アマチュアの場合は、棋譜が残らないので投了優先になるが、プロは棋譜を遡れば動かぬ証拠になる。

棋士総会では、「そんなことはプロ同士では起こらないので、起きてから考えればいいのじゃないか」という空気が強かったそうだが、実際には、二歩のあと数手進んだ例があるらしい(記録に残っているかどうかは不明)。


ところで、プロ将棋の反則で一番多いのは無論、二歩である。しかし、二番目以降は色々とあって、駒の行き先間違え、連続二手指し、時間切れ、最近では、待ったまで登場。

しかし、実際にルールブックに書かれている反則は、今のところ4種類である。「二歩」、「打ち歩詰」、「行き所なき駒打ち」、「連続王手の千日手」。この4つに絞れば、二歩だけが「うっかり」という反則で、その他3つの禁については、ルールを知っていれば反則するわけないはずだ。

ここで、プロの話から離れて、個人的な反則史について書いてみる。

まず、記憶に頼れば、自分で反則して負けた回数と相手が反則して負けた回数では圧倒的に相手の反則の方が多い。もっとも、反則で負けた数回のうち一局は、県の中学生名人戦の決勝での二歩。それも相手の王を囲いから追い出し、中段に包囲して、最後に頭の上に、何か前に進む駒を乗せれば、同銀、同銀、同金、同金・・・というようになって、自分の方が一枚多いから詰み、という局面で、駒台の上に不運にも飛車と歩兵が1枚ずつ。つい安い方を打ったら二歩だった。

まあ、ショックでその後、何年も将棋休眠に入ったのが良かったのか、悪かったのか。


逆に、極めつけの反則勝ちというのがある。まあ、かなりあり得ない話だ。5人一チームで参加する職団戦で起きる。確かBクラスの時だったと思うが、同時進行の5局中4局が終了。2勝2敗となり、最終盤の私の対局をギャラリーが取り囲んでいる。どちらの王も詰みそうで詰まない形になっていて、とりあえず敵玉に詰めろ、と迫る。ところが、詰めろ、詰めろと迫っていって最後に受けがなくなるのかどうか、はっきりしない。ということは、逃げ切られて、まずいわけである。といって、自分の王様はすぐに詰まないものの、受けは難しい。はて、・・。と思いながら、詰めろをかけたところ、受けずに、いきなり私の王様に王手を掛けてきた。ところが、この王手は、いくらでも続くのだが、上記第4番目反則である「連続王手の千日手」コースである。

もちろん、千日手コースに入っても、同一手順の繰り返しが4回目になると「千日手」ということが認定され、普通は指し直しになる。指し直しというのも困ったものだが、連続王手の場合は指し直しではなく反則である。リセットボタンを押したら二度とパソコンが立ち上がらなくなるようなもの。明らかに相手がこのルールを知らずに、引き分けに持ち込もうとしていることがわかる。まわりの敵味方のギャラリーからの妙な圧力や念力を感じる。

しかし、問題は、その将棋には棋譜がない、ということ。禁断の千日手コースに進みつつ、頭の中で色々な戦略を考えなければならない。つまり4回目になったところで、一方的に「王手の千日手だから反則負け!」と宣言した場合、「まだ3回目だからセーフだ」、とか敵側ギャラリーから言われかねない。それでゆっくり循環手順を進めながら考えた作戦は、3回目の時に、小声で、「あと一回か・・」とささやく。そして、4回目になった時に、「千日手ですね」と小声で言うと、狙い通り、「そうですね」と認めてくれたわけだ。そして鬼の一言が出るわけだ。

「反則です!!!」

もう一つ、これも団体戦だったが、やはり寄せ合いになって、敵の王を連続王手で詰めなければ勝てない状況だった。しかし、いくら読んでも僅かに詰まない。ただ、読みの中でわかっていたのだが、途中で1回、二歩を打てば詰むのである。さらにその二歩は打って直ぐになくなるわけ。もちろん後で感想戦なんかやるとバレるわけだが、局面をぐちゃぐちゃにしてしまえば解らない可能性大。あるいは、盤上に持駒をわざと落として、乱れた盤面を元の位置に戻す時、あらかじめ自陣の歩の位置をごまかす、という方法も考えてみた。

まあ、実行しなかった。一応、美学は捨てていないので。

881281b2.jpgさて、12月2日出題分の解答。

▲8八銀 △同玉 ▲7八金 △9九玉 ▲8九金 △同玉 ▲8八金打 △9九玉 ▲9八金 △8九玉 ▲9九金 △同玉 ▲8八銀 △8九玉 ▲9八銀 △同玉 ▲9九歩 △8九玉 ▲9八銀まで19手詰。

本題の最初のポイントは、初手の▲8八銀に対して、△8六玉と逃げた時。▲7七銀 △7五玉 ▲6六銀 △6四玉に▲6五銀(限定打)と銀三枚を先に打って、以下詰む。まず、この▲6五銀を見つけないと前に進まない。

二手目が△8八同玉と決まれば、あとは注意深く金と銀を打っていくのだが、最初に金だけを三枚打って、銀三枚を後に残すというのがコツ。

詰め上がりは、中に王様の入った石室ができあがるのだが、真部九段追悼のためには問題がある。玉が下向きで地獄へ落ちそうだ。また、若い時は宴会での逆立ち芸が得意だったそうだが、30台半ばから首の病気に悩まされる。逆さまにしたままでは、あんまりなので、詰め上がり図は天地逆転で表示してみた。


881281b2.jpg今週の問題は、以前、擬似作を掲載したことがあって恐縮だが、軽いピッチで淡々と追っていくと、少しずつ詰将棋的な手が現れていく。よくある表現で言えば、5分で中級者とかいうのだろうか。

解けたと思われた方は、コメント欄に最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。








↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック

  

創業 平成18年って

2007-12-14 00:00:23 | 市民A
aa7fc0e4.jpg自分では絶対選ばないような料理屋に行くことがある。思想的に保守的なわけではないが、食べ物はやや保守的だ(というか、それは普通と思う)。

 ”もつ鍋

で、もつ鍋が嫌いということでもなく、十数年ほど前には、福岡の会社の知人から、よくクール便で送ってもらっていた。結構、"美味い美味い"と食べていたが、当時は都内でもブームになっていた。ところが、突如、もつ鍋は失速する。唯一最大の原因は、「BSE」である。(ついでにこの友人も「失速」というか「失脚」する)

もともと、このもつ鍋に入れるのは牛や豚の白モツである。白モツとは腸のこと。このややコリコリ感のある腸を開いて、短く切ったものである。これに下味を付け、キャベツとニラと唐辛子とニンニクを醤油か味噌ダシで鍋で煮る。比較的、同じような味になりがちだが、そこに僅かな差があるのかないのか?・・

そして、BSE問題で、牛肉離れが進んだ上、さらに具合が悪いのが牛の「危険部位」ということ。プリオンに感染する確率が高い部位として、脊髄、眼、脳、小腸が指定され、その部分は除去&焼却されることになる。さらに、その指定された小腸というのも、正確には回腸遠位部ということになっている。この回腸遠位部というのは小腸の最後の2メートルということになっていて、盲腸との接続部から先2メートルということだそうだ。

aa7fc0e4.jpgしかし、相手は動物である。個体差がある。一律2メートルというのも不安がある。さらに、できあがった白もつを見て、これは盲腸の手前のものなのか、その先のものなのか見分けることは困難である。だいたい普通の人には、豚と牛の差にしてもわからない。

ということで、もつ鍋の東京上陸作戦は、99%まで成功したところで、あっという間に崩れ去ったわけだ。

それで、今回、絶滅していたはずの「もつ鍋」を見つけてきたのには、理由がある。

簡単に言うと「安い」から。宴会というのは、メンバーの中で、もっともおカネのない人の財力に合わせて設定されるものだからだ。

しかたなく、指定のもつ鍋屋に行く。「もつ屋良蔵商店」。西新橋である。どうも「豚専」のようだ。「やきとん」と「もつ鍋」。ハケン風の女性と、よじれたネクタイの安サラリーマンが多い。

で、肝心の味は、「まあ普通」ということ。というか、もつが少ないような。星は出ない。やきとんの方はグッド。星一つ

飲み物ではホッピーがあった。実は先日、赤坂の飲み屋のママから、「ホッピーの発明者を知っている」という情報を聞いて、資料研究していた。飲み方をよく知らないので、ホッピーの瓶と焼酎のロックが別々にテーブルに載せられたので、別々にイッキ飲みしてしまったのだが、この店をチョイスした最も貧乏な幹事から呆れられてしまった。笑われただけで、正しい飲み方を聞くのを忘れてしまったので、次回もまた、笑われるのだろう。そしてホッピーには、昭和23年から始まるホッピー正史と大正末期に微かに研究したものの実現できなかった裏ホッピー史があることが浮かび上がってきているのだが、それはそのうち・・

aa7fc0e4.jpgところで、この店を外から見ると看板に妙な文字が書かれていた。

創業 平成18年」。二年目ということだが、変な話だ。普通、創業80年とか、創業文久三年とか大正10年とか、「創業」というキャッチフレーズは「長い歴史」をイメージさせることで、ユーザーに安心感と伝統の味という錯覚を起こさせる効果がある。本来は二つ星店なのに三つ星になるような話だ。

しかし、「創業平成18年」と書いた真意は、色々考えてもよくわからない。「新しい店で清潔だ」とかアピールしているのかもしれないが、そういう目に見えるものをアピールすると、失敗する。まあ「廃業平成21年」と予言を書くよりはいいのだろうが。


そして、このもつ鍋の最大の効果は、その食後から続く強烈な口臭である。以後12時間にわたり、満員電車に二回乗りながらも、体の周囲には、やや冷たい空気のエアバリアができていたようで、つり革につかまりながらも快適通勤することができたのである。

↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック

  

合併銀行の不明確さ。あるいは深い意味?

2007-12-13 00:00:55 | 投資
ある海外バイヤーとの仕事がまとまり、海外バイヤーから勤務先の会社の口座に入金が行われることになる。そういうのは、結構複雑な仕組みになる。要するに双方とも相手をそれほど信じているわけではないから、代金だけ取られちゃかなわない、とか代金がないのにブツは渡せないとかいう話で、実務的には色々なやり方がある。

ところが、そういう複雑な方法の前に、もっと初歩的なところで困ったことが起きた。日本にある都市銀行の支店の英語名の問題。



都市銀行は日本名で、三菱東京UFJ銀行。もともと、三菱+東銀+三和+東海+東洋信託とか(まだあるかもしれない)。まず、銀行の英語名は日本のホームページで確認できる。

The Bank of Tokyo-Mitsubishi UFJ Ltd.

この「The」を付けない表示もある。やや不安を感じるが、Theがあってもなくても実害はないだろう。一言で言えば、長すぎる。

そして、問題は日本のある支店の英語名である。実名を出すと差し障りもあるので、「○○中央支店」としておく。旧UFJの○○支店で、同一地区に旧東京三菱の○○支店があったために、○○中央と変名になった。(ちょっと余談だが、このUFJという銀行名も、以前、外国から「UFJ銀行の英語名を教えてほしい」と言われた位、海外では名前が通っていなかった)

ただ、○○中央支店なら、○○-chuo branchではないか、とは直感的に感じるのだが、そういうのは、必ず確認が必要だ。それで、日本のホームページで○○中央支店を探し、英語版を調べようとするが、見つからない。英語版にいけるのは、日本語版のトップページからになる。

次に、トップページから英語版(English)に切り替え、”Global Network”に進み、さらにAsia & Oceaniaのページに進むと、やっと支店の英語名が出てくる。そして、一生懸命に探しても、どこにも日本の支店名はない。つまり、日本以外のアジアオセアニアエリアの支店名である。

で、こんどは攻め方を変えて、海外(英国)でのこの銀行のホームページを開いて、英国側から日本を見た場合の支店表示を探すことにする。凝った作りのページなので、時間がかかる。そして、やっとたどりつくと、元の日本語版ホームページに到達するわけだ。

まあ、日本に住む外国人が、この銀行と付き合うと、大変な苦労をすることになるわけだ。

それで、あきらめて、整理の悪い名刺箱を探す(超整理法なので、もらった順に箱につめている。名刺は1枚対1枚で交換することが多いので、空の名刺箱にもらった名刺をもらった順に積み重ねるだけでバランスする。アバウトもいいとこだ。そして、その○○中央支店の営業マンの最近の名刺の裏に書かれている文字を読もうとしたら、やたらに文字が小さい。何かじっくり読まれないように保険の約款みたいになっている。そして、驚いたのは、○○中央支店と書かれているわけじゃないわけだ。○○中央支社。支社というのは大阪に本社がある会社の東京支社とかに使って、結構、本社の組織に近いような大規模組織をイメージするのだが、・・誤字ではないかと思ったら、さらに小さな文字で書かれていた。英語名を読んだら、わけがわからなくなった。

○○-chuo Commercial Banking Office。Branchではないわけだ。

だいたい長すぎる。銀行の名前が長すぎる上に支社の名前も長すぎる。

さらに、Commercial Banking Officeって意味不明だ。Branchという語感をまったく感じない。支社とか支店といった語感も感じない。どっちかというと商工ローンみたいに聞こえる。

つまり、職場としては「○○中央支店」という職場に「○○支社」というところの社員が、銀行員として働きに行っている、ということなのだろうか。

結局、もっとも古典的かつあやふやな方法を取ることにする。”電話”。

「Branch」でいいそうだ。単なる「支店」。

支店の行員と言っておきながら、実際は支社員であった、ということでは、韓国の野球監督の先発偽装事件みたいじゃないか、と言ったところ、

「その件は、説明に伺います」とのこと。まあ、軽くことわる。損をするのは銀行の方だろう。

サブプライムローン問題で新たな資本移転が始まっている

2007-12-12 00:00:14 | 投資
サブ・プライム問題は、元々、「アメリカに移住して3年も働けば、5000万円の7LDKの豪邸に住める」という夢のような話、つまりシンデラレラ物語が、お約束の夜の12時になって、「さあ、払え」「さあ、返せ」と言っても、「払えない」、「返せない」から、貸したローン会社が焦げ付くだけの話であったのだが、そのローン債権そのものが売却されたり、指数化されて先物取引の対象になったり、さらにそれらを組み合わせた債券が商品化されたりしたことが、問題の中核にある。

一粒で二度おいしいはグリコだが、一粒で十倍くらいおいしいはずだったのだが、その一粒が毒薬であって、毒をくらって死んだ奴の肉を食った奴が死にそうになり、さらに死にそうになった子会社の救済に乗り出した大手金融資本までが毒気にやられている。

よく、日本の土地バブルと比較されるが、土地バブルの場合は一坪で十倍うまいという商売で実質無担保融資を膨らませていったわけで、バブルが弾けた段階で。個々の会社・銀行にとっては、損失額を正確に掴んでいたにもかかわらず(早い話が丸損ということ)、個別に隠したり、飛ばしたり、ブーメランに載せて未来に放り投げたりしたので、日本全体での損失額が見えないというところに大きな問題があった(個人的には、いまだ抱えている企業もあると睨んでいる)。米国サブプライム問題の混乱は、その債権化という行為によって、まだ、損失額の全貌が見えていない、というところにあるのではないだろうか。つまり、サブプライムローンを一部組み込んだ債権の価値はどれくらいになるのか、ということは、個々のケースバイケースになるのではないだろうか。

一方、住宅不況自体は2006年前半から囁かれていて、大手住宅企業の幹部たちは自社の持株を売却していたようだ。この住宅不況というのは、奇妙なことに景気サイクルと逆の動きをすることが多く、不況→金利低下→住宅ブーム→景気回復→金利上昇→住宅冷え込み→不況というサイクルがあるようだ(もちろん、米国の話。日本は金利ではなく税制が住宅市場のカギ)。

となれば、今や金利低下の局面に入ってきたわけだから、経済全体ではそう悪いパターンにはまっているわけでもない。

つまり、「投資機会到来」と金持ち達が動き出したような感じである。悪い言葉で言えば「ハイエナ」あるいは「ハゲタカ」。

いくつかの記事を日経から。

(9/26)バフェット氏ら、ベア・スターンズに出資検討・米紙報道
【ニューヨーク】米ニューヨーク・タイムズ(電子版)は26日、米投資家のウォーレン・バフェット氏らが米大手証券ベアー・スターンズへの出資を検討していると報じた。同社は信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題で損失を計上。6―8月期決算は大幅減益となり、株価が下落している。

米大手銀バンク・オブ・アメリカやワコビア、中国の金融グループ、中信集団公司(CITIC)や中国建設銀行もベアーとの交渉に加わっており、合計で全株式の20%を取得する見込みという。ベアー・スターンズは真偽についてコメントしていない。


(11/26)米シティ、8000億円出資受け入れ・アブダビ投資庁から
【ニューヨーク】世界最大の金融グループ、シティグループは26日、アラブ首長国連邦(UAE)アブダビ首長国政府のアブダビ投資庁(ADIA)から75億ドル(約8000億円)の出資を受け入れると発表した。普通株に転換される出資証券を発行し、転換後のADIAの持ち株比率は4.9%になる見通し。シティは信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)問題に絡み、有価証券の評価損などで多額の損失を計上。追加損失の可能性もうわさされ、経営の健全性が不安視されていた。


(12/10)UBS、サブプライムで1.1兆円追加損・2兆円の資本増強
【フランクフルト=石井一乗】スイスの金融大手UBSは10日、米国の信用力の低い個人向け住宅融資(サブプライムローン)に伴う損失で新たに100億ドル(約1兆1100億円)の評価損を計上すると発表した。関連の証券化商品の評価額下落が止まらないためで、累計損失は約1兆6000億円に達した。欧米金融大手の抱える同様の損失額は全体で8兆円を突破、さらに膨らむ恐れがある。UBSは同日、シンガポール、中東の政府系ファンドから130億スイスフラン(約1兆3000億円)の出資など2兆円近い資本増強を実施した。


本題の前に余計な話だが、このニューヨークからの記事を書かれた日経の記者の方は、「財満大介」さんと言われるのだが、まさに日経的な名前だ。早く退社して、国会議員に転職して総理大臣になってもらえば、GDPも急上昇になるのではないだろうか。

要は、中国・UAE・シンガポールなどの金満国家が世界の金融支配構造に割り込んできたということだろう。さらに、突っ込んでみると、UAEのシティやシンガポールのUBS(スイス)という組み合わせを見ると、それぞれ、その金融グループで自分の資産を運用していたのだろうなあ、ということが推測できるわけだ。信用金庫に金を預けていたら、信用金庫が傾いたので、株主として出資するようなものだろう。

そして、フィナンシャルタイムズなどの記事では、「シンガポールは金融都市として、将来、スイスにとってかわろうという国家戦略」だそうである。

まあ、そういうわけだから、日本でもローンの支払いを渋っていたりすると、妙なアジア人が取り立てに現れたりする時代が遠からずくるかもしれない。

「あなたが○○信用金庫から借りた自動車ローン100万円は10万円ごとに小口債権化されて、その一口10万円の債権を5%組み込んだ金融商品を買っていた人が破産して、その債権を額面の30%で買い取ったのは、私ですから」というような電話がかかってくるわけだ。


↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


日本の有名一族(小谷野敦著)

2007-12-11 00:00:20 | 書評
幻冬社がいつのまに新書を作っていて、妙なタイトルの本を書店で手にしたのが運の尽きで、エスタブリッシュメントの系譜を覗いてしまった。しばらく前から考えていたのだが、日本というのは、ある特定の一家を除けば、そんなに長く栄華を誇った家系もない。平安時代の藤原、鎌倉時代の北条、室町時代の足利、そして徳川家、みな盛衰の運命だったと言える。特に、北条、足利、徳川、みな15代で終わるのも歴史の不思議の一つだ。9つの交響曲を書くと、大作曲家でも亡くなるようなものだろうか。



そして、現在から逆向きに過去を眺めると、およそ日本の名家というのは、江戸時代末期から明治のあたりで形成されたものが多い。だから、元々が武士だったり豪商だったり、学者だったり、結構さまざまだ。しかし、明治初頭に活躍した家でないと現在の閨閥を築けないとしたら、それは大きな問題だ。再チャレンジどころの話じゃない。カースト制度だ。再チャレンジと大声で叫ぶ政治家の多くだって二世、三世、四世。

ちなみに、この本の最初に登場する家系図に登場する有名人は、下級武士、大久保利通に連なる吉田茂、この家系に麻生太郎が絡んでいる。また麻生太郎の妹は皇族に嫁いでいる。じっくり見ていると、麻生太郎の祖父も麻生太郎という名前であることがわかったりする。

そして、多くの家系図は、愛人、妾、元の妻や夫や再婚とか実線だけでなく点線やら二重線やら、線を飛び越えたり、ややこしい。現在、活躍中の人たちが、実際には誰々の愛人のこどもだ、とか調べ上げていて、書かれた方はいい迷惑だろうとか思わないでもない。「あいつだって隠し子がいるのに、何で俺だけバラすの!」とかありそうだ。もちろん、隠し子に限らず、正規の親戚でもいくつか抜けている感じがする。第一、私の名前がない(あるわけないのだが)。

そして、後天的必然性かDNA的必然性かは不明だが、一枚の家系図は、だいたい同じ職業の人物で埋まるのである。

文学者の一族には文学者が多く、政治家の家系には政治家が多い。鳩山一族は元々は法学者の家に生まれた政治家一族。首相になった鳩山一郎の子である威一郎がブリジストンタイヤの石橋家から嫁を貰って得た二人のこどもが鳩山邦夫と鳩山由紀夫だが、著者によれば、「今のところ、一郎に継いで首相になる可能性は低い」と断定されている。

また、文学の世界は、鴎外・漱石ともに末裔に文学者を生んだものの先細り感があるのと、永井荷風と高見順のいとこ関係については正確に書かれているが、高見順やその娘、高見恭子が「二代続けて愛人の子が名をなした」と余計なことを書いているわりに、高見恭子が国会議員(元プロレスラー)と結婚していることを落としている。

また江藤淳と雅子妃が遠い血縁であることや、国学者本居宣長の子孫が「赤い靴はいてた女の子」の作詞家である本居長世であることや、本居家は元々、伊勢松坂の紙問屋である小津家からの分家だそうで、ここに映画監督、小津安二郎が生まれる。

また、名家と言うには短すぎるが、作家、新田次郎のこどもが藤原正彦とは知らなかった。「『国家の品格』をベストセラーにした」と書かれている。

まあ、そんな感じの本なのだが、斜視的読み方ではあるが、どんな家でもたいして長続きしないものだということがわかるような気もする。われわれ無名人にも、そのうちチャンスがくるのかもしれないが、それがなんだ、と言われればそれまでの話かもしれない。

話題のJatropha(ジャトロファ)のこと

2007-12-10 06:35:54 | 市民A
Jatropha(ジャトロファ)というのは植物で、それの種が重要な意味を持っている。ミャンマー・中国・フィリピンで急速に作付け面積が拡大し、収穫量が伸びている。見かけはコーヒー豆のようなこの実だが、人間には有害。逆に有害だから有用という奇妙な話である。



そして、その用途は石油代替燃料。

ここで、植物起源による燃料について考えると、主に三種類になる。

1.直接燃焼型
  広くいえば、「薪」ということだ。直接燃やす。廃材・間伐材や薪やゴミなどによるエネルギーの抽出。欠点を言えば、あらかじめ乾燥に天日が必要とか、燃焼型であってエンジン向きじゃない、とか、燃焼ゴミやダイオキシン問題とか

2.ディーゼルエンジン用
  バスやトラックや船舶のようにディーゼルエンジンを使う用途は、通常は軽油(ディーゼルオイル)が使われる。この軽油代替品に植物油が使われる。よく食用油を使う例がある。欠点は、生産量が少なく、コストが高いこと。さらに、勝手に軽油車に混入すると、「脱税行為」になることだ。

3.ガソリンエンジン用のアルコール原料
  メタノール(メチルアルコール)、エタノール(エチルアルコール)はガソリンエンジンに対して、ガソリンと類似した性状を持つため、糖類、でんぷん類などを起源としてバイオアルコール類を作ればいい。原料はサトウキビ、コーン、キャッサバ、米などであり、もともと人間の食料でもあるため、世界的に見た場合、「省エネ」か「飢餓」かというシリアスな問題に直面してしまう。(中国では、稲の藁からエタノールを生産することを考えているようだ)


そして、ジャトロファだが、上記2のディーゼルエンジン用である。つまり、実を絞って植物油を採取する。そして、軽油の代替としてバスやトラックで使用する。競合相手は、植物油全体であるが、生産性からいうとパーム油あたりになる。そして、このジャトロファだが、食用油と競合しないわけだ。先に食用油について書くと、中国の所得向上によって、食用油の輸入が増加している。中華料理に食用油は必須だ。今後とも食用油の需給はタイトだろうし、価格も上昇していくだろう。さらに燃料に使うと、食事に影響してくる(もっとも、油分ひかえめの方が健康ではあるが)。



一方、このジャトロファは食べると有毒なのだから、食用油とは競合しない。さらに農地ではなく山林部でも栽培できるし、菜種やゴマなどの食用油原料は一年草なので、土地の緑化には役に立たないが、ジャトロファは樹木であり、商業生産の寿命は50年といわれるので荒地の緑化にも役に立つ。

ということで、バイオ燃料の中でもかなりのすぐれものである。緑色の実の中に種があって、それを絞ると25~30%の油が採れる。効率性を考えれば、土地面積あたりの収量と、その生産物(実)の油分の比率(含油率)の積になる。面積当たりでもっとも効率的なのはパーム油で、含油率はやや低い(20%)が、面積当たりの収量が多いため、1ヘクタール当たり4,000KGの油が採れる。ピーナッツ、菜種、ひまわり、ゴマあたりは、含油率は40%以上だが、収量が少なく、1ヘクタール当たり400~700KG程度である。

それに対して、ジャトロファは1ヘクタールあたり2,310KGということで、相当有望であるといえる。緑化によるCO2の固定化とバイオディーゼル用の二刀流である。

しかし、収量が多いとはいえ、1ヘクタールでとれる油分が2310KG、重さではなく量換算すると、3,000リットルである。1ヘクタールというのは野球場のグラウンド面積(約1.3へクタール)を小ぶりにしたサイズだが、それでわずか3,000リットル(街中を走っているタンクローリーの一般的サイズは20,000リッターである)ということは、ジャトロファの威力もかなり限定的だろう、ということがいえるのである。



ところで、南方の方には様々な植物が存在していて、基本的に食用にならないものは、誰も興味がなかったのかもしれないが、ジャトロファだけではなく別の植物も見つかっている。インドネシアの「Ki Honje」。英語での通称は「Petroleum nuts」。絞った油は上質な灯油に近いそうである。これも食べられないそうだが、毒性があるのか、不味すぎて口にできないのか、よくわからない。

冬の夜景

2007-12-09 00:00:07 | PHOTO
b046647b.jpg赤坂プリンスホテル。

野暮用でこういうところに行くと、場違いな違和感が漂う。

商談というほどのことではないが、契約書の打ち合わせ。

しかし、この前の野球五輪予選の韓国監督。平然と虚偽申告をしたおかげで韓国人ビジネスマンの多くが世界中で、困っているだろう。契約書の文面の事前ネゴ終わって、さあサインしようとしたら、契約の内容が変わっているようなものだからだ。事前に打ち合わせた契約書とまったく同じかどうか確認しなければならない。




b046647b.jpgこの韓流は職場でも話題になっている。もちろん儒教精神が世界で一番、尊重される国のことだから、「勝つためにはウソもいとわず」とか「信義は破られるためにある」とか「ウソは一時の恥、負けるは一生の恥」とかいうことを孔子先生がのたまわれたのだろうか。

大統領選のテレビ討論会で李明博(ハンナラ党)候補は、対北強硬派と思っていたが、早くも柔軟発言多発。韓国民というのは、どうやって投票する候補を選ぶのだろう。


↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


  

将棋棋士の平均的寿命について

2007-12-08 00:00:33 | しょうぎ
真部九段の享年は55歳だった。「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか」とは、「謡曲・敦盛」で、これを宴会の持ち歌にしていた信長は、数え五十で不意になくなる(敦盛は16で亡くなる。at 一ノ谷だ)。

現代日本人の平均寿命は男78.56歳、女85.52歳といわれる。この平均寿命だが、正確には生まれた0歳0週の平均余命ということであり、複雑な計算で各年齢ごとの平均的生存確率を積み上げ、「生命表」というものを作ることとほぼ同義である。したがって、男性棋士の平均寿命なるものを計算することは無理なのだが、少し違う角度で計算してみる。

将棋連盟のHPの中を捜索していくと、物故棋士の享年がわかるようになっている。データは1955年以降に亡くなられた棋士90人のデータである。その90人の享年を単純平均してみる(内、一人だけ享年が記されていない方がいて、このデータを埋めるのに時間がかかってしまった)。結果は・・

67.51才である。短い!

いくつかの補正・補足が必要になる。

1.平均的寿命であって、平均寿命ではない。存命の方で長寿の方が多い場合は、その方が亡くなられた段階で平均値は上昇する。

2.母数が少ないし、平均寿命が短かった1950年代、1960年代の方も含まれている。

3.享年データの端数を切捨てて計算したため、0.5歳程度少ない数字になる。補正するとちょうど68歳になる。

4.逆に、0歳から棋士になるわけではなく、おおむね20歳の平均余命を見ると、59歳(つまり年齢で言うと79歳)。

つまり、あくまでも凡そということで言って、10歳くらい寿命が短い、ということができそうだ。

さらに享年の年代別分布を見ると、

  20台    1人
  30台    3人
  40台    9人
  50台   10人
  60台   18人
  70台前半 18人
  70台後半 13人
  80台   18人 となっている。

70台後半に至らない比率は(59/90)で65.6%である。

これでは、まずいのではないだろうか。まさか、不健康な人の方が将棋が強くなる、ということは考えられないから、将棋を指すと不健康になる、ということだろうと考えるわけだ。将棋連盟は、そういうところから検討しないと、将来的には、優秀な人材を確保できなくなるのではないだろうか。

原因はよくわからないが、不規則な生活、ストレス、セルフコントロールの難しさ、などが遠因かもしれない。真部九段も、親愛すべき升田幸三モデルで、タバコを極端に嗜んでいたようだ。自記によれば、肺の異変を指摘されるまで、平均的に1日40本タバコを吸い、対局時には100本と書いている。さらに升田流で、銘柄はハイライト。

将棋連盟は、現在、棋士の脳みその構造の研究に力を入れているようだが、健康管理、そして棋士の寿命の研究も重要ではないだろうか。

そして、すぐにでもできることだが、次の二点を実行するべきと思うわけだ。

1.対局中の禁煙

2.対局前の呼気中アルコール濃度検査

1は言うまでもなく、どこの企業でも実施済み。2は運送業や外資系企業では実施しているところが多い。少なくとも対局料をもらって指す以上、飲酒対局はいけない。もちろん、朝の検査時に基準値をオーバーしていても、1時間後に規定濃度以下に落ちていれば、遅刻扱いで対局開始でいいと思う。その他、半年に一回は尿検査も必要かもしれない。スポーツのアジア大会でチェスが参加した際には、「頭の一時的によくなる薬」をチェックするためにドーピング検査も行われていた。

猶予期間1年とか設定して、2009年4月実施目標で(一般企業なら、決定後即実施が普通だが)。

その他、ルールで言えば、遅刻防止のために「開始30分前集合」とか幼稚園のようなルールもあるかもしれないが、そういう方式が棋界をはみだして一般社会に敷衍すると、私もクビになりそうなので、勧めない。

そして詰将棋界には、「プロ詰棋界」というようなカテゴリーがあるわけでもなし、統計もないのだが、有名な作品を残して夭折された方が多いような気がする。確かに余詰チェックというような作業は健康的な生活とは対極にあるような気がする。



11月24日出題作の解答。

▲4七金(邪魔駒消去) △同玉 ▲4八銀 △3八玉 ▲3九銀(危険地帯へ誘導) △同玉 ▲3六飛(途中図1・邪魔駒消去) △同香 ▲7五角成(遠打もどき) △3八玉 ▲4八馬 △2七玉 ▲2六馬 △3八玉 ▲4八馬(スイッチバック) △2七玉 ▲3九桂(逃げ道封鎖) △同桂成 ▲2六馬 △3八玉 ▲4八金まで21手詰め

手筋乱発作である。

むしろ、初手▲4七金に対する後手の対応が難しく、仮に2手目に△4七同銀成の場合は、▲4八銀と打つ。
これに対して、△同成銀と応じると▲6四角成以下、2八と4六を使って馬のスイッチバックが登場し、▲3九歩で合計13手詰と早詰。

また▲4八銀に対して△3八玉とかわした場合は▲4七銀、△同玉となる。ここで▲4八銀と打ち本譜同様に進むと、25手詰になり正解風だが、戻って▲4七銀、△同玉に7手目▲5八銀と打ち、△3八玉、▲4九銀、△3九に飛車を捨てて、角を成ると早詰になる。したがって、2手目に戻り、△4七同玉が正解になる。



本日の出題は、飛び道具の中距離使用問題。大技ではなく中技を使って、市街地ドライブ風にストップ&ゴーを繰り返し、フィニッシュの爽快感にこだわってみた。(半島から列島への短距離ミサイル発射みたいな問題か)

盤の下側に横向きに展開するというのは、新聞詰将棋などには、最悪の配置ということだ。

いつものように、わかったと思われた方は、最終手と手数を記入いただけば、正誤判断。


↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


日比谷公会堂のショスタコビッチ

2007-12-07 00:00:08 | 音楽(クラシック音楽他)
日比谷公会堂に着いたのは6時10分。開演の7時までには時間がある。午前中にネット予約した際、席の選択はできないのでグループで予約してもバラバラの席になる旨、書かれていた。つまり早く行く意味はないようなのだが、心配なので、まず入場券を確保に行ったわけだ。予感していたとおり、予約していた人は自由に席が選べた。手数料300円の効果だ。当日券売り場の方は1時間も並んでも適当に余った券をあてがわれているようだ。

事前に、指揮者井上道義さんのHP情報で、1階より2階席の方がいい、と書かれていたので2階の5列目の席を押える。そして、近くの有名ラーメン店に、激辛ラーメンを食べに行く。あまりに空腹だと、おなかの音が響いたりするから。ラーメン店は奇妙な時間帯なので空いていて、私の他にはコートを着たままの目つきの鋭い男性客だけで、店員に、同一チェーンの店が近くにあるか?とか妙な質問をしていた。一見してマルサだ。

ところが、公会堂に戻ると、日露友好の証として、黒パンやピロシキの販売が開始されていた。そっちの方がよかった。

まず、会場の建物だが、「古い」。1929年建築というのが、関東大震災の前で、地震の洗礼にも耐えうる構造なのか、大震災の後で地震の洗礼を受けていないのか、計算してみたがよくわからないままになった。椅子は幅は狭いが電車のベンチシート一人分よりは広い。2階席の方がいい、という意味は、一階席はステージとほぼフラットに拡がるのだが、二階席は階段状になっているため、前席の人の頭が邪魔にならず、視界が広いということだろう。音響については、細かく言えば問題はあるのだろうが、ことショスタコビッチ11番、12番について言えば、そういう細かな話は問題にならないだろう。あらん限りの大音量みたいなものだから。

そして、建物の大きな欠陥は、通路や階段のところどころの天井が低いこと。身長180センチの人は、ヘルメット持参の方がいい。アルコール類は売られていない。一方、会場は横幅が長いが奥行きが短いため臨場感があり、演奏に自己参加感がある。そして、それが逃れようのない疲労感に繫がっていくのがプラスなのかマイナスなのか。

結局、開演の7時には満席になる。満席ということは、当日券の列に並んでみても買えなかった人がいる、ということを意味するわけだ。携帯遮断装置がないので、本当に気をつけなければならない。5つ隣の席には、有名な女性ヴァイオリニストの方もいて、休憩時間にすれ違う時に、何を間違えたかお辞儀をされてしまった。ブランドネクタイの威力なのだろうか。


そして、交響曲11番は指揮者井上道義の振り下ろすタクトによって始まる。名古屋フィルである。大丈夫だろうか。名フィルとショスタコビッチには何の関係もない。だいたい名フィルが東京で満員のホールで交響曲の二連発なんか、かなり荷が重いのではないだろうか。まあ「しょすたこびっち」とヒラガナで書くと名古屋弁みたいに見えないでもない。

そして、11番は、戦争と共産党と人間の解放をテーマにしているのだろうが、重く、非人間的で、ロマンティシズムのかけらもない。農奴たちが共産主義者によって解放されるべき「革命」を力の限りイメージしている。機関車が全速で走るような大音量が続き、打楽器が大活躍だ。女性も多いのだが、楽団員の消耗度は激しい。

思想的なことを考えれば、ショスタコビッチは、共産主義の正しさを暴走機関車のように力強く描けば描くだけ、ソ連を外から眺める自由主義国家は、共産主義の恐ろしさに気付く、というような複合性を考えていたのではないだろうか。俗なコトバでいうと「共産主義のホメ殺し」。彼が共産主義とつかず離れずの関係を維持していたのは、この奇妙なバランス感覚があったからかもしれない。

そして、迫力の11番の大演奏のフィナーレには指揮者によるちょっとした伏線があった。演奏終結で拍手が始まった時に、ちょっと体の動きを止め、その一秒後に後ろ向きのまま、両腕を上に万歳のように上げる。拍手OKサインだ。

どうも前回12月1日演奏の第4番の最後に奇妙なフライング拍手があったようなのだ。同様な人物がいて、再度、妨害される可能性があるすれば、ニ曲目の第12番終結の時。そのために、一曲目の第11番の最後に「拍手OKサイン」を見せておいたわけだ。勝手に拍手を始めるなよ!って。


休憩時間のあと、指揮者の井上道義氏と映画監督の篠田正弘氏との対談があった。日比谷公会堂とクラシック音楽の関係についての昔話から始まり、ショスタコビッチの音楽のこと。

この迫力、体力勝負の11番と12番を同時に演奏するなんて無謀な企画は世界中で始めてだろう、とか、名古屋フィルは何とか11番は踏ん張ったものの12番はどうなるかわからない。ショスタコビッチは、そのつど成功したり失敗したりする「やってみなければわからない」というようなこと。そして、チケット代金が3万円ではなく3千円であっても感動は同じで、ベルリンフィルでなく名フィルであっても、同じ感動であってほしい、とやや楽団員に失礼なコメントのあと、12番が始まる。

12番は交響曲全15曲の中で評価が一番低いということだそうだが、それは「平板」ということからかもしれない。やや形式にこだわって常識的展開の中に機関車を走らせるようで、意外性が少ない。もちろん11、12と二曲並べだかもしれないが、二つ合わせて、第一楽章から第八楽章まで聴いたようなものと考えればいいのだろう。


第八楽章が終わり、約束の「拍手OKサイン」が出ると、長く長く続く拍手と最後はスタンディングオベーションとなり、楽団員は全員、ステージ上で力尽きたわけである。成功とか失敗とかという評価を超越した一体感が会場を包み、これが日比谷公会堂の威力なのだ、ということに気付くわけである。

↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


  

ショスタコヴィッチ交響曲全曲演奏プロジェクト「第11、第12番」

2007-12-06 00:00:03 | 音楽(クラシック音楽他)



ショスタコヴィッチのことはよく知らなかった。もちろんソ連の作曲家であり、20世紀を代表する作曲家で、多数の交響曲を作っている。そして何曲かは聴いている。共産党政権と付かず離れずというスタンスだったと覚えていた。

そして、個人的には、「人類最後の交響曲作曲家」と思っていた。

ところが、愛読ブログの一つである「はろるど・わーど」さんのところで、このショスタコヴィッチ交響曲全曲演奏プロジェクトが行われていることを知っていた。場所は、勤務先のすぐ近くの日比谷公会堂。日比谷公園の中に、さまざまな歴史を抱えた古風なレンガつくりの建物が立つ。浅沼社会党委員長がテロルの犠牲になった会場でもある。はろるどさんのレポートを読むと、椅子がギシギシ鳴って、さらに狭いというようなことが書かれている。

さらに想像を膨らませれば、椅子のバネは曲がったり歪んだりして、座っているだけで足がしびれたり、エコノミークラス症候群になったりしそうだ。うっかり携帯電話を持っていくと、大失敗しそうでもある。そして寒そうだ。何しろ12月5日夜。

しかも、体調が悪い。病気というのではなく、通勤疲れ。何しろ、12月3日の朝は朝の東急電車が50分遅れる。朝の情報では「急病人救護」と車内放送されていたが、帰宅時の情報では、「救護」と「信号故障」とのダブルトラブルだったそうだ。最初は、病人に全責任を負わそうとしたのだろうか。そしてクタクタの翌4日は、人身事故で1時間20分遅れる。人身事故って自殺だろうか。「他人に迷惑をかけてグッドバイする」のが目的なのだろう。

ただでさえ、1時間も追加で立っているのは辛いが、満員電車ではなおさらだ。会場に行く前から背骨や足が痛い。しかも仕事では、長々と交渉していたアジア某国の会社との輸出契約が破綻。それも、契約書にすべて合意して、サインを送った後で、修正を言ってくる。韓国の野球監督と同じだ。既にサインした書類に効力をまったくないことを承認させなければならないが、こういうのが面倒なのだ。日本って周りがこういうルール違反国家ばかりなので苦労する。クリック&ドローで、どこかバルト海の方に列島ごと移転できないだろうか。

午前中にネットで当日券を3,300円で予約したものの、7時に間に合うだろうか。



そして、なんとか7時の開演に間に合いそうだ。指揮:井上道義で、演奏は名古屋フィルハーモニー交響楽団。交響曲は11番と12番。全部で15曲作曲したので、後期の作品ということだ。このプロジェクトは指揮:井上道義さんが共通で、いくつかのフィルを振るようになっている。そして11番と12番については井上さんがホームページで、親切にも、聴きどころを解説して下さっている。


【交響曲第11番 ト短調 作品103 「1905年」】
[凍るようなロシアの長編小説]
 良い演奏ならばこの曲はまるで時間を越えて凍るようなロシアの長編小説、長編歴史映画を見るような音絵巻だ。交響曲の世界は素晴らしい。殺されることなく2つの革命(第12番とともに)を経験できるのだから…。平和の時代に生きる事への罪の感覚が芽生えさえするのが恐ろしい。


【交響曲第12番 ニ短調 作品112 「1917年」】
[何が起こっても何も変わらない「世界」] この曲の中に音楽の流れをせき止める音が数回出てくるが、何の関係もない音形なのでロシア語の堪能な一柳さんに聞いてみた。数日して「スターリン」と読めると聞いた。なるほど! 彼が出てくればすべては止まる。息の根が止められる。
最終楽章は革命の後の「何も変わらない黄昏のような朝焼け」さ。それは我々も知っている。政権が変わっても首相が代わっても何も変わらない「世界」を。でも誰にでも希望は与えられている。この曲が15曲の中で一番出来が悪いという人が多いらしい。本当か?まあ聴いてください。

ところで、はろるどさんによると、12月1日のコンサートの時に、もっとも芸術性が高いといわれる「4番」の最終楽章の終結の直前に、「悲しいできごと」ことが起きたらしい。はっきり書かれていないので、何が起きたのかよくわからなかった。まさか「返せ!北方領土」とか「反体制派弾圧反対運動」とかではないかと思い、大急ぎでブログ周りをしてみると、「フライング拍手」だったらしい。それも、ずいぶんと前の部分から拍手があったらしく、指揮者の井上道義氏が手で制したのにやめなかった、ということらしい。愉快犯というか確信犯といった偏執的なものだったらしい。しかも、NHKのテレビカメラが入っていて、この演奏は、いずれ放送されるようなのだ。

もちろん、現代の技術をもってすれば、再生時に、この「フライング拍手」がなかったことにすることは可能なのだろうが、これも「他人に迷惑をかけてグッドバイする」人と同根なのだろうか。あるいは、12月4日の人身事故と同一人物だったりして(その場合、12月5日には会場には現れないわけだ)。


ところで、この「フライング拍手」だが、本当はみんな怖いわけだ。だいたい交響曲は普通は第4楽章までだが、第3楽章や第5楽章までのときがある。短い場合は問題はないが、第五楽章まである幻想交響曲の場合、第四楽章がそれらしく終わるため、いつも数人がパチパチする。指揮者は後ろ手ですかさず制して、直ちに第五楽章に突入するわけだ。

それで、個人的にショスタコビッチをあまり聞いたことがなく、かなり心配なので、事前に市販のCDジャケットを確認すると、両方とも第4楽章まであり、11番は約65分、12番は約40分と書かれていたので脳内短期記憶回路にインプットしておく。

もっとも、絶対失敗しない安全策というのがあって、それは、「最初に拍手しない」という方法なのである。付和雷同型。さらに、もっと安全度が高い方法があって、「絶対に拍手しない」ということなのだが、こうなると変人といわれることになる。

そして、このエントリ、会場に行く前の40分間でここまで書いたのだが、実際のコンサートは・・


そして今、コンサートから帰ってきたところだが、疲労の窮み状態なので、明晩、頭の整理をしてから続きを書くことにする。

ガソリン車が軽油でエンストの図

2007-12-05 00:00:02 | 市民A
2c7f419e.jpgガソリン価格が150円を超えている。原因は原油価格の高騰にあるのは勿論だが、肝心のその話は横においておく。最近セルフ方式のガソリンスタンドで、ガソリン車に軽油を入れてエンストするトラブルが多発しているらしい。原因はほとんどがドライバー側の無知によるもので自己責任ということになるが、実際には、ガソリンエンジンに軽油を入れると、エンジンが焼きつくことがあり、修理費で大損害になることがある。また高速道路で突然止まれば追突の危機を招く。逆に軽油車にガソリンを使ってもエンストするが、この場合はエンジンが焼きつくことはないようだ。

では、なぜガソリン車に軽油を入れてしまうのか、というと、いくつかの要因がある。

1.もともと、スタンドで販売されている、「ハイオク」「レギュラー」「軽油」という3油種を「上」「中」「下」と勘違いしている。

  確かに、ハイオク、レギュラーという名前は、上と中を意味しているのだから、軽油が「下」と思ってしまうのかもしれない。


2.ガソリン代セーブのために、フルサービス店からセルフスタンドに変えた。

  以前のガソリンの値段をうろ覚えにしていて、同じくらいの価格の現在の軽油を入れてしまった。


3.クルマを普通自動車から軽自動車に買い換えた際、「軽自動車には軽油」と思いこんでいる。

  買ったばかりの新車がキズ物になってしまうわけだ・・


どうも、「貧乏人のゼニ失い」というコトワザがそのまま当てはまるような気がする。


そして、もともと安い軽油車に乗っている人たちは、もっとエコノミカルな人なのだが、禁断の技が流行っているらしい。

J-CASTニュースによれば、


灯油を入れる車が多発 都が「不正」監視要請
ガソリンより安いことに目をつけた運転手が、セルフ式でこっそりディーゼル車に灯油を入れるケースが目立ってきているようだ。東京都は車に灯油を給油する不正行為が相次いでいるとして、石油連盟や東京都石油商業組合に対して監視を強化するよう緊急要請を行った。背景には、灯油でも車が動いてしまう、ということがあるようなのだが…。

実は、この記事も間違っていて、「ガソリンより安い」ではなく「軽油より安い」と書かなければならない。ガソリン車に灯油を大量に入れれば、エンストする。灯油でエンストした車を修理工場に持っていくと、脱税に失敗した上、車まで修理が必要になったことを見抜かれてしまう。軽油車に灯油を入れると、税金分リッター33円安くなるということを言っているわけだ。

それで、税金そのものがいけないという論もあるが、それは横において、意図的脱税は重罪にあたるわけだ。そして、実際には灯油を買って軽油車に入れてしまった場合は、クルマのタンクに流し込んだときが、軽油製造行為とみなされ、その人自身が県税事務所に申告に行って、混ぜた灯油の量の税金を払えばいいらしい。もっとも、そんなことをする人は、いかに気が小さくてもいないだろう。実際には軽油の中に少しだけ混ぜても大丈夫だろう、という気持ちが段々昂じていって、そのうち混入比率が高まっていくのだろう。そしてトラブル発生で発覚。

軽油の中に灯油を混ぜようとしても、既に別の悪人が元の軽油に灯油を混ぜていたりする可能性もある。二重犯罪。そして、その元の悪人は、計画的かつ常習的な業者だったりして、抜け道の向こうにいなくなってしまい、気の小さな小悪人だけが重罪を負ったりするわけだ。東南アジアの空港で、軽い気持ちで運搬を頼まれた白い粉の袋を見つけられてしまったようなことだ。とは、少し言いすぎであるが・・。

↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


野球五輪予選

2007-12-04 00:00:28 | スポーツ
韓国・台湾戦と二日続けて、野球をTVで見ていて、すっかりブログを書く時間がなくなった。ついては、その予選のこと。



気付いたことをランダムに書いてみる。

1.出場枠は1チームだけとテレビ解説では危機感を煽っているが、実際は世界で8つの枠のうち、開催国中国が1枠、その他現在は最初の予選ということで、4チームを選出。その後、8チームのリーグ戦を行って3チームを選ぶ。だから、韓国・台湾ともに本大会に出場する可能性は十分にある。

2.1の情報は、デジタル放送の「データ」で読むことができる。そして、韓国戦のプレーボール前に、データ放送をチェックしていると、韓国の先発がシーズン2勝しかしていない投手なので、「何か変だな」と思っていたら、案の定、「偽装オーダー」だった。嘘をついてまで勝ちたいという背景には、「五輪出場者には徴兵免除」とかあるからだろう。もしかしたら、内角球に体でぶつかっていくのも、何か球にぶつかると、いいことがあるのだろうか。もうすぐ大統領選挙だが、政権が変わると、こういう恥ずかしいことは辞めるのだろうか。(たぶん続けるだろうが)

3.テレビ朝日の放送だが、「読売新聞」のCMが流れていた。この野球中継をテレ朝が放送していることの裏側に、何か手握りがあるのではないだろうかと少し疑う。五輪の時は逆パターンだったり(日テレの中継に朝日新聞のCMとか)。

4.監督のストレスって、相当なものだろう。2試合とも逆転。特に2アウトからの得点が多かった。それとスクイズ。常人が監督などしたら、脳や心臓によくない。サッカーの監督よりも短命になるかもしれない。

5.それと、ふと気付いたのだが(つまり五輪予選とは関係ないが)、野球の監督というのは選手と同じユニフォームを着ているが、他のスポーツでは監督と選手が同じユニフォームを着たりはしないと思う。なぜかな。

6.これまた五輪予選とは無関係だが、サッカーの場合、約15分のハーフタイムがあって、テレビ観戦者はその間に入浴できるのだが、野球には休憩がない。浴室にテレビを付ければいいのだが。

誕生日

2007-12-03 06:36:52 | The room of Sora
0c0db647.jpg2歳。

ケーキに二本ローソクを立ててみた。 野生動物は火を怖がると言うけれど、犬は人間と共生しているからだろうが、「火を怖がる」というよりも、「火はあぶないよ」と人間に教えようとしているような表情に見える。

人間は大人になり、さらに中年になり、初老になっていくと、自分の年齢のこととか考えて、「もうすぐ信号が赤に変わるから、走ろうかな、いや、トシだから心臓によくないからやめよう」とか考えるのだが、本を読むと、犬はそういうようには考えないそうだ。「毎日、その日を精一杯生きる」というライフスタイルだそうだ。


0c0db647.jpgところで、省エネのために冬の室温を下げると、人間なら一枚多く着ればいいのだが、犬の場合は元々がヌーディズムだから、服を買ってこないといけない。しかし、人間なら、たいていの人は、レディメードで済むが、犬は種類によって、ボディスタイルが異なるから、サイズ合わせに非常に困る。犬を連れて行ってデジタルで画像処理して、自動的に数分で体型にフィットした服が縫いあがるというようなサービスはできないだろうか。たいして難しいことはないように思う。


犬でできるなら、人間用でも簡単にできるのではないだろうかとも思えるが、実際問題、体に完全にフィットしたスーツなんか着ると、体型がバレてしまうわけだから、そもそもニーズが少ない、ということかもしれない。


ただ、紳士服量販店のスーツの場合、ボタンが特に安っぽい場合がある。スソ上げとかウェスト調整などのサービスはあるのだから、ボタン交換というようなサービスだってあればいいような気もする。さらに言えば、最初からボタン別売だっていいのではないだろうか。お気に入りのボタンはスーツ何代にもわたって使用したりすればいい。高いボタンを買ってきて、ボタンの色に合わせてスーツを買ってもいい。

と、まったくペットとは違う話になってしまった。

↓GOODなブログと思われたら、プリーズ・クリック



↓BADなブログと思われたら、プリーズ・クリック


千葉市科学館”人が主役”に行く

2007-12-02 07:33:47 | 美術館・博物館・工芸品
千葉市内に用があって(宴会部長なので)、宴会時間より僅かに早めに行って噂の新設科学館に行く。HPを見るとなんとなく場所はわかるが、千葉駅からバスかモノレールかタクシーか、どれがいいのかよくわからないので、歩いていく。10分ほどで大きな建物が見える。あまりに大きな建物なので、「まさか、あんなに大きいのが百万人に到達しなかった政令指定都市の、施設のはずはないだろう」と思って近づくと、まさかだった。ただし、全館ではなく、このビルの7、8、9、10階&屋上部分が科学館である。千葉市美術館の下が区役所になっているようなものだろうか。



しかし、東京には、上野と台場に巨大な国立(独立行政法人)科学館があって、それぞれ自然科学と先端科学のこどもの遊び場になっている。基本コンセプトはそれと同じなのだろうが、なにしろ千葉市である。よほど頑張らないと、こどもの数は限られているし、こどもの興味はきままだ。それに科学技術の進化は日進月歩。だいたい、大人よりこどもの方が詳しかったりすることもあったり、スタッフの教育だって大変そうな気がする。

で、館内にはこどもも多いが、開館してまもなくということで、スーツ姿の団体見学者が多かった。他の地方公共団体からの視察者だろうか。きょうは千葉市科学館の見学、明日はディズニーランドの見学とか。きちんと入場料一人500円を徴収したのだろうか、と気になる。

それで、施設は、小学校の低学年用と思う。科学のきっかけ。そして、科学的思考法の養成とか。シャープの大型液晶テレビが惜しげもなく大量に使われている。逆に高学年用には、展示物はちょっと面白くないかもしれない。意外性が少ない。そのかわり、実験室が充実しているので、休日には、ここでさまざまな理科的実験ショーが行われるのだろう。それが、この科学館が旭山動物園化できるかどうかの分かれ目だろう。もっとも動物園と違って、実験には事故の危険が伴うので、慎重にお願いしたい。遊園地のジェットコースターのように、たまに事故があるとリアリティあり過ぎということになる。

この冬休みの実験アトラクションが最初のハードルだろうか。


ちょっと問題かな、と思ったのが清掃員のこと。床やガラスがピカピカなのは地道な清掃の結果なのだが、清掃員のユニフォームが、まるで場違いだ。公園の清掃員と同じように見える。単に想像だが、千葉市が清掃員を何人かグループにして、時間性で、市役所→美術館→郷土資料館→科学館とか一日の中でぐるぐる回しているのではないだろうか。各館共通?

まあ、この科学館で働くスタッフの方は世間の平均値よりかなりIQが高い(ただし給与は人並み?)人たちでプライドが高いのだろうが、簡単な清掃は自分たちでやった方がいいのではないだろうか。おそらく勤務時間は二部制のシフトだろうから、開館前15分はガラス磨きで、閉館後15分は床掃除。本格的な清掃業者は休館日の作業、というようなことがいいのではないだろうか。


ところで、実は、ずっとずっとずっと以前、この近くの小学校に通っていたことがある。小学校の高学年の頃である。この科学館の場所には、地元資本の百貨店があった。その後、中央資本の大型デパートがやってきて、あれこれスーパー化したりして粘っていたが、いつしか消滅してしまった。

その小学生の頃、ここにあった百貨店によく遊びにきていた。科学館も面白いがデパートも面白い。デパートで遊んでいた子が科学に縁遠く商売の世界にばかり行ったということもなく、科学の道に進んでいった者もたくさんいる。そんなものだろうか。ただし、デパートでこどもが遊んでもおカネはかからないが、科学館に遊びにくると100円必要だ。

こどもはタダにしなさい!と強く要望しておきたい。