日本の有名一族(小谷野敦著)

2007-12-11 00:00:20 | 書評
幻冬社がいつのまに新書を作っていて、妙なタイトルの本を書店で手にしたのが運の尽きで、エスタブリッシュメントの系譜を覗いてしまった。しばらく前から考えていたのだが、日本というのは、ある特定の一家を除けば、そんなに長く栄華を誇った家系もない。平安時代の藤原、鎌倉時代の北条、室町時代の足利、そして徳川家、みな盛衰の運命だったと言える。特に、北条、足利、徳川、みな15代で終わるのも歴史の不思議の一つだ。9つの交響曲を書くと、大作曲家でも亡くなるようなものだろうか。



そして、現在から逆向きに過去を眺めると、およそ日本の名家というのは、江戸時代末期から明治のあたりで形成されたものが多い。だから、元々が武士だったり豪商だったり、学者だったり、結構さまざまだ。しかし、明治初頭に活躍した家でないと現在の閨閥を築けないとしたら、それは大きな問題だ。再チャレンジどころの話じゃない。カースト制度だ。再チャレンジと大声で叫ぶ政治家の多くだって二世、三世、四世。

ちなみに、この本の最初に登場する家系図に登場する有名人は、下級武士、大久保利通に連なる吉田茂、この家系に麻生太郎が絡んでいる。また麻生太郎の妹は皇族に嫁いでいる。じっくり見ていると、麻生太郎の祖父も麻生太郎という名前であることがわかったりする。

そして、多くの家系図は、愛人、妾、元の妻や夫や再婚とか実線だけでなく点線やら二重線やら、線を飛び越えたり、ややこしい。現在、活躍中の人たちが、実際には誰々の愛人のこどもだ、とか調べ上げていて、書かれた方はいい迷惑だろうとか思わないでもない。「あいつだって隠し子がいるのに、何で俺だけバラすの!」とかありそうだ。もちろん、隠し子に限らず、正規の親戚でもいくつか抜けている感じがする。第一、私の名前がない(あるわけないのだが)。

そして、後天的必然性かDNA的必然性かは不明だが、一枚の家系図は、だいたい同じ職業の人物で埋まるのである。

文学者の一族には文学者が多く、政治家の家系には政治家が多い。鳩山一族は元々は法学者の家に生まれた政治家一族。首相になった鳩山一郎の子である威一郎がブリジストンタイヤの石橋家から嫁を貰って得た二人のこどもが鳩山邦夫と鳩山由紀夫だが、著者によれば、「今のところ、一郎に継いで首相になる可能性は低い」と断定されている。

また、文学の世界は、鴎外・漱石ともに末裔に文学者を生んだものの先細り感があるのと、永井荷風と高見順のいとこ関係については正確に書かれているが、高見順やその娘、高見恭子が「二代続けて愛人の子が名をなした」と余計なことを書いているわりに、高見恭子が国会議員(元プロレスラー)と結婚していることを落としている。

また江藤淳と雅子妃が遠い血縁であることや、国学者本居宣長の子孫が「赤い靴はいてた女の子」の作詞家である本居長世であることや、本居家は元々、伊勢松坂の紙問屋である小津家からの分家だそうで、ここに映画監督、小津安二郎が生まれる。

また、名家と言うには短すぎるが、作家、新田次郎のこどもが藤原正彦とは知らなかった。「『国家の品格』をベストセラーにした」と書かれている。

まあ、そんな感じの本なのだが、斜視的読み方ではあるが、どんな家でもたいして長続きしないものだということがわかるような気もする。われわれ無名人にも、そのうちチャンスがくるのかもしれないが、それがなんだ、と言われればそれまでの話かもしれない。