自由主義社会での個の権利の制限

2007-12-17 00:00:44 | 市民A
佐世保の乱射事件のあと、銃規制について、多くの識者が主張しているのを見ると、「全面的な銃規制(禁止)」、までは行わなくても「銃の集中保管制度」とか「銃の所有権ではなく使用権」に限定すべきだ、という意見が多く見られる。つまり、集中保管制では、自宅には置かず猟友会とか警察に預けておいて、使用の時だけ持ち出すことができる。使用権というのは、例は悪いがゴルフの貸しクラブみたいなもので、都度、レンタルするようなものだ。

もちろん、マイ銃でなければ役に立たないとか、銃を磨くのが趣味とか言う人は猛反対するだろう。

そして、この話は、おおげさに言うと、銃を所有するという個人の権利と社会の利益(不利益)といったものの関係になるのだろう。おそらく自宅に何丁もの銃と数千発の銃弾を置いておくということは、どう考えても社会的に危険であるし、そういう人に対応しようとすること自体が社会的に無駄になる。益はほとんどない。

これが、都内に赤と白のヨコシマの家を建てるという幼児性の漫画家の場合は社会的不利益はあっても小さいし、なにしろ、そのうち飽きて本人が塗り替えるかもしれないわけだから、なかなか強制的には排除できない。


ところで、話は少し変わるが、同じ凶器といっても走る凶器のこと。

昨日、首都高速を運転していたらとんでもない図を見てしまった。「落ち葉マーク」である。別名「もみじマーク」と言われるようだが、もみじの形ではなく、枯葉の色と形である。70歳以上のドライバー用である。


私の走っている百数十メートル前を、落ち葉のマークのついた、軽のワンボックスが走っていた。だいたい都内を軽のワンボックスで走ることは難しいし、さらに細く曲がりくねった首都高速の上である。その車の進路がまったくでたらめなのである。概ね、片側二車線を仕切る白線の上を走っている。そして、カーブでは大きく外側の壁に向かって、激突寸前になると戻ってくる。そして今度は逆だ。二車線をフルに使ってカーブでは外側車線から攻めて、内側の車線のインコースぎりぎりを狙う。

さらに後続車は怖くて近づけないのだが、落ち葉車は激しく前の車を煽っている。


知人たちの間の話でも、いつ、親の免許証を取り上げるか」というような話が盛り上がる。ところが本人は「大丈夫!」といって取り合わないことが多いらしい。

まあ、そういうのも個人の権利の問題であるわけだ。そういうのが高速道路で逆走するのだろうが、被害者はたまらない。

1.高齢者の高速道路の走行禁止。
2.速度リミッターをつけて80キロで制限する。
3.ICカードでドライバーの本人確認をすること。

などが必要なのではないだろうか。

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