美学破れたり

2007-12-01 00:00:42 | しょうぎ
真部一男八段の逝去の報にふれる。平成19年11月24日享年55歳。同日贈九段となる。首を病み、胸を病み、最後は肝臓まで病魔に冒されていたようだ。私生活は崩壊感覚だったようだが、こと将棋については、誰も彼のことを悪くいうものはいないだろう。将棋に美学を追求していた。ここ10年余にわたって将棋世界誌に「将棋論考」を連載していた。2007年12月号が連載128回目。

没後、彼の本名が真部ではなく池田だったということが発表されたのだが、その辺の事情も含め、将棋世界誌2005年11月号「時代を語る・昭和将棋紀行/木屋太二」で真部八段が特集されていた。同年9月2日のインタビューを基にしている。中には、テレビドラマで天野宗歩を演じたときの写真もあった。

かいつまんで書けば、両親とも浪曲師で父は福島県出身の真部常吉といって、村田英雄なども同僚だったそうだ。東京出身の母も浪曲師だったが、わけあって父と別居、一男の妹の絹代(土佐六段の妻)と三人で新宿区大久保に転居。母は保険外交員として働いたそうだ。2005年当時の記事によれば、母は81歳で熱海に在住と書かれている。

そして将棋を指し始めるのが小学6年の頃。同級生に強い子がいて歯が立たなかった。しかし、6年の夏に一男少年は何らかの原因で体をこわす。そして10日ほど入院中に、母の買ってきた数冊の棋書を読み解いたところから将棋指しとしての一歩が踏み出される。つまり、彼の将棋人生は、病気に始じまり、病気に終わるということになる。

その後、将棋連盟内の道場で腕を磨き、高校も中退し、奨励会で将棋一筋の青春を過ごす。自分の青写真では16歳でプロ四段だったそうだが、当時の制度はプロ四段になるためには、年2回の奨励会三段リーグの東西一位同士が決戦を行うことになっていた。最初のチャンスは昭和46年前期。森安三段に対して、中盤で投げてしまったそうだ。対局中、脈拍が120に達する異常興奮状態となり、対局困難になったということらしい。

そして、3期後の昭和47年後期。体調管理に気を配り、淡路三段を破りついにプロ四段となる。21歳。客観的に考えれば、21歳が遅いということでもないし、何しろ早くプロにならないと名人になれないかというと、それすらはっきりしない。その後、超特急ではないが、期待の星として急行電車で活躍を続けていく。

順位戦だけで言えば、C2組を3年で通過、C1組を1年、B2組を2年。そして、B1組で揉まれることになる。B1に在籍8年。A級昇級は昭和63年になる。36歳。そして1年で降級するも翌年A級復帰。しかし、先人の壁は厚く、再びB1組に降級。

一方、A級で苦闘している頃より、彼は首の奇病に悩まされ始めていく。本人は、ビリヤードもできなくなった、という。そして、あれだけ住み慣れていたB1組に留まることなく1年で降級。これからは、「上の景色をチラッとみて、また麓に戻る人生」と、本人は自笑的に書いている。

B2組を8年。さらにC1組5年。途中、降級点を取ったり消したりと盤上の戦いは続いていた。そして今年はC2組3年目であった。2005年11月号には、九段と通算600勝にあと数十勝と書かれている。通算598勝ということは、自力九段までにもあと数勝であったのだろう。

そして、彼の病気のことだが、将棋世界誌・2006年7月号「将棋論考111回」の中に、触れられている。これは、9年間続けているコーナーに、前月6月号で初めて穴を開けたことに対する、彼からの謝罪のことばの中だが、

・穴を開けたのが連載111回目という自分の棋士番号(111)であったこと

・2006年4月15日に呼吸が困難な状態に陥いり、28日間の入院をしたこと

・2005年末に肺のレントゲンで、タバコのみがよく罹る相当深刻な病状であったこと

・それ以来、体力的に困難な状況が続いていたこと

・急な入院で、不戦敗となり相手の阿久津四段に迷惑をかけたこと

などが記載されている。

さらに、才能にあふれる彼の筆は、その困難な時期であった2005年後半の自らの対局について書く。


呼吸は日を追うにつれ浅くなり、深く息を吸い込めない、欠伸すらできない状態となっていった。昨年の8月の対局時には日頃にも増して息苦しく、夕刻には余程おかしな呼吸をしていたらしく、対戦相手の先輩棋士が無意識であったろうが、「唸った病人助からぬ」と呟いた。
もちろん、その先輩は私の病状など何も知らないのだから、まあ、対局中の軽口のようなものである。だが、私にしてみれば傍目にもそう映るのだという現実を突きつけられた気がして心は沈んでいった。

なんと、心から残虐な先輩ではないだろうか。後に、この棋士が大内延行九段であることがわかる。「美」と「俗」である。

そして、歴史には例外なく、「美学」敗れたり


将棋論考は、おそらく12月発売の2008年正月号には、連載第130回が掲載されるのであろう。その中で、自身の状況について触れることがあるのかどうか、それはわからないが、それが絶筆になるのだろうか。

棋界を見回しても、「論考」を引き継げる才能は多くはないだろう。あるいは、「美学の系譜」であれば谷川九段ということなのかもしれない。連載の途切れる130回という数字は、奇しくも谷川九段の棋士番号130に繋がる。



d76328d9.jpg先々週11月17日出題問題の解答。

▲5三歩成 △同桂 ▲3四桂 △同金 ▲4三飛 △同玉 ▲4四飛 △同金 ▲同角成 △3二(4二)玉 ▲3三金 △3一玉 ▲5三馬 △2一玉 ▲3一馬 △同玉 ▲2三桂 △2一玉 ▲1一歩成まで19手詰

まず、桂の質駒を作っておく。次に、持ち駒の飛2桂1を全部使って金1枚と不利交換する。最後は▲5三馬と桂を取るのだが、それを△同歩と取ると早詰めになる。一旦の△2一玉に最後は馬の押し売りで決着。


d76328d9.jpg今週の問題は、亡き九段をしのび、「石」がテーマ。安眠の場がどこになるのかわからないが、永く安らかに。

わけあって、天地逆転図とした。

これでは見にくいという方は、こちらへ

手順に美学はないのだが、コメント蘭に最終手と手数をいただけば、正誤判断。





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