佐世保プールサイド乱射事件について

2007-12-16 00:00:07 | 市民A
まだ、事件の動機・原因・深因などについて明らかになっていないため、後で読むと、的外れになる部分もあるかもしれないという前提で、自分的に考えてみる。

犯人は三丁の散弾銃のうち、二丁を車に残し、残る一丁で自殺したわけだが、怨恨などの理由で犯罪を起こすのが目的で、副意的に自殺したのか、あるいは自殺が主目的で、そのための何らかの儀式として乱射があったのか。このいずれかを特定するのは非常に重要だと思う。

複数の友人をスポーツクラブに呼び出して、事件の被害者だけが災難にあったことを考えれば、先に自殺目的があったのではないだろうか。犯人が亡くなっているので、簡単にはわからないかもしれないが重要なポイントである。

仮に、自殺目的と考えた場合は、さらに二つの観点が必要だ。まず、「道連れ」になった方はたまらないということ。先日も池袋とか浜松町でビルから飛び降りた人間の犠牲になった方が続出した。犠牲にまでならなくても、人身事故とかで月曜の朝、数万人が1時間電車に缶詰になったりするのも、このケースだ。まあ、思いつめると他人に迷惑をかけるとか思わないのだろうか。

次に、なぜ、自殺するかということなのだが、このテーマは重過ぎるので書くつもりもないが、自殺者の多くは、ある種、精神的に一時的あるいは長期的疾患を持っている場合が多い。まあ、痛い思いをして直ぐに死ななくても、どうせいつかは死ぬのだから、頭がぼけるか、モルヒネ漬けになるまで待っていればいいのに、と思うだけだ。

そして、犯人の様子が前からおかしく、銃を持って出歩いていることまで警察に通報されていたのに、野放しにしていたことは、とうてい許されないだろう。銃の所有自体、狩猟、スポーツ、美術品鑑賞という目的に限られているのにかかわらず、日頃、何の目的もなく銃を持ち歩く行為など、規制できるのではないだろうか。しかも、散弾銃3丁、空気銃1丁。おそらく、買いたければ何丁でも買える仕組みなのだろう。一小隊分でも可能かもしれない。


それで、ブログだから好き勝手書くのだが、元々、銃とか狩猟とかいうのはほとんど男性がやっている(パトリシア・コーンウェルの小説では、女性検屍局長が拳銃を乱射して、事件を解決するが)。こういう攻撃的な行為は、男性ホルモンによるのだろう。一方、男性ホルモンが多すぎると頭が薄くなるのと同時に凶悪犯罪性を増して行くわけだ。つまり、より危険な人間こそ、銃を持ちたがるし、銃を持つことができるわけだ。


もう故人になったので、書いてもいいだろうと思うのだが、ずっとずっと以前、学校を卒業して最初に入った会社の担当の年配役員が、ある日、何らかの原因で銃が欲しくなったわけだ。そして、色々と仕事時間中にパンフレットを読んだりしていて、とうとう御当局の許可が得られ、新宿銃砲店に銃を買いに行ったわけだ。もちろん勤務時間中だ。銃を手に入れたことが、あまりにも嬉しかったのか、自分の机の横に置き、部下と目が合うと、銃で狙いを付けたりするわけだ。「おおたく~ん」とか言われて顔を上げると、銃口がこちらを向いている。もちろん勤務時間中だ。今、思えば、シベリア抑留経験があるとか言っていたから、何らかの銃に関する異常体験が、彼に銃を買わせたのだろう。もちろん彼の最後の儀式には行かなかった。頭は、いわゆるO型HAGE。

次に、ずっとずっと昔の友達の友達の友達の友達の話。a friend of friend of friend of friend。「ピストルの分解掃除」が趣味の人がいる、とか風の噂を聞いたことがある。もちろんただの噂だろうとは思う。なにしろ、表に出ない話だが、戦前は日本もアメリカのように銃の所有は自由だったらしい。その中でたいていの人は政府による金属調達の時に提出。一部、秘匿されたものが戦後に残っているらしいのだ。もちろんピストルは、目的が対人用なので、日本では禁止になっている。こちらも故人のはずだ。


で、銃規制と言えば、アメリカではライフル協会が大反発するのだが、日本では、もう少しで首相に手が届いた麻生太郎氏がクレイ射撃の五輪選手だった。ところが、首相の座は打ち落とせず、椅子に座っているのは福田康夫である。近い将来、今を振り返ってみると、「銃を規制したことだけが福田内閣の功績」とでも言われるかもしれないが、しっかりやってもらいたいものだ。もちろん自殺対策も含めてだ。

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