津島派誕生は斜陽の象徴か?

2005-11-06 23:22:29 | 市民A
4e307f58.jpg金曜の朝(11/4)の通勤電車内で「津島家の人びと(朝日新聞)」という本を読み終わる。津軽の名家である津島家に生まれた政治家や小説家(つまり太宰治)の一家の最後に「津島雄二」という若い入婿が1976年に衆議院議員に当選するところまでで終稿となり、いかに知事や議員を輩出しても、後世に残るのは不良息子であった太宰の小説だけだろう、という、ごく一般的な結論(それも朝日新聞らしく、他人の口から語らせるという技法)だったのだが、この本が書かれた1981年当時には、予想できなかった展開になった。

津島雄二氏はその後、青森県での議席を守り続け10期当選という輝かしい政治家歴を打ち立てたのだが、4日午後のマスコミ報道によれば、自民党橋本派を引継ぎ、津島派とし、その会長の椅子に座ったということだ。本命候補の額賀氏が入閣したことから津島氏に譲ったらしい。元はといえば橋本会長の「ごっつぁん白封筒」からの展開だ。本物の「ごっつぁん」が津島雄二に転がりこんだわけだ。大本命の額賀氏が派を引継がないようにと小泉首相がそこまで読んで入閣させたのかどうかはわからない。

そしてこの雄二氏の妻は、太宰治の実の娘なのである。実は、この「津島」という姓は、雄二氏の本当の姓ではなかった。本名は上野雄二。大蔵官僚から政治家を目指すため、津島家に婿入り。地元で無敵の「津島姓」を得る。小説家の娘だから結婚したわけではなく、元知事で衆院議員の津島文治氏の甥になるためだったのだ。そしてこの文治氏の父親の源右衛門氏も貴族院議員だったそうだ。

したがって、津島雄二氏には津島家の遺伝子はつながっていない。文治と修治(太宰治)の兄弟の名声が踏み台になったのだろう。

ところで、本を読んでいると、政治家の兄文治は弟の太宰治が玉川上水で自殺したことについて、「都民の飲み水を汚したことを深くお詫びする」というような言い方をしていたそうだ。衝動的に行動して、それを小説にしていた弟とは正反対の考え方をすることが面白い。石原家のようだ。

さて、太宰は青森中学から弘前高校に進むのだが、この弘前高校には意外な人脈があったのだ。一人は亀井勝一郎氏。左派的立場を生涯つらぬいた評論家。そして次に田中清玄氏。戦前の日本共産党書記長で戦後は転向(?)して、左派的右翼のフィクサーとして、活躍。中東フィクサーでもあった。そして、彼がまだ生存しているのかどうか、よくわからないのだ。アンタッチャブルなのだろう(亀井・田中両氏とも函館中学の出身でもある)。

その後、田中氏は色々事情があって児玉誉士夫氏を中心とする右派右翼と対立していて、1963年11月9日午後6時、東京都内で狙撃され負傷している(暗殺未遂)。実はこの日は、朝9時に国鉄鶴見線で二重衝突(死者161名)、午後3時に三井三池炭田で爆発事故(死者458名)という巨大事故の日で、この田中清玄暗殺未遂はまったく記事の扱いではない。犯行は対立する東声会のヒットマンによるものであった。そして、この東声会には、児玉誉士夫氏を信奉する元共産党員からの転向者である「Y社のW氏」が在籍していたとかいなかったとかという噂があるのだが、真相は不明。


4e307f58.jpg実は、この津島派誕生の話を聞いたとき、ちょっとビクったのは、実際に読んだり、ブログアップしたことに関連した事象が、後で現実化しているような、嫌な予言感なのだ。細木数子?
1.弘前→太宰→津島家の研究・・・津島派誕生
2.ナチス農業の本を読む・・・ナチス好きの少女の毒薬事件(容疑)
3.目の光る三毛猫画像のブログ使用・・・人食い猫(容疑)
といった具合だ。別に洞察力といった問題ではなく、人知を超えた組み合わせだ。
今月の画像はいかにも危険な場所を走る中央線なのだが・・

そして何冊かの読みかけの本も微妙だ。最後のページを読み終えない方がいいかな。
・ブッシュの終わりなき世界戦争(浜田和幸) 書名通り心配。
・韓国・サハリン鉄道紀行(宮脇俊三) 場所が不安定だ。
・不運な女(ブローティガン) 自殺した後に発見された、未公開だった原稿。
・東京奇譚集(村上春樹) 奇妙な話だらけだ。