ハルキストを悩ませる東京奇譚集

2005-11-16 22:23:20 | 書評
a7826377.jpg村上春樹の小説としては、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」に続き、この「東京奇譚集」が登場した。短編五作。偶然の旅人ハナレイ・ベイどこであれそれがみつかりそうな場所で日々移動する腎臓のかたちをした石品川猿。最後の品川猿は本書のための書き下ろし。

村上春樹の作品を読み続けると、「ノルウェーの森」、「国境の南、太陽の西」以外には、たいてい奇妙な人物が多数登場する。突然あらわれた双子の姉妹、小指のない少女、鼠、羊男(人物と言えるかどうかわからない)、そしてこれらの「風の歌を聴け」からはじまる長いストレンジジャーニーは、一旦、「ダンス・ダンス・ダンス」で終結する。ノルウェーとダンスは同時並行的に書かれているのだが、もう一冊、この二つの小説をギリシアで書いたときのエッセイ集「遠い太鼓」というのがあり、三冊セットになってとりあえずの村上春樹第一幕閉幕というように考えられる。

そして次に位置するのが「ねじまき鳥クロニクル三部作。なぜか一部、二部は同時に出版されたが、第三部の完成が遅れ、ハルキスト達は心配していた。ねじまき鳥は作者の力技で最後は収拾したのだが、パンドラの箱のようにフラグメントが散逸しそうなあやうさを保ちながら終わる。そして評判の高かった「海辺のカフカ」と評判の低かった「アフターダーク」につながる。カフカに登場する人物にナカタさんというのがいて、ネコと会話ができることになっている。ナカタさんが世界とつながっているのは、ネコを介してだけなのだが、小説の終結部で彼はネコとの会話ができなくなり、まもなく死ぬ。私だけかもしれないが、ナカタさんがネコとしゃべれなくなるシーンは悲しくて泣きたくなる。

そしてこの東京奇譚集だが、最初の4編は、小説の中から次々に尋常ではない謎が生まれてきて、そして読者の前に未解決のまま投げ出されておわる。賢い読者であるなら、この4編は来るべき長編小説の粗筋のような存在なのだろうと思うだろう。そして、ハルキスト達は長編を怖がらない。ノルウェー、ダンス、太鼓、ねじまき鳥だけではなく、地下鉄サリン事件の被害者を追ったノンフィクション「アンダーグラウンド」は二段組で727ページもある。

さて、「偶然の旅人」と「ハナレイ・ベイ」は”偶然”をテーマにしている。単なる偶然の一致に、見えない糸を紡ぐ小説。「そしてどこであれ・・・」と「日々移動する腎臓・・・」はファンなら「もう少し長く書いてくれないと、食傷気味だ」ということになる。作者には、筋書きに対して説明責任があるということか。

そして、この外部に対して、あるいは未来に対して開放型の四作とは異なり、最後の「品川猿」は完全性を求めた作品だ。中に出てくる「名前を失いかけている女性」や「名前を盗もうとするコトバをしゃべる猿」はきわめて不自然ではあるが、それなりにすべて合理的にかたをつけて終わる。そして最も完成している「品川猿」を読む限り、次作の必要はない。(いずれ、出版されれば読むのだろうが)

ところで、作品を読み解く行為には関係ないのだが、一作目の「偶然の旅人」で登場するのは、「神奈川県に少し入った」場所にある「トイザらス」や「ボディショップ」や「ギャップ」や「スタバ」があるアウトレットモールにある大型書店の一角にある「カフェ」で出会った男女の話であるのだが、そのモデル地区はどこだろうか?ということを軽く考えてみた。

そうすると、およそのエリアが特定されてくる。まず、神奈川に少し入ったところというところから、川崎、横浜北部ということになる。そして登場する有名ショップの中で店舗数が少ないのは「トイザらス」と「ボディ・ショップ」なので、二つの共通の場所を調べると、ない。ただし、横浜都筑に1キロの距離でならぶ「東急SC」にトイザらス、阪急を中心とした「モザイクモール」にボディショップがあることがわかる。ギャップは両方に店舗がある。スタバもある。

一方、この二つのモールは「アウトレット」ではない。アウトレットは少し先の南町田(なぜか東京都)にあるが、逆にそこにはスタバ以外の店舗はない。アウトレットのモールにトイザらスはないだろう。つまり、一つのモールではなく、これらの複数のショッピングモールからイメージしているのだろう。

そして問題の、「カフェのある大型書店」だが、現在は見つけられない。ただし、センター南駅近くの東急SC側のビルに入っている書店「リブロ」は、現在は普通の書店ではあるのだが、数年前のSC開業の時には、確かカフェがあったような記憶がある。もちろん、小説に書かれた静寂な世界などあろうこともなく、平日も人であふれているのだが。

ところで、この神奈川のショッピングモールの件と、もう一箇所、「親に嫌われて東京から横浜の学校に追い出された少女」の話がある。どうも村上春樹は東京と横浜を天国と地獄のような対決軸で見ているようにも思えるのだが、それは、横浜住人としては一言文句をいいたいところだ。さらに、地獄サイドのように思われている横浜北部だが、ここは、同じ姓でもノーベル文学賞の候補になっていない村上龍のシマであることを忘れてはならないだろう。

追記:品川猿は「シナガワサル」ということで、品川区の自宅から引越しするというサインではないかと仮説を立てたのだが、どうも品川に住んでいないようなので、はずれだ。