千葉市幕張方面の様々な事情

2005-11-09 23:14:09 | 市民A
bcb1db1a.jpg千葉市シリーズの最終回は、幕張周辺のようす。といっても千葉マリンスタジアムや幕張メッセという海浜幕張方面ではなく、JR幕張駅の近くの旧市街地区の方の話。数ヶ月前にアスベスト被害を受けた従業員の存在を公表したM社関係の工場跡地を見に行ったままになっていた。その後、厚生労働省の認定工場になるかと思えば、認定されないままになり、企業のホームページからも消えた。跡地はマンションになってしまったのだが、その後背地には住宅が立ち並んでいる。以前、私が短期間住んでいた場所とは違うので、もうこれ以上係わらないことにする。

そして、以前住んでいた場所に行く途中に、江戸時代の農学者(というか農林大臣のようなものか)青木昆陽が、関東平野にサツマイモを栽培するための実験農場にした跡地を記念した「昆陽神社」に寄ってみたらびっくりした。何しろ線路際にあった神社のあった丘そのものがなくなっている。そしてそばにあった踏切りが「開かずの踏切り化」しているという理由で、巨大トンネルに変わっていた。ただのトンネルなのに、高速道路のインターチェンジのような代物で、隣接する丘とそこにあった神社が犠牲になったようだ。どうして、こんなに大げさなことをやるのだろう。

bcb1db1a.jpgそして、神社の敷地から少し離れたところにある青木昆陽を称える石碑だけは残っているのだが、入口に柵があり、鍵がかかっている。遠めに立て札の文字を読めば、神社本体は移転工事中ということ。しかし、場所が変わったらご利益もないのにと思ってしまう。

とにかく、この火山灰と砂地でできている関東の荒れた土地で稲作以外の炭水化物の栽培を始めたことで、凶作時の餓死者が大幅に少なくなったということのようだ。最近読んだ津軽半島の悲惨さの話などど重ね合わせると、サツマイモだけではなくジャガイモの栽培も実験できればよかったのだろうが、ジャガイモが日本で本格的に栽培され始めるのは、北海道がアメリカの植民地になった(いや、それは書き過ぎか)明治以降だ。

余談ではあるが、大先輩の椎名誠氏もこの地に住んでいて、この昆陽神社の丘の上で遊んでいた、ということを最近、エッセイで読んだことがある。もうこどもの遊び場はなくなり、エッセイストの卵たちは幕張からは産まれなくなったわけだ。

ところで、次に、卒園した幼稚園を見に行く。道筋はほとんど変わっていない。ちょっと細い道に入ったところにあるキリスト教バプテスト派の教会の付属幼稚園「A」。しかし、思い出の場所には見つからない。近くを歩いたがやはり、最初探した場所にあったはずだ。そして、その幼稚園の建物と園庭があったに違いないやや広めの場所は、そのままの形で肉眼に見えてきたのである。ただし、建物の場所には民間のアパートと分譲住宅が建ち、園庭の部分はちょっとしたタイル貼りの空地と若干の駐車場ということだ。「廃園」という悲しいコトバが頭に浮かぶ。

bcb1db1a.jpgそして、もと住んでいた住宅地の方へ向かうと、隣接地にあったはずの住宅資材工場(ここを冒頭のM社工場と疑っていたのだが)がない。そして工場用地とくっついていた以前の住宅地もなく、一括した広い敷地になっている。そして、何の因果かそこには、大きな美しいキリスト教会が建っている。そしてその教会の入口には、幕張バプテスト教会という看板が・・

日を改め、教会の方に電話をしてみた。幼稚園のことを聞いたわけだ。すると予想通り「A」幼稚園は、この教会の付属幼稚園だったそうだ。そして20年近く前に、諸般の事情で閉園したとのこと。そして、建材工場が移転したこともあり、場所の移動を行ったということだ。まだ名簿は保管しているとのことで、「名簿のコピーでも要りますか」とのことだが、丁寧にお断りする。私にとってしか意味のないものを確認する必要もなし。

瀬川 will meet 島村.

2005-11-09 23:12:34 | しょうぎ
昨日のブログ「特例棋士の対岸にいる青年」で紹介した新四段の瀬川さんと対岸側の青年として紹介した島村元二段。
島村二段から、直接のコメントもいただいたのだが、何と島村さんの将棋教室にゲストとして瀬川さんが登場するとのこと。

二人の川幅は狭いのだろうか、やはり広いのだろうか・・

詳細は島村ブログで・・