弘前、そこでは時間は止まっている

2005-11-23 21:57:12 | 美術館・博物館・工芸品
弘前は遠い。東京から行くならいくつかの方法がある。飛行機なら青森空港からバスで1時間かかる。新幹線で行くなら、八戸から在来線で青森に向かい、今度は少し逆走して戻らなければならない。あるいは、盛岡からバスもあるがこれも合計6時間はかかる。高速道路は弘前インターがあり、その先が青森なのだが、何しろ700キロもある。地理的にはブナの原生林が広がる白神山地を背後に従えているのだが、ちょうどこの位置は対馬海流の流れが本州に近づくため、緯度の割りに温暖でそして平地だ。しかし、私が早朝7時着のバスで到着した時は、ちょうど雪の合間で、風が冷たい。

bd0670ab.jpg数々の防寒装置を持っていたのだが、とりあえず、スパイク付き革靴とアンダータイツ、コートとマフラーを使用する。ベストと手袋とホカロンはまだ使わない。弘前から、さらに寒い場所へ北上する予定だからだ。そしてバスターミナルからとりあえず天守閣のある弘前公園を徒歩でめざすが、まだ7時半。公園の開園は9時なので、それまで、各観光地を歩くことにする。が、弘前は津軽の中心だったこともあり、観光スポットは点在し、一筆書きにはならない。めずらしく購入したガイドブックを片手に、行きつ戻りつということになる。

まず、弘前には教会が多い。レンガ造りなのが弘前昇天教会で洋館風が日本基督教団弘前教会。これはいい勝負と見た。

bd0670ab.jpg次に、青森銀行記念館。旧第59銀行本店は城下町の弘前にあったそうだ。記念すべき記念館を写真に撮影しようとすると、どうしても電線がじゃまになる。ガイドブックの画像も電線が写っている。現在の青森銀行は青森市にある。城下町の弘前に対して、青森は商業都市だ。ところで、青森には「みちのく銀行」という一見、優良な銀行がある。ただし、どんどん預金残高が増えても、青森では貸付先がないそうだ。そのため、結構、積極的にプロジェクトものに手を伸ばしているそうだ。さらにロシアに3店舗出店。「live or dead」だ。

bd0670ab.jpg弘前公園を回り込んで裏側に向かうと長勝寺があるのだが、その門前には、みやげ物店ならぬ禅宗の寺が集まる。33もの寺が並ぶ禅林街となっている、禅寺デパートか。そしてさらに足を延ばすと東北随一と言われる最勝院の五重塔があるのだが、その隣に「太宰治の通学していた、とその時勘違いしていた」弘前高校があった。太宰が行った旧制弘前高校は現在の弘前大学。勘違いしたため、別の文化財を発見した。戦前の講堂だけが保存されている。ガイドブックには書かれていない新情報だ。そして、この高校からは隣の最勝院の五重塔が、よく見えるのだ。地元では最勝院ではなく大円寺と呼ばれているということ。後で調べると、1600年代にここにあった大円寺が津軽藩の命で五重塔を建てたのだが、明治初年の廃仏毀釈で廃山。その後、最勝院として復活したそうだ。津軽人の記憶力はすばらしい。

そして、今回の津軽ツアーの一つの目的である太宰関連では、万茶ン(喫茶店)、一戸時計店(時計)をからかう予定であったが、いずれも開店前でありパスする。

bd0670ab.jpgその後、弘前城のある弘前公園に行ったのだが先日アップしたので省略する。さらに「津軽藩ねぷた館」に入る。ねぷたの絵師も浮世絵師のように、有名な絵師は限られた伝承の中にいる。ねぷたの太鼓を叩かせてもらってから、さらに、津軽三味線の独演会を聴く。若い佐藤さんという千葉県出身の修行中の19歳の青年の熱演。ジョンガラ節、よされ節。佐藤さんは、たぶんまた違う弦楽器を求めて旅に出るのだろう。千葉はふるさと感のない県なので結構有名な探険家を生んでいる。世界の食文化の研究の第一人者の石毛直道氏、小野田寛郎少尉を単身で救出した鈴木紀夫(故人)など。

そして、いよいよ時間がなくなり、次の目的地に向かうため駅までタクシーを利用。バスは100円だが、五能線に乗り遅れるともっと大損害なので、約1,000円を支出。弘前駅は立派だ。そして、五能線、鯵ヶ沢(あじがさわ)行きに乗り、五所川原へ向かう。実は、鯵ヶ沢という列車の行き先は人生で初めて聞いたのだが、妙なことに横浜に帰ってすぐに別の場所で聞くことになったのだが、それはまだ一部調査中なので、別稿。

bd0670ab.jpg追記:初稿では、教会を取り違えていたので、修正。ガイドブックに洋館風の弘前教会の記載がなかったため、弘前カソリック教会と混同。ということで弘前カソリック教会は見損じていたことになる。こんな感じだったようだ。