ゲンチャも他国籍

2005-11-17 22:21:16 | マーケティング
ef73fe6d.jpg少し前のことだが、「ゲンチャ」を購入することになった。玄米茶ではない。原動機付き自転車→原付き→ゲンチャリ、と変化し、横浜方面では「ゲンチャ」になっている。これ以上短くすると「ンチャ」ということになるが、これではアフリカ系言語になってしまう。

まず、今までこの商品を買ったことがなかったので、どこへ行けばいいのかよくわからない。太い街道沿いをクルマで走っていると、反対車線に、よくみる大きなバイク専門店がある。路肩に違法駐車して車内から様子を窺うと、どうも怖そうなオニイサマがたが客層のように見える。そして大型二輪ばかりのように見受けられる。パス。

次に各種メーカーの看板を出しているショップがある。通り過ぎてから、先の交差点でUターンして、またしても反対車線から様子を窺うと、怖そうなヒゲの店員がいるのだが、お客が駐車場に入ってくると、たちどころに表情が変わり、大福様のような顔になる。店頭には海のように大量のゲンチャが並んでいる。とりあえず、ここに入ってみよう・・と再度Uターンする。

だいたい、ほとんど商品知識がないので、とりあえず店頭に並んだ各車両を眺めるのだが、その差を理解できない。そして目が慣れたところでヒゲ店員を呼ぶ。実は、スズキのチョイノリという安い製品があるのは知っていたのだが、写真では、どうみても頼りない。ただ名前を知っているだけで他社製品と比較しない人間はいないだろう。そして、この店にはスズキはない。話を聞くと、売っているのは、ホンダとヤマハとKYMCOという台湾製のメーカーの3種類。基本的には各社ともカラーバリエーションが少々。

ホンダとヤマハはもちろん知っているがKYMCOというのは初耳。冷蔵庫の脱臭剤のメーカーかなとか本気に思ってしまう。価格はホンダとヤマハは12万円位が表示されているが、言えば1-2万円は引きそうだ。台湾製KYMCOは1-2万円表示が安い。

そして店員に、「台湾製はやはり・・・」というと「ヤマハも台湾製です。ホンダは中国製です。ヤマハとKIMCOは部品は8割同じです。」と通告を受ける。そして、全部2サイクルエンジンでモーターオイルは2サイクル用を継ぎ足して使うのかと思っていたら、ホンダは4サイクルエンジンで四輪車と同じくモーターオイルは定期的に交換する必要があるとのこと。

「それでは、2サイクルの方が簡単じゃないの」というと「簡単だからディーラーに行かなくなって整備不良になることがある」と恐ろしいことを言う。「じゃあ、どちらがいいのか」と聞くと、とたんに優柔不断になって「お客様の好き好きで」と言う。どうも、あとでつべこべ言われたくないらしい。結局、「ちょっと考えてから、また来るから」と意味不明な言葉を残して、店を去る。ちょっぴり第三のメーカーであるスズキのチョイノリを調べてみたかったからだ。

そして、一旦帰宅してからホームページでスズキ取扱い店を検索して、やっとの思いで、あるディーラーに行く。ここもヤマハ・ホンダ・KYMCO三社製が中心だが、隅の方にチョイノリはあった。ちょっと小さすぎて頼りない感じだ。確かに6万円位と安い。さらに、わざとらしく、「日本製」と紙が張ってある。そして、こちらの店員に聞くと、「この辺は坂だらけだから、ちょっと・・・」ということ。その結果、結局日本メーカーA社の方の製品を買ったのだ。

実は、後でじっくり研究してみると、今、エネルギー価格の高騰でバイクが売れ出していることがわかった(私は別の理由で購入するのだが)。だいたい国内では、月間でゲンチャが5万台、大きなバイクが2万台というのが販売台数なのだが、どちらも長期低落傾向だった。しかし、統計を分析してみるとこの2005年5月から前年比が100%を超えるようになってきた。さらに、海外での販売はかなり好調が続いていることがわかった。もちろん燃費のせいだろう。さらに、バイクを買わなかった方のB社の株価はかなり割安そうに思えてきた。

その結果、A社へ払ったバイク代の約10倍をB社の株式に投資してしまったのだ。人間の購買パターンはかくしてきわめて奇妙だ。そして、今のところ、バイク2台分の利益がでている。

トルコの失ったもの

2005-11-17 22:20:21 | スポーツ
11月16日 ワールドカップサッカー予選最終日(イスタンブール)

トルコ 4-2 スイス  第一戦との合計(4-4)

    アウェー得点 スイス 2-0 トルコ

    結果、スイスが代表となる。

    そして、試合後の乱闘でスイス選手入院

トルコの失ったもの

 1.2006年のワールドカップの椅子

 2.EUの椅子 

ハルキストを悩ませる東京奇譚集

2005-11-16 22:23:20 | 書評
a7826377.jpg村上春樹の小説としては、「海辺のカフカ」、「アフターダーク」に続き、この「東京奇譚集」が登場した。短編五作。偶然の旅人ハナレイ・ベイどこであれそれがみつかりそうな場所で日々移動する腎臓のかたちをした石品川猿。最後の品川猿は本書のための書き下ろし。

村上春樹の作品を読み続けると、「ノルウェーの森」、「国境の南、太陽の西」以外には、たいてい奇妙な人物が多数登場する。突然あらわれた双子の姉妹、小指のない少女、鼠、羊男(人物と言えるかどうかわからない)、そしてこれらの「風の歌を聴け」からはじまる長いストレンジジャーニーは、一旦、「ダンス・ダンス・ダンス」で終結する。ノルウェーとダンスは同時並行的に書かれているのだが、もう一冊、この二つの小説をギリシアで書いたときのエッセイ集「遠い太鼓」というのがあり、三冊セットになってとりあえずの村上春樹第一幕閉幕というように考えられる。

そして次に位置するのが「ねじまき鳥クロニクル三部作。なぜか一部、二部は同時に出版されたが、第三部の完成が遅れ、ハルキスト達は心配していた。ねじまき鳥は作者の力技で最後は収拾したのだが、パンドラの箱のようにフラグメントが散逸しそうなあやうさを保ちながら終わる。そして評判の高かった「海辺のカフカ」と評判の低かった「アフターダーク」につながる。カフカに登場する人物にナカタさんというのがいて、ネコと会話ができることになっている。ナカタさんが世界とつながっているのは、ネコを介してだけなのだが、小説の終結部で彼はネコとの会話ができなくなり、まもなく死ぬ。私だけかもしれないが、ナカタさんがネコとしゃべれなくなるシーンは悲しくて泣きたくなる。

そしてこの東京奇譚集だが、最初の4編は、小説の中から次々に尋常ではない謎が生まれてきて、そして読者の前に未解決のまま投げ出されておわる。賢い読者であるなら、この4編は来るべき長編小説の粗筋のような存在なのだろうと思うだろう。そして、ハルキスト達は長編を怖がらない。ノルウェー、ダンス、太鼓、ねじまき鳥だけではなく、地下鉄サリン事件の被害者を追ったノンフィクション「アンダーグラウンド」は二段組で727ページもある。

さて、「偶然の旅人」と「ハナレイ・ベイ」は”偶然”をテーマにしている。単なる偶然の一致に、見えない糸を紡ぐ小説。「そしてどこであれ・・・」と「日々移動する腎臓・・・」はファンなら「もう少し長く書いてくれないと、食傷気味だ」ということになる。作者には、筋書きに対して説明責任があるということか。

そして、この外部に対して、あるいは未来に対して開放型の四作とは異なり、最後の「品川猿」は完全性を求めた作品だ。中に出てくる「名前を失いかけている女性」や「名前を盗もうとするコトバをしゃべる猿」はきわめて不自然ではあるが、それなりにすべて合理的にかたをつけて終わる。そして最も完成している「品川猿」を読む限り、次作の必要はない。(いずれ、出版されれば読むのだろうが)

ところで、作品を読み解く行為には関係ないのだが、一作目の「偶然の旅人」で登場するのは、「神奈川県に少し入った」場所にある「トイザらス」や「ボディショップ」や「ギャップ」や「スタバ」があるアウトレットモールにある大型書店の一角にある「カフェ」で出会った男女の話であるのだが、そのモデル地区はどこだろうか?ということを軽く考えてみた。

そうすると、およそのエリアが特定されてくる。まず、神奈川に少し入ったところというところから、川崎、横浜北部ということになる。そして登場する有名ショップの中で店舗数が少ないのは「トイザらス」と「ボディ・ショップ」なので、二つの共通の場所を調べると、ない。ただし、横浜都筑に1キロの距離でならぶ「東急SC」にトイザらス、阪急を中心とした「モザイクモール」にボディショップがあることがわかる。ギャップは両方に店舗がある。スタバもある。

一方、この二つのモールは「アウトレット」ではない。アウトレットは少し先の南町田(なぜか東京都)にあるが、逆にそこにはスタバ以外の店舗はない。アウトレットのモールにトイザらスはないだろう。つまり、一つのモールではなく、これらの複数のショッピングモールからイメージしているのだろう。

そして問題の、「カフェのある大型書店」だが、現在は見つけられない。ただし、センター南駅近くの東急SC側のビルに入っている書店「リブロ」は、現在は普通の書店ではあるのだが、数年前のSC開業の時には、確かカフェがあったような記憶がある。もちろん、小説に書かれた静寂な世界などあろうこともなく、平日も人であふれているのだが。

ところで、この神奈川のショッピングモールの件と、もう一箇所、「親に嫌われて東京から横浜の学校に追い出された少女」の話がある。どうも村上春樹は東京と横浜を天国と地獄のような対決軸で見ているようにも思えるのだが、それは、横浜住人としては一言文句をいいたいところだ。さらに、地獄サイドのように思われている横浜北部だが、ここは、同じ姓でもノーベル文学賞の候補になっていない村上龍のシマであることを忘れてはならないだろう。

追記:品川猿は「シナガワサル」ということで、品川区の自宅から引越しするというサインではないかと仮説を立てたのだが、どうも品川に住んでいないようなので、はずれだ。

自動車国内販売台数から一考

2005-11-15 23:18:55 | 企業抗争
2005年10月の新車販売台数の統計がある。
(from自販連&軽自動車協会:自動車は軽を除く、軽は四輪のみ)


 自動車(普通+小型) 281,452台(前年比  96.6%)
 軽自動車        146,033台(前年比 108.4%)

つまり、軽自動車は好調だが普通の自動車は不振ということだ。

まだ、中古車のデータがでていないため、比較のため、自動車、軽自動車それぞれの新車、中古車別の販売台数を2005年7-9月の3ヶ月間の実績で比べてみた。
 すると、

 自動車  新車    988,416台(前年比  98%)
 自動車  中古   1,258,022台(前年比  103%)
 軽自動車 新車   461,986台(前年比  104%)
 軽自動車 中古   662,825台(前年比  115%)

つまり、普通車より軽、新車より中古がより売れているということがわかる。

 普通+小型     2,246,438台(前年比 101%)
 軽自動車      1,124,811台(前年比 110%)

 新車         1,450,402台(前年比 100%)
 中古車        1,920,847台(前年比 107%)


ということになり、何とか新車台数合計では前年並みになっている。

2979cc52.jpg



















これを考えると、やはり「ガソリン代高騰の影響を受けている」という言い方が正しいのかもしれない。ハイブリッドを買うのも一つの方法だし、軽自動車にするのも一つの方法だ。そして、このデータを作ってから、近くの中古車販売店に目をやると、結構、軽自動車の中古車というのはたくさん売っている。そして中古といっても値段はまちまちで、10万円程度のものも結構あることがわかる。そして100万円程度のものもある。どうも雑誌などで読んでみると、格安車(10万円クラス)が売れているらしい。つまりかなり古くて、長持ちしそうもないものが売れているらしい。

これを考えれば、ユーザーは、とりあえず維持費の安い中古軽自動車で辛抱していれば、またガソリンが下がるだろうと予測しているのだろう。まあ、10万円カーで1年辛抱して・・ということか。

ところで、現在、軽自動車の保有台数は約2,520万台だそうだ。これは自動車全体の32%だそうだ。つまり3台に1台が軽自動車ということだ。そして100世帯あたりの軽自動車数は46台ということなのだが、実は、この平均値を県別にみるとかなり特徴があるのだ。まず多いほうは鳥取県。100世帯に対して、94台、第二位は島根県91台、第三位佐賀県も90台、第四位長野89台、第五位山形88台。一方少ないほうは、一位東京で100世帯あたり10台、二位神奈川18台、三位大阪25台、四位埼玉31台、五位北海道32台。

全国軽自動車協会連合会では、高齢化との因果関係で説明していたが、この組み合わせは他の理由でも説明できそうな感じでもある。さらに軽自動車ユーザーの65%は女性ということ。軽自動車だけの世帯は22%で残り78%は小型・普通乗用車と複数保有ということだ。燃費は軽自動車平均でリッター17.7KM、小型・普通乗用車は12.8KMということだが、車体重量が60%というところに原因があるのだろう。

というわけで、軽自動車には有利な点も多いのだが、やはり上のデータにあるように神奈川では、あまり見かけない。私ももし二台目が必要としても、あまり買いたいと思わない。理由の第一は、やはり東京や神奈川は大きなクルマで猛烈なスピードで走る人たちが多く、どうしても「事故」のことを考えてしまうからだ。もちろん、周りが軽自動車だらけになれば、衝突されたときの危険度が下がり、こちらも軽でいいかなとか思うだろう。そして、駐車場に多大な費用がかかることを考えれば、その上のガソリンの燃費の差などあまり重要にも思えないわけだ。

とは言いながら、時々、近所の家にも中古の軽自動車が並んだりし始めているのも事実。どういうことになるのだろう。

あることばで検索多数

2005-11-15 23:14:13 | 市民A
今日は、黒田家の結婚式なのだが、早朝に三陸沖でちょっとした地震と津波が起こった。例のある法則がチラッと頭をよぎったが、まあ信じているわけでもない。

が、少し気になるので、近くのビルにある牛丼屋に行くのはやめた。なにしろ老朽ビルの一階で、牛丼店の隣にあった耳鼻科から「耐震性に問題がありビルが取り壊されるので引越します」という転居通知が来ていたのだ。しかし、同僚に聞くと、本人のいるところは揺れないという第二法則があるということだ。式は都内だからヤレヤレか。

などと思って、自分のこのブログを解析してみると、現在(午後9時50分)に既に60人が「サーヤの法則」関連の検索でやってきている。自分でやってみると、google、Livedoorの検索で5番目に弊ブログが・・ヤレヤレ。

そして、あと2時間ちょっと残っている。


2fbca2b5.jpgで、話はそれだけなので、ついでに詰将棋1題。長いだけで難しくはない。

月とコウノトリの原因は坊主??

2005-11-14 22:53:11 | 市民A
44e344ed.jpg少し前だが、産経新聞大阪本社で10月25日夕刊に掲載された「月とコウノトリ(原題は月とランデブー)」という絶妙の写真が、合成写真だったとして、31歳の記者Aが謹慎処分となった。夕刊に掲載されてから、しばらくして同僚の記者Bが、”月とコウノトリの両方に焦点が合っているのはおかしいのではないか”と、「シロウトでも気付く矛盾」に気が付いて、その事実を糾したところ、自宅パソコンの画像処理ソフトで合成したということだった。そして、丁寧なことに産経新聞社は、その写真が合成写真であることを発表し、無期限謹慎処分とした。

記者として入社7年、カメラマン歴8年ということだが、この経歴はどういう意味なのだろう。コウノトリが月に絡むところを撮影したかったが、写せなかったので17日に撮影したコウノトリと20日に撮影した月を合成したと発表されている。

いいたいことはずいぶんあるが、プロとしては、まず「ちょっと恥ずかしい」。同僚Bもそういう遠景と近景という写真にはこだわりがあったのだろう。月をカメラで写すのも意外に難しいものだ。カメラを固定して写すものと相場が決まっている。さらにコウノトリが飛ぶ所を写すのも難しいし、こちらの方はカメラのファインダーで鳥の動きを追わなければならない。コウノトリ+月は技術だけではなく偶然が必要だが・・・。

そして、どちらもばっちりとピントが合うというのはいかにも怪しい。というか、カメラのプロなら見た瞬間に違和感を感じるだろう。二つの物体の距離がほぼ等しければ、そういうこともあるのだが、そうなると可能性は二つ。月の表面に翼の長さが2000キロメートル位の巨大コウノトリが着陸したところか、あるいは、月の形をした直径2メートルの隕石がコウノトリに命中する直前ということになる。もちろんどちらも大スクープだ。

ところで、カメラマンにとって撮影した写真(画像)を「少しだけ直す」というのは当然のことだと考えられている。ちょっとした技術があれば、少しだけ美人にしたり、写真の隅に入った余計なゴミ箱など消すことに抵抗はないだろう。現に少し前にUSAToday誌がコンディの目をいじって批判されている。これは逆に、国務長官の人相を誇張的にこわもてに見せている(この事件はホッカムリになった)。独裁国家で、過去の政治家の姿が記録から消されることだってある。横田めぐみさんの写真だって修正説が強い。

そして、月の写真の話になると、どうしても月の色を調整したくなるはずだ。もともと月はただの石ころだから、美しくも何もない。海の水や地球の色が青いのと同じく、そのものの色ではなく反射光の色が黄色いだけである。つまりその時のコンディションで白っぽくなったり、赤っぽかったりする。このカメラマンAだって、月の写真には若干の調整をかけていたに違いない。色調を黄色っぽくしようとしただろう。そして、そんなことやっている間に魔がさしたのかもしれない。


ところで、個人的には、この事件を、もっと深く疑っているのだ。それは「コウノトリ」の写真はどこからかコピーしたのではないかということだ。だいたい空を飛ぶコウノトリの写真があれば、別に月と組み合わせなくても十分に美しい。どこの空を飛んでいてもそのまま使えるはずだ。この記者Aはあくまでも、コウノトリの写真を撮影しようとしていたのであるから、もしそれがうまく撮影できなかった時は、失敗を認めるか、どこかから無償で拝借するしかなかったのではないだろうか。釣りに行って一匹も釣れないボウズだった時に、帰りに鮮魚店で調達するようなものだが、その場合は少なくてもカネは払う。

そして、どこかのコウノトリのディジタル画像を拝借したままでは、無論のこと背景画像が付いていて、たいていはバレる。そして記者としてもカメラマンとしても破滅する。そこで、あわてて移しかえるべき別の背景を考えているうちに、別に用意していた月の写真を思いついたのではないだろうか。


そして、「コウノトリの画像」を各種ネット上で追いかけているのだが、まだ見つけていないので、上に書いたことは「単なる意地悪親父の妄想の域」をまだ出ていない。しかし、このコウノトリの画像はずいぶん左右対称過ぎるようにも見えるのだが・・・

江戸城を建てる?

2005-11-13 22:58:00 | The 城
fb4a8267.jpg東京に住んでいない方は、江戸城には天皇家が住んでいるのではないか?と思われているかもしれない。それは当たっているような当たっていないような・・

実際には郵便番号100-0001東京都千代田区千代田一丁目1番地にある広大な(約100万M2)敷地は、東側と西側に分かれていて、天皇家は西側をご使用中であり、東側は入場料無料の公園になっている。そして、その東側部分に江戸時代には、約1万1373坪の本丸御殿と天守閣が存在したのである。そして現在は、本丸も天守閣も実在しない。時代を超えて残っているのは、天守閣焼失後、再建に備えて組みなおされた天守台(これがまた巨大だ)の石垣だけである。

そして、最後の天守閣が焼失したのが1657年の明暦の大火。家光の代(1636年)に完成した日本史上最大の巨大な天守閣は21年間しか存在しなかったわけだ。その後、本丸は何度も炎上している。天守閣は軒裏を銅で葺いたらしいが、天守のそばに本丸の広大な木造住宅があるとすればどうしても炎上しやすい。あるいは江戸の町の中心にあるため、どこで火事があっても風に乗って火の粉が飛んでくるのだろうか。

実は、1657年に天守閣が焼失して、天守閣を載せる石組みの石垣まで組んだのに、建築中止になったのは老中である保科正之の意見ということになっている。確かに実利的に言えば、江戸幕府はもう天守閣一つ作って全国を武力制圧する、というような規模でなくなっていたのも事実。当時から最も警戒していた薩摩藩が東海道を江戸まで攻め上ってきた時には、もう徳川幕府の終わりということを予め認識していたのかもしれない(司馬遼太郎の読みすぎか?)。

ところが、今回、東京都立中央図書館(広尾)で開かれている「江戸城を建てる」展(11月19日まで)で、再建予定だった江戸城の天守立面図が公開された(入場無料)。1712年の作図物だ。やはり再建予定があったわけだ。

fb4a8267.jpgこの展覧会、江戸城の造営を一手に握っていた甲良(こうら)家に伝来する図面を公開する目的で開かれている。本丸一万坪をはじめ、城内には無数の建物があり、それらの補修や建て直しを一手に受注していたわけだ。入札なしの単独ゼネコンだ。先日お世話になったW大学の裏側に残る、幕府ご用達の「御用蕎麦屋」どころの話ではない。そして、その修繕仕事でもっとも重要なのは、いうまでもなく設計図である。

このたび、都立図書館の方々による大尽力による分析の結果、本丸の図面は相当詳細が明らかになったのだが、なにぶん天守閣については、僅かな記録しかないようだ。家光の当時は、まだ浮世絵師もいないので、かなり想像に包まれているのだが、この再建予定図は、実在した天守閣のかなりを物語っているようだ。炎上防止策として壁面も銅板仕立てにしているそうだ。そして全体に明るい。屋根の色が赤瓦のように見えるのだが、先日、倉吉に行った時に、赤瓦地区というのがあった。関係があるのだろうか?と思っても、この天守閣は単に図面だけのものだ。

実は、この立面図のできた1712年は、6代将軍家宣の亡くなった年だ。この家宣、「お手つき」の結果、父19歳、母26歳という関係で生まれている。(余談だが、徳川15代のうち、正室の子供は、家康・家光・慶喜の3人のみである。家光の母はお市の方の三女、お江である。)家宣の最大の功績は先代の作った偉大な法律「生類哀れみの令」を撤廃することだったといわれるくらい目立たぬ一代だった。そして続く7代家継はわずか5歳で将軍になり8歳でなくなっている。そして幕府の金庫は空っぽになり吉宗が登場することになる。なぜ、天守閣が1712年に再建されなかったのか、歴史家の宿題がまた増えた。

ところが、世に城好きは大勢いて、平成の現世に江戸城(もちろん天守閣)を再現しようという考え方がある。この展示会のタイトルだってあぶない。なにしろ「江戸城を建てる」だ。甲良家の仕事から言うと、「江戸城を直す」が正しいはずだ。そしてあの有名人もブログに書いていた。ゴーログこと木村剛氏の「週刊木村剛2005年3月17日号」だ。

木村氏の主旨は、メリットとして、

 A.東京のランドマークになる(観光の目玉)
 B.博物館にできる(江戸東京博物館の存在はややあいまいだが)
 C.G8サミット会場にできる(城なので警備が簡単)

という三点。

fb4a8267.jpgそして、”贋物では今一ではないか”といういかにも出そうな意見に対しては、”ディズニーのシンデレラ城のモデルになったノイシュバンシュタイン城でもコンクリート造りエレベーター付きなのだから”と予防接種を打っている。ただし寄せられた意見の多くに見られる「誰がカネを出すんだ?」というもっともな意見には答えてくれてないし、たぶん、社債でも発行しろということなのだろうか。

まあ、彼自身が日本振興銀行会長なのだから、いくらでも融資してもらえるのかもしれない。しかし、そうなると”7階建て、赤瓦、金シャチ、銅板仕様の木造造り、エレベーターなし”では耐用年数が短すぎて本四架橋のような100年ローンが組めないことになってしまう。かといって鉄筋コンクリートでは、残っている石垣だけでは重さが支えられないのかもしれない。妥協して、鉄骨造り木質パネル仕立てにでもするのかな・・

北の丸公園の近代美術館2階休憩室から皇居越しに東京タワーを望んだ方向に江戸城天守はあったはずだ。東京タワーの代わりに天守閣をイメージしてみるといいかもしれない。

「私のアイデア貯金箱」コンクールで一考

2005-11-12 23:04:23 | 美術館・博物館・工芸品
05136b03.jpg郵便局へ行ったついでに、第31回「私のアイデア貯金箱」コンクールの入場無料券をもらう。大手町の「ていぱーく」という元の逓信博物館。無料とはいうが、この博物館の入場料は110円なのでそんなにうれしいわけでもない。

こどもの夏休みの作品といった感なので、わざわざということもないのだが、実は現代アジア芸術は、この「夏休みのこどもの宿題」的な愉快な作品が多いので、馬鹿にはできない。そして、東京駅で下車して駆け足で覗いてみると、まあ、やはり「こどもの作品を大人が選ぶと、つまらないものを選ぶ」という公式にあてはまってしまって、何か、アイデアというより細かな仕上げのテクニックといったもので上位を決めているような気がする。

05136b03.jpg総務大臣賞や郵政長官賞には入ってなかったが、男児のアイデアの「素朴な西瓜型の貯金箱」がいいなあと思ったが、そういうのは賞には選ばれない。女児のアイデアでも「メロンの貯金箱」があったが、これも同様。現場で撮影できなかったので、昨年の入賞作をHPから拝借して紹介(今年の作として紹介すると、さいたま新聞の運動会記事のようになる)。「首里城」「僕の町の郵便局」「1年で1万円」の三作。


ところで、ていぱーくだが、旧郵政省管轄の事業、「郵便局」、「NTT」、「NHK」の博物館で、当日は前島密生誕170年展が開かれていた。郵便局の三大事業といえば、郵便、貯金、簡易保険ということになるのだが、資料を見ると、特に貯金の分野はかなり初期からやっていたようだ。まず、郵便事業だが明治4年(1871年)に郵便事業が始まる。その後、前島が欧州視察から帰ってきて、まず明治8年(1875年)1月に郵便為替を開始する。そしてその4ヵ月後の5月に貯金業務を開始している。一方、保険事業は遅れて、大正5年(1916年)に始まっている。

05136b03.jpgそして100年という長い期間の末、巨大郵便局になってしまったわけだ。考えてみれば、貯金箱コンクールを郵便局で行うこと自体、郵政三事業の二事業にまたがっているわけで、この31回目になったコンクールもそのうち形態が変わるのだろう。本コンクールは来年3月まで北海道から沖縄まで全国13箇所をツアーすることになっているのだが、貯金箱を立派にしてもおカネがたまらない人には縁がないかもしれない

連邦破産法による「破産の形態」

2005-11-11 23:09:46 | MBAの意見
アメリカの大手航空会社デルタとノースウェストが次々に破綻して、破産法11条適用ということになったのが9月の始めのこと。どうも破産法強化になる直前のかけこみ破産のようだ。マイケル・ジャクソンも申請したと言う噂もある。というようなことは、何となく読んでいたのだが、尾崎選手の個人民事再生法適用の件もあり、アメリカの事情を覘いてみた。というのも、かつて世界最大企業であったGM(ゼネラル・モータース)の破産が噂される最近、ちょっと予習しておいた方がいいかな?ということもある。

まず、連邦法だが、全部で50編にまとまっている(50という数字が好きな国だ)。そのうち第11編が「破産」について。いわゆる連邦破産法と言われる。そして条文は13条までだが、2条、4条、6条、8条、10条は空文になっている。つまり実質は8条分。うち、1条、3条、5条は用語や権利者の特定化のような部分なので、実質的な法令は7条、9条、11条、12条、13条である。さらに第9条は自治体の破綻、第12条は農業・漁業従事者を対象にしているので、法人・個人の破綻について規定しているのは、第7条(清算)、第11条(再建)、第13条(所得のある個人の再建)ということになる。日本流にいうと、第7条は破産清算(個人でも法人でも)、第11条は会社更生法ということになる。そして日本でいう民事再生法は第11条の中に含まれている。尾崎の場合は、とりあえず第13条の適用で行こうということだが、「所得のある」というのが条件で、再建計画が失敗すれば破産=清算ということになり、クレジットカードでラウンド前のホテルの朝食を食べることもできなくなる。

そして10月に発効した新破産法になると、この11条、13条の適用が厳しくなるわけだ。企業の場合、申請後、短期間(18ヶ月)に再建計画を提出しなければならないし、実行できないとあっけなく清算になる。個人の場合も、保持できる財産が制限される。

それではなぜ、この破産整理という非人道的な制度が、さらに厳しくなるのかということなのだが、この第11条や日本の民事再生法の場合、単に借金の棒引きのようなことになり申請した企業の金利負担が軽減されることにより、順調な企業が競争劣位になり、逆に業界総崩れになったりする。そういう競争阻害企業が生まれないようにダメなものはさっそと見切りをつけようということである。現に、デルタ・ノースウェストが破産法申請したことにより、米国大手航空会社7社中4社が破産中という異常事態になってしまった。このため、この4社は競合他社(あるいは海外の航空会社)に対して、かなり有利な競争条件になり、他の会社の収益を圧迫し、結局は全員が倒れてしまうのではないかということだ。日本でいえば、かなり危険領域にいるJALの債務を免除すると、安売り航空券を乱発し、ANAまでが傾いてしまうというようなイメージだ。

ところでGM(ゼネラルモーターズ)をスピンアウトした部品会社デルファイが破産法11条を申請したため、GMに飛び火するのではないかと言われている。退職者の医療費や年金の肩代わりをGMが最大110億ドル(1兆4000億円)負担するという情報や、格付け会社による格下げ、SECによる会計調査開始と立て続けに不幸のチェーンメールが続いている。あとは、政治的判断、といっても判断基準もはっきりしない。これこそ、11条適用を申請して、労働組合と決別し、リストラ路線に突っ走りそうな予感がする。

日本でもスズキはGMと提携しているのだが、こちらは超優良会社。さらに、2年前に私が調査した情報では、GMグループの中で小型車のハイブリッド化の研究という位置付けになったいたはず。今後、GMグループの中にとどまるのか、独立系となるのか、あるいはトヨタグループにトレードとなるのか、注目だ。もともと燃費の優れた軽自動車をさらにハイブリッド化するようなことも狙っているのではないだろうか。

追記:元々、燃費のいい軽自動車をさらに燃費対策であるハイブリッド化しても、ユーザーには受けないだろうという考え方も一方にあるだろうが、人間というのは、「非論理的に、こだわりを持つ動物」のように思っている。例えば、私の知人にゴルフで280yほどティーショットを打つ男がいる。ただし、トータルは100位だ。はたでみれば、彼の欠点は第2打以降であるのは明白なのだが、彼とゴルフの話をすると、距離の話ばかりになる。より遠くに飛ぶクラブ、ボール、フォーム・・・。まあ、ラウンド中に「君の問題は、・・・」と言うと反則行為(助言)となるので黙っているだけなのだが。

瀬川新四段の第一局の因果

2005-11-11 23:08:25 | しょうぎ
瀬川昌司新四段のプロ第一局が決まった。12月12日竜王戦第6組での対局なのだが、これが何の因果か対アマチュア戦。それもアマ最強の清水上徹(しみずがみ・とおる)戦。

ところで、この竜王戦だが、読売新聞主催。1988年に始まった新しいタイトル戦で、賞金額が、他のタイトル戦より多いことから「将棋界最高のタイトル」ということになっているのだが、本当にそう思っているのは、読売の某人物しかいない。「名人戦」という1600年頃から続いているタイトル戦がある。ただし、格式の高い名人戦とは異なり、竜王戦ではアマチュア竜王(これも読売)など、4人のアマ枠がある。基本的にトーナメント戦なので、理論的には12連勝すると渡辺竜王への挑戦権が得られ、7番勝負で4勝すると、アマチュアが竜王になることも可能だ。巨額な賞金がどうなるのかはわからない。

そして、このアマチュアの清水上選手、実は元小学生名人であり、かつ中学生名人である。数日前、本ブログで紹介した島村元二段のエントリの中に、小・中学生名人になったのは3人だけと書いたうちの1人なのだ(もう一人は、もっと以前の方で、プロになっているが、ちょっとくすぶっている)。さらに清水上選手は高校竜王、大学名人と学生タイトルを大量にコレクトし、2003年にはアマ王将、2005年にはアマ竜王になっている。アマ三大タイトルで残っているのはアマ名人だけだ。つまり、島村少年はプロの門をたたいたものの未到達。一方、清水上少年は、プロに入らず、アマチュア街道を突っ走っている。年齢が10歳近く上の瀬川氏は一旦挫折したものの再挑戦に成功。人それぞれの道だ。

両者の談話を聞くと、瀬川氏も清水上氏もNECの関連会社にいて、団体戦は同じチームだったとのことだ。たぶん、今の実力は、清水上優位というのが大方の予想なのだろうが、そうなるとまたややこしい話になりそうだ。「プロになる気もないアマチュアがプロをバタバタ倒すのではやってられないので、出場禁止にしたらどうだろう」という声だ。なかなか正解はない。

そして、この1回戦に勝ったほうが、あと11回勝つと竜王戦の挑戦者になるのだが、待ち受ける渡辺明竜王もまた、小学生名人だったのだ。ただし、その順序には注意が必要だ。
「小学生名人戦優勝者」
 1991年 清水上 徹
 1992年 島村 健一
 1993年 ・・・・
 1994年 渡辺  明  

アンプレかロストか?尾崎将司氏のこと

2005-11-10 23:10:36 | MBAの意見
d8495437.jpg日頃、愛読のホームページがある。帝国データバンク東京商工リサーチである。どこを見るかというと、どちらも、左下の方にある「倒産情報」だ。他社の倒産事例を知ることは、自社の経営に重要な教訓を与えるから、というのは表向きの理由で、実際は「他人の不幸は蜜の味」ということ。つまり焦げ付き金額が多ければ多いほど、レポートとしては面白い。激辛のコメントが書かれている。無論、楽しいのは、自らが債権者や株主になっていない場合だ。

ところで、「倒産」というのは一般的用語として使われていて、一挙に全部の資産を清算してしまう「破産」と会社更生法による「新経営者による再建」と民事再生法による「旧経営者による再建」という3パターンを総称している。どちらのHPも負債額30億円以上を大型倒産として解説している。

そして、それらのページへの前触れもなく、突然、「ジャンボ尾崎破綻。民事再生法へ」という報道があった。不勉強ながら民事再生法が個人にも適用されるというのも意外だったが、読み直してみるとその手があった。確かに、「自己破産」も一つの方法だが、それでは完全に首が回らなくなり、また債権者はほとんど回収できないだろうから。とりあえずはよりましな方法かもしれない。個人の場合、経営者を変えるということはできないから、自分で稼ぎ続けるしかない。倒産情報に登場しなかったのは額が30億円未満だったことや、法人ではなく個人であったからかもしれない。

しかし、この民事再生法による再建というのは、再生計画にのっとり、ある程度圧縮された負債を返済していくことが義務付けられる。この点、プロゴルファーというのはやっかいなもので、期待収益というのを計画化しようにも思うようにいかない。2006年の計画は優勝3回、ベストテン10回とか予定として紙に書くのは簡単だが、うまく行かないと賞金は1円にもならない。そして、結局は破産して何も残らない。ところが、今の尾崎は既に家も失っているようだし、既に実質的には破産同様ということらしい。世間体かな?と疑ってみる。

彼の借金の原因はあまりはっきりしていないが、AERAとか読むと、夫人の投機とか出資会社の破綻とか・・・バブル以降、無理に無理を重ねて転がしてきて、ついに御用となったというところではないだろうか。では、いったい誰が債権者かというと、人数が8人ということだけで、よくわからない。債務(負債)は16億円ということだが、少し少ないような気もする。

ところで、ここからは推理の世界である。

先週末、国内では三つのトーナメントが行われていた。男子ツアー、女子ツアー、シニアツアーだ。男子は矢野選手初優勝、女子はソレンスタム。そしてシニアは中島常幸。優勝賞金は、矢野2000万円、ソレンスタム15万ドル(1770万円)、そして中島は1000万円である。尾崎はいくらだったかよくわからないが、備忘価額ということだろう。もう、普通ツアーでは無理なのだろう。確かにゴルフは、他のスポーツに比べて、体力以外の要素が大きいため、高年齢でも対応可能なのだろうが、それでも視力とか反射能力とかはどうしようもなく衰えていくはずだ。だいたい、アメリカでも人気者アーノルド・パーマーのためにシニアツアーが存在していると言われたぐらいだ。

それでは、なぜ尾崎はシニアに移籍しないのかというと、主に二つの理由が考えられる。一つは、賞金が少ないということだ。少し調べると、男子ツアーと女子ツアーの賞金はすぐわかるのだが、シニアツアーのことはよくわからない、あまりに安くて恥ずかしいのだろう。つまりスポンサーがつかない。今年度の男子ツアーは全28戦で全賞金総額は31億6000万円。1試合あたり1億1286万円だ。実は女子ツアーは試合数は男子より多い。もちろんスター選手がいるからだ。全33試合。総額22億1000万円で1試合あたりは6697万円でこちらは少ない。昨年2004年の賞金ランキングでは男女を通して1位は不動さんの1億4277万円、2位が宮里さんの1億2297万円。3位が男子プロで片山選手の1億1951万円、4位が谷口選手1億0177万円ということになる。一方、今年のシニアの試合数は僅か8試合。賞金は不明。これではシニアは率が悪い。

そして、尾崎がシニアに行かないもう一つの理由は、単に「みえっぱり」ということなのだろう。特に日本人の年配者はゴルファーにかかわらず地味だ。ベースカラーがグレーになったり紺になったりと・・ちょっと気分が耐えられないのだろう。

ところが、来年のことを考えると、この女子ツアーがヒドイことになりそうなわけだ。宮里藍をはじめ、有力選手の海外逃亡が確実な状況なわけだ。男子と違い、岡本や小林のような先駆者もいる。そして彼女たちは、アメリカで勝てなくなるまで日本には帰ってこなかった。日本ではゴルフトーナメントは激しくスポンサー頼りだ。何しろ、賞品をはじめゴルフ場の借り切り費用に始まり、テレビ放映権はCM提供ではなく、番組の丸ごと購入という大散財なのだ。よほどの効果が出ないとF1レースみたいなことになる。来年も33回も大会が開けるかどうかよくわからないのだ。そしてワールドカップイヤーだ。

となれば、スポンサーから言えば、宣伝効果のない女子ツアーを減らして、尾崎の出場するシニアツアーの方が、「まだましだ」と思うのではないだろうか。そして、「再生法適用」となれば、尾崎の悩みである「過去の栄光の重み」など気にすることもなくなる。そして、今でも可能かどうかわからないが、裏から手を回して、アメリカのシニアツアーに行くこともできる(ただし、借金取りから逃れようと亡命することはできない)。

上に書いたが、アメリカはパーマーの人気にあやかるために、シニアツアーが発展し、賞金も多い。2004年の賞金額(1ドル=118円換算)は、シニアツアーのスタドラーは2億7000万円。青木だって3170万円。(もちろん男子ツアーのビジェイ・シンは12億9000万円、女子ツアーのソレンスタムは3億円だが)。そして、アメリカツアーに行くと副産物がある。ゴルフクラブだ。尾崎は「負の連鎖投資」の中で、大手メーカーではなく独立系メーカーのクラブを使い、さらに損を重ねていったわけだが、米国ツアーに行くと、どこでもサービスを受けられる汎用メーカーの製品にしなければならない。そうなれば見栄をすてて、年相応に易しいクラブが使える。合理的理由(いいわけ)が見つかるのだろう。さらに、運がいいとスポンサー料が手に入るかもしれない。

ただし、時々日本で見つかっていた「小さなルール違反」は米国では通じないということを忘れてはだめだ。もし、発覚すれば、彼の人生は「打ち直し」ではなく、「競技失格」ということになってしまうだろうから。

千葉市幕張方面の様々な事情

2005-11-09 23:14:09 | 市民A
bcb1db1a.jpg千葉市シリーズの最終回は、幕張周辺のようす。といっても千葉マリンスタジアムや幕張メッセという海浜幕張方面ではなく、JR幕張駅の近くの旧市街地区の方の話。数ヶ月前にアスベスト被害を受けた従業員の存在を公表したM社関係の工場跡地を見に行ったままになっていた。その後、厚生労働省の認定工場になるかと思えば、認定されないままになり、企業のホームページからも消えた。跡地はマンションになってしまったのだが、その後背地には住宅が立ち並んでいる。以前、私が短期間住んでいた場所とは違うので、もうこれ以上係わらないことにする。

そして、以前住んでいた場所に行く途中に、江戸時代の農学者(というか農林大臣のようなものか)青木昆陽が、関東平野にサツマイモを栽培するための実験農場にした跡地を記念した「昆陽神社」に寄ってみたらびっくりした。何しろ線路際にあった神社のあった丘そのものがなくなっている。そしてそばにあった踏切りが「開かずの踏切り化」しているという理由で、巨大トンネルに変わっていた。ただのトンネルなのに、高速道路のインターチェンジのような代物で、隣接する丘とそこにあった神社が犠牲になったようだ。どうして、こんなに大げさなことをやるのだろう。

bcb1db1a.jpgそして、神社の敷地から少し離れたところにある青木昆陽を称える石碑だけは残っているのだが、入口に柵があり、鍵がかかっている。遠めに立て札の文字を読めば、神社本体は移転工事中ということ。しかし、場所が変わったらご利益もないのにと思ってしまう。

とにかく、この火山灰と砂地でできている関東の荒れた土地で稲作以外の炭水化物の栽培を始めたことで、凶作時の餓死者が大幅に少なくなったということのようだ。最近読んだ津軽半島の悲惨さの話などど重ね合わせると、サツマイモだけではなくジャガイモの栽培も実験できればよかったのだろうが、ジャガイモが日本で本格的に栽培され始めるのは、北海道がアメリカの植民地になった(いや、それは書き過ぎか)明治以降だ。

余談ではあるが、大先輩の椎名誠氏もこの地に住んでいて、この昆陽神社の丘の上で遊んでいた、ということを最近、エッセイで読んだことがある。もうこどもの遊び場はなくなり、エッセイストの卵たちは幕張からは産まれなくなったわけだ。

ところで、次に、卒園した幼稚園を見に行く。道筋はほとんど変わっていない。ちょっと細い道に入ったところにあるキリスト教バプテスト派の教会の付属幼稚園「A」。しかし、思い出の場所には見つからない。近くを歩いたがやはり、最初探した場所にあったはずだ。そして、その幼稚園の建物と園庭があったに違いないやや広めの場所は、そのままの形で肉眼に見えてきたのである。ただし、建物の場所には民間のアパートと分譲住宅が建ち、園庭の部分はちょっとしたタイル貼りの空地と若干の駐車場ということだ。「廃園」という悲しいコトバが頭に浮かぶ。

bcb1db1a.jpgそして、もと住んでいた住宅地の方へ向かうと、隣接地にあったはずの住宅資材工場(ここを冒頭のM社工場と疑っていたのだが)がない。そして工場用地とくっついていた以前の住宅地もなく、一括した広い敷地になっている。そして、何の因果かそこには、大きな美しいキリスト教会が建っている。そしてその教会の入口には、幕張バプテスト教会という看板が・・

日を改め、教会の方に電話をしてみた。幼稚園のことを聞いたわけだ。すると予想通り「A」幼稚園は、この教会の付属幼稚園だったそうだ。そして20年近く前に、諸般の事情で閉園したとのこと。そして、建材工場が移転したこともあり、場所の移動を行ったということだ。まだ名簿は保管しているとのことで、「名簿のコピーでも要りますか」とのことだが、丁寧にお断りする。私にとってしか意味のないものを確認する必要もなし。

瀬川 will meet 島村.

2005-11-09 23:12:34 | しょうぎ
昨日のブログ「特例棋士の対岸にいる青年」で紹介した新四段の瀬川さんと対岸側の青年として紹介した島村元二段。
島村二段から、直接のコメントもいただいたのだが、何と島村さんの将棋教室にゲストとして瀬川さんが登場するとのこと。

二人の川幅は狭いのだろうか、やはり広いのだろうか・・

詳細は島村ブログで・・  

特例プロ棋士の対岸にいる青年

2005-11-08 23:17:11 | しょうぎ
多くの報道が、11月6日に行われた、瀬川昌司氏のプロ入り試験第5局での、「瀬川勝ち→プロ入り決定」を報じている。1944年以来の61年ぶりの快挙。ということだが、その話について軽くまとめてみるとともに、その試験対局の2日前、11月4日の深夜、赤坂のスナックで初めて出会った、ある将棋天才青年の話を書いてみたい。

まず、将棋のプロ(四段以上)になる方法は基本的に一種類しかない。10代のうちに「奨励会」というプロ養成所に入会すること。そして月に2回の例会での対局で、同じレベルの仲間を打ち破りながら、最初の6級から5級、4級、3級、2級、1級、初段、二段、三段と昇級していき、三段リーグという大人数のリーグ戦で上位2位に入ること。その三段リーグは半年をかけて行われるので、春と秋と二人ずつ、つまり年間4人がプロに入れる。そして26歳になると、奨励会の定年制にひっかかり、ノーチャンスとなる。

実は、61年前の特例というのは、昭和19年のことで、「東海の鬼」と言われた賭け将棋師(真剣師)花村元司が升田幸三との賭け将棋で善戦(香落ちだったが)したため、その推薦を受けて審査したということだ。そして四段を飛び越え、いきなり五段になっている。昭和19年に20歳代の賭け将棋師がいたという事情もよくわからないが、この花村氏はその後、八段リーグで優勝して大山名人に名人戦で挑戦している。そして25年ほど前のことだが、やはり賭け将棋師の小池重明という無法者がいて、プロに対して平手で7勝1敗という成績を持ち、プロ入りを目論んだのだが、門前払いとなる。もはや戦後の真ん中で、違法行為や、詐欺などを常習とする男には勝負以前のハードルがあった。そして小池は失意の中、全国を放浪し、44歳の人生を閉じる。

今回の瀬川新四段の場合は、完全に現代的な事情だ。奨励会規則により三段リーグを退会。そして、普通はここで他の人生に向かうのだが、彼の場合、NECの関連会社に就職し、アマチュア将棋界に復帰する。そして、30歳頃から頭角をあらわし、1999年にアマチュア名人になったのをはじめ、常にアマ大会の上位を占めるようになる。そして、たまたまケーブルテレビがスポンサーの「銀河戦」にアマ枠で出場すると、大活躍。最近のプロとの対戦は17勝7敗ということで、異例ながら今年2月28日に「プロ入り嘆願書」を提出。そこからが騒ぎになり、結局5月の棋士総会で、プロ入りテストの結果、プロを認定しようということになった。

しかし、実際には、「アマにどんどん負けるようでは、我々の示しがつかない。棋士が増えると一人当たり収入が減るので困るのだが、一人くらいはいいかな」という妥協の産物のような気もする。実際、6番勝負で3勝で合格という変なルールでは、同程度の実力同士なら65.6%の確率になる。

結果、めでたく×○×○○-ということになり1局あまして合格したのだが、実は、まだ厳しい条件がついているのだ。つまり普通の棋士ではなく、資格は「フリークラス棋士」である。この「フリークラス」というのは、引退に近い棋士や、一番下の四段リーグから陥落した弱い棋士に与えられる資格で、普通のトーナメント型の棋戦には参加できるが、名人の座につながるリーグ戦のほうには参加できないのだ。そして、およそ65%くらいの勝率を上げると四段リーグに入れるのだが、それまでの猶予期間は10年間しかないのだ。つまりどう考えても、収入的には今のサラリーマン方式の方がいいと言える。さらに、彼は今すでに35歳。あの羽生四冠や森内名人と同い年なのだが普通なら棋力が下り坂に向かう年齢なのだ。

ところで11月4日の金曜の夜のこと、赤坂の将棋好きの社長兼マスターのいるスナックで飲んでいたら、社長がある青年を呼び出した。その青年の名前は「島村健一」。奨励会二段を退会した男ということだった。ただ、どこかで聞いたことがあったような気がしていた。そして既に酔っていて失礼と思いながら、社長の顔を立てて、さっと指してさっと負けてみたのだが、少し世間話をする。瀬川問題は彼には割り切れないということだった。つまり、退会すると挫折感が大きすぎて、アマチュアとの試合なんかできないということなのだろう。確かに瀬川四段も退会からアマ名人までは5年かかっている。そして、彼は携帯で呼び出され、夜11時頃、どこかの店でバーテンをするために私の前から姿を消した。

その後、「島村健一」のことを調べていたら、華麗な成績だった。まず、小学生名人。羽生四冠や、20歳の竜王の渡辺明も小学生名人だ。そして次に、中学生名人も獲得している。記録上、一人で小学生名人と中学生名人を獲得したのは3人しかいない。逆に、プロになるためには小学生名人になったら直ぐにプロの門を叩かなければ間に合わないのかも知れない。何しろ、1年にプロが4人という狭き門から考えると、小学生名人戦のベスト4になるくらいの実力が必要ともいえる。

島村健一はそうして、14歳の夏に奨励会に入会するのだが、思うようにはいかない。入会後6年4ヶ月を経て、2000年12月に、上から二番目の二段リーグに昇段。その時20歳。そして、目標の三段リーグまであと階段一段が上れずに、2003年11月に7連敗を喫したところでついに退会を決意する。時に23歳の秋のことだ。そして現在、2年間の充電終了というところか。

彼の名前は小学生名人、中学生名人を獲得したことで必ずアマチュア将棋の歴史に活字を残すことになる。しかし、プロをめざしたものの、プロ公式戦での対局記録はない。奨励会の対局は棋譜の記録も残さない。

しかし、図書館で調べていたら、何も残っていないはずの島村健一のことについて書かれた記録を見つけた。将棋連盟の公式誌である「将棋世界・2001年3月号」の奨励会成績のページに、二段に昇段した時のことが書かれていた。

島村初段が、14勝5敗で二段に昇段。昭和55年5月12日生まれの20歳。平成6年8月の入会で6年4ヶ月かけての二段到着。「以前から、期待されていたうちの一人だが、ムラッ気があり、後一歩の所で昇段を逃していた。最近になって、礼、行儀、姿勢もしっかりとしてきて、ねばりも加わってきた。今回の昇段は、当然といえよう。」

あるプロ棋士の言葉であるが、それ以降の彼の成績を見ると、不幸にして、この「ムラッ気」が当たっている。二段での成績も連勝と連敗を繰り返している。専門的に言えば、負けを引きずるタイプなのかもしれない。そして、23歳で7連敗した時には、かなり滅入ってしまったのかもしれない。

現在、彼はバーテンのかたわら、恵比寿で将棋を教えているそうだ。会員制で結構高額だ。パンフレットをもらったのだが、入会金1万円、月謝は1.2万円から2万円とのこと。ただ、場所は将棋道場というような野暮ったいところではなく、「スタイリッシュなソウルバー」とのこと。健闘を祈るしかない・・

もう一つの建設反対運動

2005-11-07 23:18:21 | 企業抗争
1f43f21e.jpg大田区の民有地にマンションが建設されることになり、桜の古木を切り倒す騒ぎに、マスコミが群がり正義漢になりすまそうとしているのだが、本題でないので軽く書くと、大田区で他人の土地の桜について文句を付けるのは、難しいだろうということだ。何しろ、地価が高いのは住民だって知っているはず。そして、そこに住んでいる住民ということは、そこにあった自然条件を破壊したからこそ自分の住宅になっているということ。最後に残った土地に対して、「自然を残せ」とはいかにもエゴっぽい。

私も、以前、近隣のマンション建設に反対する立場になったことがあるが、土地所有者も必死であり、「じゃあ設計変更による逸失利益を補償してくれ」という話はまとまらないし、日照権も地区によって細かく規定があり、業者はギリギリの線を狙ってくるだろうし、日本では眺望権はほぼ法定無価値だ。だいたい、こんな話は全国に無数に発生しているのに、ここだけ騒ぐのも。


ところで、本当は、冷静な頭で考えなければならない構築物が、着々とできあがりつつある。それは六本木に進出しているディスカウントストア、ドンキホーテの8階建ての屋上に建設中の「絶叫マシーン」だ。「ハーフパイプ」というそうだ。なんとなく名前から想像がつく。そして、この建設話が始まる少し前に、近くのビル(ロアビル14階のタイ料理店エラワンの窓際の席)から1枚撮影していた。偶然。何かビルの屋上に、意味不明な枠が横に並んで組まれている。この時に既に何か始まっていたのだ。

もちろん、地元は大反対をしているわけだ。だいたい、この表通りから少し裏のごちゃごちゃしたところに入ると、住宅(大部分は10階建て以下のマンション)が多い。そこを、ゴロゴロと音をたててマシーンが動き、さらにおそらくはほとんどが飲酒客が、絶叫するとしたら・・大田区の桜どころではないような気もする。

計画は地上55メートルということらしいので、おそらく、撮影した14階に近いところまでの高さなのだろう。乗り物に乗る(と言うか、つかまると言うか)と、周りのビルや、マンションが目に入り、郊外の遊園地のようなオープンエアとは異なった恐怖感や圧迫感があるのかも知れない。もし、心に余裕があれば、他人様の室内だって覗けるかもしれない。

そして、問題の営業時間だが、これが驚きのセブンイレブンなのだ。といっても7時から23時までのコンビ二スタイルではないのだ。11時から翌朝7時まで(イレブンセブンか)。ということで問題は相当あるのに、建築基準法一本やりで12月完成を目標にどんどん進行中。つまり軋轢も進行中ということだ。

何しろ、六本木にドンキが進出するときから、地元とはいざこざが続き、数々の念書があるらしいのだ。たとえば、ビルの屋上には駐車場を増設するとか、今後の増設には地元の了解がいるとかだ。その辺は私には知る由もない。

ところで、デパートの屋上といえば、ずっと昔は、遊園地のように、こどもが遊べるようになっていることが多かった。簡単な電動遊具が何種類もならべてあって、買い物に飽きるだろうこどもを親がだまして連れ出す口実だったのだろう。その遊具を作っていた会社の一つが、ナムコなのだが、今も片手間で作っているのだろうか?遊具製作の従業員にゲームソフトの開発をやらせることはできないだろうし・・

そして、最近は観覧車がブームだ。阪急が大阪方面に続き横浜にも設置。確か松山の高島屋にもあったような。そう考えるとドンキ六本木はその未来的延長なのだろう。しかし、問題は、「後付け」ということだ。このビル、元はドンキではなかったはず。普通のビルだし、古そうだ。耐震性は大丈夫だろうかということがある。さらにその不安なビルの上に、絶叫マシーンを乗せるわけだ。もともと地面の上に設置するならともかく、地震の場合、ビルの屋上はより大きく揺れる。だいたい二つの別々の物体がどのような動きになるのか、不安ではないだろうか。ビルだって、隣のビルが倒れかかれば、ドミノになることだってあるだろう。一つ一つが安全だからといって、縦に二つ重ねたら、それこそ、地震の時には「実録・絶叫マシーンの恐怖」ということになる。

しかし、法令で禁止できないことは、「危険そうだ、という非科学的な論拠」で覆るわけもなく、こちらも結局、六本木の景観だいなし方向に進むのだろう。そして12月のクリスマスの頃には、このビルの前の歩道を歩く「善良な第三者である」通行人多数は、突然にガラガラという轟音とともに上空50メートルの高さからの絶叫を耳にすることになり、思わず見上げて、気をそらされている間に、次々に多国籍スリ団の餌食になることだけは間違いないだろう。