弘前城最上階で見たものは

2005-11-20 22:12:15 | The 城
0d816b3f.jpgつい数時間前に帰着。短い津軽行だったが、今回の最大の目標だった弘前城に登城。現存12城のすべての攻略がここに完結した。

実は、弘前城天守閣は広大な弘前公園の中にある。11番目攻略の福井・丸岡城をエントリした時に、「11月23日から4月1日まで、公園は閉鎖され深い雪に眠る。」と書いたところ、複数の方々より「冬でも開園している、入場料が無料になるだけではないか」との指摘をうけたのだ。

しかし一方、何か心に引っ掛かりも残っていたのだ。冬季に無料になるのは、何か理由があるのではないか?それは博物館として使っている天守閣が閉館になるのではないだろうか?という推測からである。そして11月に入り、念のため現地に電話で確認する。11月23日から無料になるのは天守閣が閉館になるのではないか?という質問をしたところ、

「△◇○□◎△◇○□◎、んだ、休みでけへ~、△◇○□◎」とのこと。

日本国内で一番難しい言語である津軽弁なので、一向に要領を得ない。が、どうも休みになるようにも聞こえる。そうとなれば、焦るしかないではないか。ただし、現状いくつかの仕事が固まっていて、都合がとれない。かろうじて、ピンポイントで11月19日を捻出。(この日程に関しては、色々あるのだが、後日のブログに回す。とにかく、寒い津軽に行くことにする。)

0d816b3f.jpgまず、この弘前城だが、大きな問題がある。他の11城に比べて、かなり新しい。他の城は1600年頃に築城されたまま、残っているのだが、弘前城天守閣は1611年に築城されたものの、1627年の落雷による火災で一旦焼失している。(江戸城もほとんど歴史上存在した期間は僅かであり、弘前城と同時期に炎上したが、再建されていない。)その後、弘前城が再建されたのは、はるか後年の1810年である。つまり、他の城が約400歳の実年齢とすると、弘前城は半分の200年ということになる。さらに、まったくの新設というわけでもなく、別のところにあった櫓を分解し、組直したとのこと。他の城に比べても一回り小さいのもこれが原因。

弘前側もかなり気にしているようで、この三階建ての天守閣の最上階には「現存12城の写真」が掲示されている。もちろん自城は最初の一枚だ。そして、奇しくも、私の12城廻りの最後の弘前城の最上階に、旅の総括としての12城一覧写真集が待ち構えていたようなものだ。

0d816b3f.jpg城のことを少し書く。12城の中で、土足のまま上がれるのは、確かここだけだと思う。ビニールの床マットが敷かれている。ちょっと興ざめ感ありなのと、構造上の問題なのか、大きな足音を立てると城が少し揺れる。美術工芸品が多数並ぶが、展示品の一番目に付く場所には、一本の日本刀が飾られている。よく能書きを読んでいると恐ろしいことが書かれている。何か隣藩の南部藩が暗殺者を放ったようなのだが、津軽藩の記載によれば、犯人を江戸に連行し、最終的には斬首にしたのだが、その時に使用された刀が展示してあるわけだ。他県のものから見れば、津軽・南部両藩の争いなど、「コップの中の・・・」ということなのだろう。

そして、天守からは、弘前から見える岩木山が極めてダイナミックに眺望される。自分の性格から予想していたとおり、その場では、あまり特別な感情は沸いてこない。達成感は徐々に熟成されていくのだろう。しかし、精神的な安堵感がどっと出てきた。

城を後にする前に、冬の公園のことを警備の方に聞くと、標準語の回答で「11月23日から来年3月31日は天守閣のみ、お休み」ということを確認したのだ。

その後、天気は急激に悪化し、弘前市内は吹雪になっていくのである。

とりあえず、睡眠不足のため、まだ、客観的に考えられる状況ではないので、後日、詳しく触れることにする。


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