藤堂高虎家訓200箇条(16)

2006-07-23 00:00:38 | 藤堂高虎家訓200箇条

今回は、日本刀についての家訓が数多く並ぶ。道具の良し悪し、使い勝手、差し方などだ。実は残念ながら日本刀についての造詣はほとんどない。家訓解読のため一本買ってきて「お試し斬り」とかしてみればいいのかもしれないが、似合わないのでやめる。似合わないのは、服装もそうで、羽織、袴一式を揃え、腰に大小を差そうと考えると、福澤さんが200枚ほど必要だろう。

したがって、少し要領を得ない箇所があるかもしれないが、ご容赦いただきたい。


第151条 主人の御前に人多き時ハ立去朝夕をも終日用をも達し人すくなき時ハ罷出可相詰人の退屈する時ハ猶以精を出し可詰是私の理発なるへし奉公に由断有間敷との嗜成へし

主人の前に人が多いときは立ち去り、朝食・夕食や一日の仕事が終わって、人が少ない時には、まかり出て詰めるべきだ。人が退屈するときは、なお一層精を出して詰めるべきだ。これがその人の利発となる。奉公に油断があってはならないという嗜みである。

「殿、終日ご苦労さまでした。やっと人払いできたので、そろそろ悪所でウヮっと・・」
「おぬし、いつもながらあっぱれ。100石加増してつかわす。」


第152条 大事の仕者の時ハ壱尺に少余るはみ出し鍔の脇指にて突へし刃を上にして突くるべし鍔の無ハのりにてすべる事あり但柄ハ巻たる可然必刃を下へすべからすはやき者ハおさゆる事あり必切ル事ハ折によるべし大事の仕者ハ突につきそこなひハなし切には切そこなひ多かるへし

人を討ち果たすときには。一尺強のはみ出し鍔(つば)の脇差で突くべし。刃を上にして突くべし。鍔の無いのは血糊ですべることがある。柄は撒いてあるのがよい。必ず刃を下にしてはいけない。動きの早い者は押えることがある。斬ることは、時に応じてである。必ず果たさなければならない場合、「突き」には突きそこないはないが、「斬」には斬りそこないが多い。

実は、鎧兜は、刀で斬られることを想定してできている。槍には弱いものである。では、なぜ武士は刀を持つかというと、足軽とか半農武士は剣道とかやってないから日本刀の使い方がうまくない。したがって槍先を並べて突っ込むような単純戦法へ回される。日本刀を操るのは、いわゆる職業軍人であり、エリートなのだが、エリートでも戦場の白兵戦に巻き込まれると戦わなければならないのだが、やはり接近戦では刀を槍のように使え、と教える。刃を上向きに持つと、斬ることはできずに突くしかないではないか。包丁で練習しないこと。野球で言えば、ヒットエンドランよりバントが勝るということだろう。


第153条 大小の柄皮より糸巻よきといふ人あり皮はのりかかりすへるといふ糸巻ハすへらすといふ何れ悪敷といひかたし兎角柄ハいつれにても古くあかじみたるハ血かかりすべらんと思ハるる也昔ハ皮柄斗なれ共数度の用に立来る然上ハ皮柄すべるともきハまるべからすとなり

大小の柄(つか)は、皮巻きより糸巻きが良いという人がいる。皮だと血糊がかかると滑るという。糸巻きだと滑らないという。いずれが悪いとは言い難い。いずれにしても古く手あかじみているのは血がかかって滑るだろうと思われる。昔は皮の柄だったが、数回の用にはたった。したがって、皮の柄の方が滑るとも決めかねる。

クルマのシートのように平面で使う場合は、皮がいいが、刀は糸巻きがいいということは、血糊がべたっと突いたときに、糸巻きだと、まだ滑らないが皮巻きだとズルッと緩むということだろう。ゴルフクラブのグリップにも糸を巻いてみよう。マメがつぶれて血糊がつくことがあるからだ。


第154条 片手うちにする脇指裏の目貫はるか下げて可巻手の内一はいに当るゆへ手廻るべからす目貫上り過たるハ手のうちすくゆへまハる物なり

片手討ちにする脇差は、裏の目貫をはるかに下げて巻くべし。手のうちいっぱいに当たるから、手が廻らない。目貫が上がりすぎるのは、手の内がすくから廻るのものである。

脇差を操るためには、柄を短くして手の平と同じ位にするということだろう。柄が長いとそのつど持つ位置が変わって安定しない。剣道の竹刀は両手で振るが、武士は片手討ちの練習もしていたのだろう。家訓の別の場所では、相手を組み伏せた上、脇指で首を落とせと書かれている。うっかり刃を上に向けたまま押えると、痛い思いをするだろう。


第155条 大小の柄の長き短きハ面々の数寄数寄可成然共刀は両手を掛柄頭左の手すり払可然脇指ハ猶以短き可然自然の時ぬく時も鍔きりならでハにぎらすさあれハ長くても不入事か第一馬の乗下りに鞍の前徐にかまひ悪し惣而脇指ハ長短共に片手討の物なれハ長柄好むへからす色々子細有事なり

大小の柄の長い短いはそれぞれの好き好きである。しかし、刀は両手をかけ、柄頭を左の手ですり払うのがよい。脇差はなお短いのがよい。もしもの時、抜く時も鍔きりでなければ握れない。そうすれば長くても入らざることである。まず、馬の乗り下りに鞍の前輪にひっかかて悪い。すべて脇差は長くても短くても片手討ちのものであるから、長柄は好むべきではない。色々と事情があることである。

現代では、脇差は30センチから60センチの間だそうである。高虎のように、相手の首を落とすだけのためなら、短い方がいい。逆に、映画「たそがれ清兵衛」の中で真田広之が演じる主人公清兵衛は、狭い室内での殺陣回りを得意とするため、長めの脇差(60センチ物)を振り回す。実際は長刀は質で流してしまい、鍔から下が竹光だからだ。いくらなんでも30センチの脇差一本では、自分の腹を切ることくらいしかできない。

第156条 大小共に目釘ハ性の能き竹可然自然ハ蘇方の木も可然余りふときハ不可好付り柄ハほうの木然るへし昔より度々用に立来り唯今にほうの木の柄用るこしやくにて樫の木又ハ柚の木杯にてするも有昔も吟味有柄ハほうの木用ひ来る上ハ外の木ハ不可好柄の内くつろぎたるハ切レおとると言伝たり可嫌

大小ともに目釘は性のよい竹がいい。蘇方の木もいい。あまり太いのは好んではならない。柄はほうの木がいい。昔から度々用に立つとされ、今でもほうの木の柄を使う。こしゃくではあるが、樫の木や柚子の木を用いることもあるが、昔から柄はほうの木を用い、ほかの木は好んではならない。柄の内側が緩くなれば切れ味が落ちると言い伝えがある。嫌うべし。

目釘というのは、刀の柄(つか)の部分と金属の部分が抜けないように、止める釘のこと。ボルトとナットが日本にあれば、それを使ったかもしれない。この目釘というのは重要なようで、現代でも竹がいいとされていて、さらに200年前の竹材とかが珍重されている。蘇方というのは、「すおう」と呼び、マメ科の高山植物であるが、蘇方竹という竹もある。たぶん、竹の方とは思うが、蘇方の木と強調している。マメの弦も繊維は丈夫だし、よくわからない。ほう材と樫や柚子材と比較している。「ほう」は朴と書く。現代に至るまで、柄材として朴がいいのか樫がいいのか柚子がいいのかの論争は続いているらしいのだが、軍刀の研究をした論文によれば、朴材は稀少で、きっちり柾目でとれれば丈夫だが、斜め取りをした材だと弱く、樫、柚子に劣るそうだ(あくまで軍刀の話だが)。

先日、ゾーリンゲンの包丁の柄が腐ったので、ネットで検索した包丁工場へ持ち込んだのだが、柄が変わっただけではなく、刃も研ぎ直したため、人形マークも消えてしまい、元の包丁と同じものかどうかもわからないほど、細身の片刃として、マイ包丁に加わった。柄の材質は忘れた。


第157条 仮初に刀持出る共左の手に持たるよりハ右の手に持たるに徳多し口伝

かりそめに刀を持って出るときでも、左手に持つより右手に持つほうが得が多いという伝えがある。

刀を持つといっても、鞘から抜いて抜き身で持つ場合は左手で持つわけにはいかない。抜いた以上、すぐに使うことを考えなければならない。逆に、鞘のまま持つ場合、左手に持たないと直ぐに抜けないのだが、たいていの場合、刀は、抜くまでもなく、見せるだけで十分なので、この場合も右手に持ったほうがいいということだ。


第158条 刀の少ゆかみたるハ手洗に奇麗なる水を入刀の柄に縄を付切先を下にしさかさまに釣水鏡々見すれハ必直る物なり

刀が少しゆがんだら、手洗いにきれいな水を入れ、刀の柄に縄を付け、切先を下にして、逆さまに釣り、水鏡を見れば、必ず直るものである。

この条をよく考えていると、わずかに曲がった棒を見分けるためには、一本の棒を見るだけでなく鏡に映して上下二本にして見ると、曲がっている場合、ひらがなの「く」の字に見える、ということなのだろう。しかし、曲がったり歪んだりがわかっても、どうやって直すのだろう。自分で直そうとすると、たいてい失敗して、痛い思いをしそうだが・・

第159条 何時も手に逢へきと思ふ時ハ刀の下緒のむすひめより下を二つに分け両方江取帯にむすぶへし鞘を落さぬなり又鞘前へ廻らぬもの也度々切合時鞘前へまハり馬乗に鞘へ乗りたをるる事度々に及ふなり

いつも手にあうようにすべきと思う時は、刀の下緒の結び目より下を二つに分け、両方にとり、帯に結ぶべし。鞘を落とさないこと。また、鞘は前には回らないものである。何度も斬りあう時、鞘が前へ回り、馬に乗るときに鞘の上に乗り倒れることが度々ある。

下緒は鞘に付いているものである。したがって、下緒を長くして体の両側に回すというのは、戦闘の自由度を高めることなのだろう。忍者のように背中に鞘を縛っておく方がいい。藤堂高虎の所領は伊賀だ。

第160条 仮初に寝ころぶとも脇指置やう心持ありたとへハ右を下に寝る時ハ身のなりに柄を我面の方江して可置又左を下にして寝る時ハ柄足の方江して我むねの通りに可置心持あり

かりそめに寝転ぶ時でも、脇差の置き方には心の持ち方がある。例えば、右を下に寝るときは、柄を足の方にしておくべきだ。また、左を下にして寝るときは、柄を足の方にして自分の胸のあたりに置くという心得が必要だ。

右を下にして寝転んでいるうちに、つい眠ってしまって寝返りを打ったりしている間に大小ともに盗まれたりしたら大事だ。別の居眠り者の大小で員数合わせをしなければならなくなる。

この150条を超えたところで、突然に戦場ものに変わる。どうしたことか。確かに、徳川幕府の時代ともなれば、実戦経験のあるものなどいなくなるのだから、こういう書物で勉強するしかなくなる。ということを見通していたのだろう。しかし、刃を上にして突き出す、など稽古でも危険で行えなかっただろう。死罪になった者を使ってのの「お試し斬り」でも、試すのは日本刀の切れ味であって、小塚原でも、山田某なる役人がテスターをしていただけである。

つづく



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