藤堂高虎家訓200箇条(12)

2006-06-10 06:55:35 | 藤堂高虎家訓200箇条

200箇条は脈絡もなく続く。対人関係の心得が多いが、浅からず、深からず、自分を見失いようにということになる。めずらしく宗教的な話が第116条で、仏を拝めというが、自らが死後、仏になるように祈るわけではなく、心の平和のため、と現実的だ。第120条では、突然に馬の乗り方など戦の心得が登場する。


第111条 仮初にもむさと仕たる人のつれに成へからす人の悪事を身に掛る事必可多

かりそめにも、無頓着な人の連れとなってはならない。人の悪事にかかわることが多い。

まさに、共謀罪の共犯になってしまう。麻薬の運び屋とか・・要するに悪事に麻痺している人間と付き合うとあぶない。


第112条 人のあつかひ事同詫言に掛るましき事なり首尾調ハよし不調時は結句身のひしに成事数度あり是非無了簡頼まるる時ハ大かたに言能時分を考へ可立退うか退うかと掛り居て及難儀事暦然なり

人の仲裁事やわび言に関わってはならない。首尾がよければよいが、そうでないと結局自分の災難となることがたびたびある。了見していないことを頼まれるときは適当に言っておき、時分を考え、立退くべきだ。うかうかと関わりあうと難儀になることは明らかである。

下手な喧嘩の仲裁をすると、自分が巻き添えになる。弁護士が犯人と一緒に有罪になるようなものか。いずれにしても逃げ足が肝心。

第113条 人より構の奉公人不可置若置掛り構ある時ハ早速隙出すへし首尾により詫を入帰参する事も可有

人から追放された奉公人を置いてはいけない。もし置いてしまい苦情があった時は早速、暇を出すべきだ。首尾によっては、詫びを入れて帰参することもある。

とはいえ、転々と主人を変えたのは高虎自身(約10回)。自分は、主人から追放されたのではなく、主人を選んで乗り換えた、というのだろう。転職するとき、「解雇」されたものはダメで、「退職」したならいいということだろうか。見分けが難しい。


第114条 他へ奉公人大かたならハ不可構若構ハて不叶とも向の一門か知音衆へ談合のことく和かに可頼理運に不可言向より構の断あらハ品により可免つよく構ふ程ならハ我召仕時情をかけ堪忍成様にいたしたるかよしならぬ様にしていよといふハ無理なり共上構事無理の上の無理成へし堪忍いたしよき様にして情をかけ召仕に無理に立さらバ吟味をとげ成敗より外ハ無他

他家へ奉公するものは、できるだけ関わりをもつべきではない。もし関わらなければならないなら、向うの一門か知り合いへ談合のように穏やかに頼むべきだ。理屈を言うべからず。向うから構わないと言われるなら品によって許すべきである。しいて世話をするのなら、自分が召し使う時に情をかけ、辛抱するのがいい。我慢できないようにして居よ、というは無理である。その上、構うことは無理の上の無理である。こちらが辛抱してよいように情をかけ召し使うのに、無理に立ち去るならば成敗するより外はない。

転職者を受け入れる前に、前の勤め先に照会するべきということだろう。「今度、弊社に就職を希望している”おおた某”なる男、そちらではいかがされた?」「その男、持ち逃げの罪で、追跡中の身なり。取り押さえ願いたし。無理に立ち去るならば、成敗のほどを・・」


第115条 いか程あしき者共とも其身の立身するにおゐてハ外聞よき様にして隙可出侍ハ互事なれハ能仕立可遣以来のたりに成事及度々

いかほど悪いものでも立身したときには、外聞を良くして気の緩みが出るものである。侍は互いのことであるからほどほどに付き合うべきである。あとあと頼りになることがあるものだ。

山猫紳士へのご忠告。昔の山猫友達ともほどほど付き合うこと。「消費者ローン大手」「マスコミ各社」・・適用範囲は広い。
ところで、この逆に没落貴族同士のキズのなめあいも有用なのだろうか?たぶん無要なのだろう。

第116条 侍は後生心有へきなり必仏になり度との事にあらす心のやハらぎのため成へし

侍は、後生のことを祈るべきである。必ず仏になりたいということではない。心の安らぎのためだ。

高虎は宗教家ではない(キリスト教に反対していた)ので、深く考えることはないかもしれないが、この条文は、重要なインナーサインのように思える。仏を信じなくてもいいから、心の平安のために祈ること。現世主義者なのか来世主義者なのか。断定は禁物だ。


第117条 侍ハ大小によらす我のなき人ハなたの首のおれたるかことし但我を立るとて愚痴なる人理もなき事に我を立る是本意にあらす正道にて我を立る人可為本意

侍は、位によらず我のない人は、ナタの首が折れたようなものだ。但し、我を立てるといっても、愚痴っぽい人が、理もないことに我を立てるのは本意ではない。正道で我を立てるのが本意である。

この条は、比較的有名だ。自我のないものは首の折れたナタと断言。しかし、くだらないことに我を張るのは愚の骨頂で正道で我を立てるべきといっている。実際には「愚の骨頂」を「正道」と思って、頭を振り回すことが多い。国会ではよくみられる。


第118条 人の隠密にせよといふ事他言有べからす尤主人のひそかに御意の趣ゆめゆめもらすへからす深く可慎

人が隠密にせよ、ということは他言してはならない。まして主人が密かに御意のことはゆめゆめ漏らしてはいけない。深く慎むべきだ。

殿の秘め事、奥方には他言無用のこと。奥方の殿への秘め事も同様のこと。


第119条 人の言事を早合点すべからす殊に人の咄の先折へからす

人の言うことを早合点してはならない。ことに人の話を折ってはいけない。

高虎が渡り歩いて最後の主君は徳川家康。家康の話は理解するのに難儀をしたのだろう。含蓄、文脈、言葉の間、話が終わったかと思って、返事をすると、まだ話は終わってなく続きの講釈があったりしたのだろう。狸・狐と付き合う鉄則。相手の話が終わったかどうかは、「ファイナルアンサー?」と確認すればいい。


第120条 物さハがしき時可乗馬ハ両の耳へよき程にして布の切レ水にても湯にてもひたししほり両耳に押入可乗馬不驚もの也

物騒がしい時、乗る馬には両方の耳へ、適当な程度にして水か湯かでも浸して絞ってから押し込み、乗馬すべきである。馬が驚かない。

馬の耳に念仏ではなく、馬の耳に濡れ布巾か、耳に押し込む時に馬が驚きそうなものだが。

つづく



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1 コメント

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2011-05-24 18:48:04
人の仲裁事わび言に関わってはならない。のこの章だけコピーさせてもらった。NHKの番組を見て、この家訓が一番印象深かったので。
前々から藤堂高虎という人物は面白い武将だなと思った。地元では君主を幾人も換えたので、余りよく思われていないようだが、私は家系を存続させる為には、仕方ないことだと思う。いまの経営者も見習うところ大だろう。メンツやプライドなんかに拘っていたら、会社は倒産する羽目になる。この人の家訓は現在でも参考になることが多い。しかしながらもうインターネットは止めなければならないので、この家訓も全部読めなかった。残念!!
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