藤堂高虎家訓20箇条(13)

2006-06-24 00:00:20 | 藤堂高虎家訓200箇条

高虎は大男だったそうだ(185センチ)。それにしてはたいへんに気が細かい。もっとも家康だってそういう性格だったような気もする。高虎は豪族の出で、勝ち馬に乗り継いで大大名になったのだが、家康は元々大名なのだが、人質になったりして人間を裏から眺めるのに長けているのだろう。キツネとタヌキというところなのだろうか。やはり時代に登場するのが15年遅かったのだろう。

ところで、上野城の新天守閣一階に高虎の姿を描いた資料が複数展示されている。おそるべき「ぶおとこ」である。サッカー日本代表元監督ジーコの下頬を膨らませたような人相である。NHK大河ドラマに採用しようとしても、起用する役者が絶対にみつからないだろう。


第121条 大事の聞書ハ文字ふとく可書年寄て重宝なり若キ内ハ細字にても読なれ共年よりてハ不見故詮なき事なり

大事な聞き書きは文字を太く書くべし。年をとってから重宝する。若いうちは細い字でも読めるが、年をとると見えなくなる。どうしようもないことだ。

何というべきか・・家訓に書くまでもないとは思うが。年をとるとどうしようもない事はいくつかあるのだが、その他のことは書かなくてもいいのだろうか。それともそのうち登場するのだろうか。

第122条 若き内ハ諸芸何にても習ふへし捨ハ可安盗人の仕様をならへハぬすまれぬ用心の為に成へし

若いうちは色々な芸を習うべきだ。捨てるのは簡単である。盗人のやりかたを習えば、盗まれない用心のためになる。

高虎さん、例が悪いのではないだろうか。それとも盗人修業もしていたのかな。得意の城造りを例にした方が高尚となったような気がする。事実、城攻めの達人だから城造りの達人になったわけだ。


第123条 諸芸習ふとも一旦にすべからす自然に不絶すへし一度ハ仕覚へし必芸珍敷思ひ一たんに習ふ共捨る事可早いつも不絶すれバ上手に成もとひ可成

諸芸を習うにしても一時にするべきではない。自然にして、やめないようにすべきである。一度は習って覚えるべし。必ず、芸を珍しく思い、一時に習うと捨てるのも早い。いつも絶えないようにするのが上手になる基である。

こどもの教育では悩んだのかもしれない。月曜はサッカー、火曜は英会話、水曜はピアノで木曜はそろばん、金曜には剣道にいって、土曜は将棋教室とか・・
老人用通所介護(デイケア)のメニューもそんなものだ。


第124条 物事急成ハ後悔多しねれたる思安に尤の事後悔有へからす

物事を急ぐのは後悔が多い。練れた思案に後悔があることはない。

「練れたる思案」というのが、いい感じの表現だ。最初、「ぬれた思案」だと誤って読み下していたのだが、「濡れた思案」というのは陰湿感を表現するのにはいいかもしれない。


第125条 人をだます事なかれ真の時無承引仮初のされ事成とも大事の節も筈にあふ間敷也是深く可慎

人はだましてはいけない。真実のときに承諾が得られない。仮初のざれ事であっても大事な時に役に立たない。深く慎むべし。

いわゆる狼少年のことだ。しょっちゅう警報を発する火災報知機のような話か。選挙の公約はいくら嘘をついても、もともと信じられていない。


第126条 惣両人をあなどるへからす一寸の虫にも五分の魂有といふいかやうの知者をもしらすふかくを取事多し第一人を大小によらす見下すへからす

人をあなどってはならない。一寸の虫にも五分の魂があるという。どんな知者であるかわからないので不覚をとることがある。第一には人を大小によって見下すべきでない。

明智光秀のことだろう。大小とは体の大きさではなく、位や身分の上下を指す。


第127条 徳意斗を好むもあしく損する道も可有むさと損を好むハうつけ成へし徳する道あらハ徳にましたる事あらしさあれハとてしハき斗にて世は不立損すへき道にて損をいとふへからす折品によるへし

得なものばかりを好んでも損をすることもある。わけもなく損を好むのは馬鹿者である。得する運があれば、得になる方をすべきだ。そうはいってもけちばかりでは世の中はなりたたない。損する道で損をいとってはならない。その時による。

投資家心得だ。あるいは、設備投資をするときの心構え。ただし、「その時による」というのでは無責任な言い方かもしれない。


第128条 常に身不省を堪忍すへしされ共物によるへし一篇に心得てもあしかるへし

常に、身の不省をがまんすべきだ。されども、物にもよる。そればかり心得てもよくないだろう。

たまには、財布をはたいて、吉原で置屋一棟総揚げでもしたらいい、ということだろうか。たまにならいいのだろう。


第129条 人よりの異見ハ悦て可聞よく思ハねば不可言我か人に異見を言心さし可成かまハさる人にハ異見言へからすさあれハ深く敬ひ用る事可為本意異見不用ハ二度いふへからさるものなり

人の意見は、喜んで聞くべし。よく思わないなら言うべからず。自分が人に意見する気持ちである。構わない人には意見を言うべきではない。とはいっても意見を深くうやまい用いることは本意である。意見を用いない時は、二度言うものではない。

意見を聞いて、怒るようではだめだ。逆に、意見を言っても聞いてもらえないようなら、何度もいうことはない。無駄だ!。主人を変えろ!ということだろう。そう思って、この家訓も読むべし!か・・・


第130条 人に物を言共繰返し繰返しくとくといふへからす聞にくきものなり

人に物を言うのに繰返し繰返しくどくど言わないこと。聞き苦しいものである。

くどくどいうのも聞き苦しいし、くどくど言われるのも聞き苦しい。公務員削減みたいな話だ。

つづく



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