藤堂高虎家訓200箇条(19)

2006-08-19 00:00:29 | 藤堂高虎家訓200箇条

家訓200箇条もようやく190条まできた。先日、「家訓でブログの手抜きをしているのか」と言われてしまったのだが、そういうことはない。かなりの労力が必要なのだが、書かない人にはわからないと思う。結構調べることは多い。原文をテキスト化するのもちょっと苦労がある。考えてみれば、ブログを書くというのは書き手の嗜みなのだが、さらにその小箱行為の中に藤堂家家訓という二重の小箱を作っていたわけだ。


第181条 切合ふへきと思ふ時躰(ママ)巻すへからす但くさり手拭ならハむすひめをかけ結ひにかたくむすぶへし


斬り合う時、体巻きするべからず。ただし鎖手ぬぐいならば、結び目をかけ結びに固く結ぶべきだ。


体巻きというのは、晒などを肌に巻いてから着物を斬ることと思われる。つまり戦場ではなく江戸時代の話であろう。鎖手ぬぐいというのは、実物を伊賀上野の忍者屋敷で見たが、西洋の鎧のように耐刃製と柔軟性を備えたものである。現代では、デートの時に同伴女性にケプラー繊維のバッグなど見せびらかせ、暴漢に襲われた時に戦うふりをしている男もいるが、当然ながらバッグも女性も見捨てて逃げ出す算段なのである。



第182条 大小共に柄さめ塗たるに徳多し旅立とも越中かけすべからす


大小ともに柄(つか)をさめ塗りすると得が多い。旅立ちの時も越中がけしてはいけない。


柄(つか)には、皮巻きと、糸巻きと大別されるが、鮫塗りというのは鮫の皮をうるしで塗ったものらしい。得が多いという理由は、糸巻きでは血が染込んだ時に手入れしにくく、獣皮巻きだと血糊で手が滑りやすいということである。鮫皮は、その中間ということだろう。越中といえば、ふんどしで有名だが、要するに木綿のさらしが名産であったわけで、旅行中に柄にさらしを掛けたりしてはいけないということかもしれない。(本当はよくわからない)



第183条 鮫鞘好むへからす


鮫鞘を好んではいけない。


刀の柄とは異なって、鮫皮巻きの鞘(さや)はいけない、と言う。理由は書かれていない。なんとなくだが、鮫の柄に色合いがよく合うからといってデザイン本位の選択などしてはいけない。あくまでも実用本位で考えるべき、ということかもしれない。



第184条 闇の夜に追かけ者打留る其儘声高に名乗へし人に早く聞する為又同士討の用心成へし


闇夜に追いかける者を討ちとめたら、そのまま大声で名乗るべし。人に早く聞かせるため、また同士討ちの用心のためである。


要するに、集団で行動する場合、誰を仕留めたかということを即座に全員に知らせなければ、仕事が終わったかどうかわからないということだ。そして、何となくだが同士討ちの話が再三登場するところを見ると、高虎は味方を斬ったことがあるのだろうと推測できる。その場合は、知らんぷりしてしまうのだろう。



第185条 闇の夜に追かけ者入組伏たる時卒尓に切へからす上下を能聞中取して突へし此心持肝要なり


闇夜に追いかける者を組み伏せたときには、直ちに斬ってはいけない。上下をよく確かめ、中取りにして突くべきだ。この心持が肝要である。


この条も真意はよくわからない。直ちに斬ってはいけないのは、同士討ちの可能性があるからなのか、斬るのではなく突いて殺せと技術論を言っているのかなのかどちらかだろう。中取りというのは、プロレスのフルネルソンのような、首をとって中腰で絞めるわざのような語感がある。左手で首を抱え、右手で凶器を喉に・・



第186条 急なる追かけ者の近道あり両方ハがけにて細道なり此時三尺手拭我か首にかけ下りたる両端を両手に取引はり其はり合にて足早に行ハ心易く通らるる物なり一つ橋も同前自然三尺手拭無之時ハ刀の下緒にても縄ぎれにても同事なり


急な追いかけ者で近道があって両方が崖で細道な時には三尺手ぬぐいを自分の首にかけ、下がった両端を両手に取り、引っ張り、その張り合いで早足で走れば通りやすいものだ。一本橋も同様である。三尺手ぬぐいがない時は、刀の下緒でも縄切れでも同じことである。


三尺というのは90センチ。首にかけて両側に垂らすと40センチくらいだろうか。結構高い位置だ。さらに腰にはぶらぶら揺れる鉄製の錘が二本である。武士として最も難易度の高い技は、一本橋を走り抜けることであろう。現代の投資家で最も難易度が高い技は、インサイダー取引株を気付かれないように売り抜けること、刑務所の塀の上を時価総額経営と粉飾決算を両天秤にして逃げ回ることだろう。



第187条 昼夜共に我門を出る時又余所より帰る時も下人を我より先へ出すへし家来も不断心得へし


昼夜ともに、家の門を出る時、または他所から帰る時も、自分より身分の低い者を帰すべきだ。家来もふだんから心得るべきだ。


もし中小企業で、社長が、いつも会社で最後に帰宅することになりはじめたら・・そう、あなたは疑われている。
むしろ、不意の襲撃を受ける時の身代わりということも考えられる。



第188条 人前にて家人に言葉あらく申へからす下々ハ何の弁なくむさと仕たる返答する物なり手により堪忍成かたき事のみ多し


人前で家人に言葉あらく言ってはいけない。下々の者は何の弁解もできず、いいかげんな返答をするものである。事によっては我慢できないことにもなる。


家来の話だけではない。飼い犬の悪口を言ったりすると、夜中に忍び寄ってきて、喉を噛み切られたりする。また、社内に隠し事の多い会社は、当局やマスコミにタレこまれないようにいつも社員を褒め称え続けなければならない。



第189条 人の指料の刀脇指見るとも切ハよき歟と不可尋ぶし付ケ成へし又我刀脇指見する共切の事此方よりいふへからす


人の指料の刀脇差を見て、切れるかなどと尋ねてはいけない。ぶしつけである。また自分の刀脇差を見せる時も、切れ具合をこっちから言ってはいけない。


考えれば、刀の切れ味には、「刀の質」「手入れ」「使い手の腕前」という要素があるだろう。ちょっとしたコトバのやりとりが、意味の行き違いになると、「どっちが切れるか試してみるしかないだろう」ということになる。現代では、「どちらのクルマが早く走れるか」とか「どちらのミサイルが強力か」とかなのだろうが、チキンレースになりやすい。「どちらの牛肉が安全か」程度の話であればいいのだが。



第190条 ためし物なとの時我指料の大小の内をぬき切へからす手の廻る事も有へし時により若不切時ハ無嗜のやうにて面目なき事成へし可慎


ためし斬りなどの時、自分の大小を使って斬ったりしてはならない。うまく切れないこともある。時として切れなかったりしたら嗜みがないようで面目がないことである。慎むべきである。


斬れなかった理由が、腕前なのか、手入れの悪さなのか、あるいは刀が安いのかとか碌でもない想像をされてしまうわけだ。もっとも金策に困り、大小ともに質流れとなり、竹光で代用している場合は、まったく事情が異なるわけだ。


つづく



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