絶景のはずの米子城が・・

2016-05-23 00:00:07 | The 城
鳥取シリーズは西部に移り、米子市周辺へ。


まず、米子城。鳥取県には、鳥取城と支城としての米子城がある。鳥取城は秀吉による飢え死に作戦にはまり日本史上最悪の落城となったことが有名になり過ぎているが、米子城についても、あまりいいことはない。

何しろ、金欠に泣き続けた城のわけだ。なにしろ天守閣を築き始めたのは吉川広家だが、完成前に関ケ原の合戦になる。実は広家は裏工作で大活躍して毛利家の存続には功績があるが、色々と板挟みになり、岩国城主ということに落ち着く。徳川にも毛利にも恨まれる。

ということで、米子城は城主を失い、豊臣家臣ながら東軍に寝返った中村氏が入城するが、これまたお家騒動とか色々あり、嫡男を得る前に病死し、お取りつぶしとなる。

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その後、加藤家を経て池田家が鳥取城主となり支城という扱いとなったのだが、実は米子城の方が大きいわけだ。しかも眺望は極めて美しい。そして明治維新となり、再び試練が訪れ、米子城はある家臣に数千円で払い下げられるも、維持困難となり、叩き売りとなる。叩き売り直前の古い写真が残っているが、結局、廃材扱いとして風呂屋の燃料となった。

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当時の城の残存物で唯一の物は、「はしご」。なぜ、はしごだけが残ったのかは不明だ。たきぎにするには、はしごの方が簡単な気がするが、おそらく、簡単にとりはずしして残せるものが一本のはしごだけだったのだろう。

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という財政的な不幸がつきまとう城だが、城の入口に到着したのは、夕方である。城まで車で行けるかと思ったが、地上から見上げた山の上に石垣が見えるが、どうも歩いて登るらしく、断念。翌朝のお仕事とする。

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一夜明け、最初に城攻めから始めるが、やはり駐車場は平地にあり、山道を歩く。たぶん、鳥取城のように「熊・猪・蜂」の三点セットだろう。散歩の人達から離れないように警戒しながら登るが、10年後には無理かもしれない。

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そして石垣を登り切ると眺望が開け、四方が望める。海と湖、山と人間の作った街。境港もかすんで見える。

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しかし、あまり絶景ではないわけだ。かなり黄色く霞んでいるが、これは鳥取砂丘のせいじゃない。前日の鳥取東部でもそうだが、空が黄色いのは、中国大陸からのプレゼントである「黄砂」の影響。気管支炎には悪影響だ。眼も痛い。

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そして、どうも米子城に天守閣を復元しようという計画があることを確認する。

前述の古写真が決め手になったのだろう。権威付けにはリアリティが必要で、架空の城では付加価値がない。たった一枚の写真で、その観光価値が高くなるのだ。しかし、財政的には不幸の連続の城なので、うまくいくことを願いたい。建設途中で、建設反対派の市長が当選して工事の長期塩漬けになったりして・・

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山を下り、境港に向かう。


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