高岡城は本丸橋から攻めるべし

2023-12-05 00:00:28 | The 城
新湊方面から万葉線で高岡駅に向かい、途中の「急患センター前」で降りる。そこから高岡城址(高岡古城公園)へ行く。通常はの観光客は高岡駅から高岡大仏へ行き、その足を延ばして高岡城へ行くか、行かずに土蔵造りの町並みや、踝を翻して瑞龍寺へ向かう。



高岡城へ裏口(本丸橋)から入ろうというのは例外だろう。大仏側から入る道は整備されているが、水堀にかかった橋から入ると、待ち構えているのは山道で坂道。いくさで城攻めするような道だ。雨まじりの天気で足場はびしょびしょで濡れた落ち葉で足をすべらさないように歩く。ぬれ落ち葉とは初老の人を侮辱的に指す言葉でも使われるが、すべると老人扱いだ。



そして、木立を抜けると本丸などがあった広場があらわれる。



この城も不思議な運命がある。築城者は前田利長。前田利家の正妻まつの子である。利家の人柄から言われないのだろうが利家は大変強力なDNAを持っていたようで、徳川家斉には劣るものの40~50人の子供をつくった。ただ、なぜか女子が多かったり早世したものも多い。利長は利家の後を継ぎ、百万石の加賀・越中を基盤とし、家督を異母弟の利常に譲り、金沢城を出て高岡に居を移すため隠居城を作ったと言われる。



ところが、徳川幕府は一国一城を大名に強制したので、高岡城は一部未完成のままになった。さらに城割を担当したのは加賀藩に身を寄せていた高山右近だが、彼もキリシタンの運命に身を任せ、フィリピンに国外脱出してしまう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿