富山地鉄と富山城址

2023-12-18 00:00:56 | The 城
富山市内の交通に大きく寄与しているのが「地鉄」。今回の富山市内の観光でも地鉄フリー乗車券を購入して使い倒した。

ところが地鉄といえば、中国では地下鉄のこと。先日、都内で中国からの観光客に道を聞かれたときも、都内の地鉄路線図で案内した(というか、案内できなかった)。



富山の地鉄は富山地方鉄道株式会社といって、鉄道、市電、バス(含空港バス)ははを運行している。今回、鉄道は使わなかったが、市内電車とバスは6回乗車した。多くの都市が市電の塗装を全面広告に使っているは、残念ながら、収益向上になるからだろう。看板が動くわけだから効果は絶大だろう。その中でも有名なのが、県警が広告を出していて、いわゆる『パト電車』と呼ばれている。



といっても、パトカーではなく、スピード違反車を追いかけたり、銀行強盗の容疑者の護送に使ったりはしない。最近では無実の人でもパトカーに押し込んで、1日がかりで自供に追い込もうとした警察があるようだが。普通の人はパトカーには近づかない。市民を威圧しているような感もあるのだが、来たのに乗らないのも怪しいので乗車した。


ということで、富山城のこと。

富山城前史は、佐々成政が中心になる。盟友の徳川家康とともに豊臣秀吉を南北挟撃しようと企むが、老狸の家康は応じない。しかも冬の間に命がけで雪の立山を超えて家康に面会に行って帰ってみると、愛妾の小百合が美少年と不倫をしていたと讒言を耳にする。短気な成政は信じ込み、二人を惨殺してしまう。9か月後に秀吉軍に包囲され成政は頭を剃って出家するも、数年後に自刃したが、その後も富山城には亡霊がでているようだ。

現在の模擬天守閣は犬山城に模して昭和29年に建てられている。



富山城後史。富山は一般に越中の国と言われる。となりの石川県は加賀の国と能登の国。富山藩は金沢の前田家から分離して富山城に居を構えたのだが、当初、城のある場所は、加賀の国の中だった。それはまずいので、城のある場所(つまり富山市街)周辺などを越中藩にすると同時に、同じぐらいの越中の土地を加賀と交換したそうだ。つまり換地。

ところが、越中がもらった土地は加賀に渡した土地よりも生産性が低い(地味が悪い)ということになり、それが石川県より貧乏な原因と、「富山側」は言っているようだ。ある意味、親会社と子会社という関係と同じか。その生産性の低さから全国での売薬業を創意したということになっている。

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