イオン歴史館、臨時に開館

2018-05-27 00:00:17 | 美術館・博物館・工芸品
イオンの株主総会が幕張メッセで開かれ、イオンの株やリートを持っていたり、イオン銀行に少額預金があることから参加してみた。幕張は小学生低学年の頃住んでいたのだが、当時の海岸よりも先に、イオン本社やイオンモール、さらに渋谷幕張校がある。当時は海苔の養殖をしていたり、潮干狩りの場所だった。

さて、総会の方は、かなり残念というか、深掘りの少ない事業説明であったし、質疑時間の大半は企業活動の本質からはずれたものだった。となりのイオンモールへの交通不便の解消問題とか。

基本的に株主総会ではなく、株主向け会社説明会のようなものを頻繁にしてもらいたいと願うところだ。

ところで、総会出席者の特典として、メッセから徒歩10分ほどにあるイオン本社(イオンタワー)の2階にある『イオン歴史館』の見学の特典がついている。さっそく向かう。

パネルや展示品は、かなり立派にできていて、どうしていつも公開しないで、こういう時や社員研修会のような時にだけ公開しているのか、よくわからない。また撮影禁止というのもよくわからない。歴史のねつ造とかしているのだろうか(冗)。

ではイオンの元の元の元の・・・創業についてだが、四日市の岡田惣左衛門という人が篠原屋という呉服店を1750年代に開いたのが最初という。その後、岡田家は明治中期に称号を岡田屋と名乗る。(江戸時代に篠原屋と名乗った理由は掲載されていないが、私の江戸時代知識では、店の新規出店は認可制度だった。篠原屋という屋号を買ったのではないだろうか。)

その後、地方スーパー三者が合併し1969年にはジャスコとなる。その後、合併を繰り返し今のイオンがあるのだが、最初に吸収したのは扇屋という千葉のデパートとスーパー。その後は周辺事業の拡張を行っていたのだがニチイ(マイカル)と合併。さらにダイエーをも飲み込む巨大小売業となる。


振り返ると、岡田家だが、急成長したのは7代目当主である岡田卓也氏とその姉である小嶋千鶴子氏(両氏ともご存命)の力が大きいようだ。卓也氏は大正14年生まれで、終戦時は陸軍に徴兵され、本土決戦のため茨城県鹿島市(現在)の海岸を守備していた。(注:米軍上陸地としては、九十九里海岸か鹿島灘ではないかと思われていた。鹿島は東京からそう離れていないのに交通辺鄙でスパイが近づきにくいとして秘密研究も行われていた)。


現在の当主(イオングループ統帥)は8代目の岡田元也氏であり、旧民主党党首だった岡田克也氏は元也氏の弟である。歴史館の写真を見ていると、克也氏は父親の七代目の卓也とそっくりの風貌である。卓也氏もその姉の千鶴子氏も長命一族であることを考えれば、もう一度総理大臣を狙ってもいいのではないだろうかと思うが、たぶんチャンスを待っているのだろう。


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