熊野本宮大社へ

2020-11-04 00:00:34 | たび
まず、紀伊半島のこと。半島といってもかなり大きいし、能登半島とか房総半島とか三浦半島のように先が尖っているわけでもない。半島らしくないわけだ。その南部だが、山岳地帯に森林である。秘境である。にもかかわらず熊野本宮をはじめ熊野那智大社、熊野速玉大社とあって、総称して熊野三山という。もちろん山深い場所にある本宮が中心だ。



紀伊半島には、北部の東側に伊勢神宮、北部の西側に高野山があってこの二つは神仏はっきりしているが熊野はもともと神仏が混じっていた。江戸の町だって寺も多いし神社も多い。戦国武将だって、戦いの前には神社に祈願するが、終わった後は寺院で念仏を上げる。生きていればだが。



そういう関係で、東国方面からは伊勢→熊野と両参りする人もいたし、京阪神の方は高野山から熊野に行く。京都の公家や皇族(上皇や法皇)は歩くのが不得意で、海路で田辺とか勝浦にきてから歩き出す。



そういう関係で、道が何本もある。ところが吉野、高野山方面からは1000メートルをはるかに超える山道で、難行苦行である。普通の人は海岸沿いの陸路や海路で田辺や勝浦にきてから山を登り始める。その道が中辺路(なかへち)。



観光客は、その全長の百分の一以下の距離だけ歩いて古道制覇した気になる。マラソンで言えば最後の50mだけ歩いてみるといった感じだ。それでも超厳しい。雨混じりの天候の中、足元を確認しながら進む。途中で三軒茶屋という場所に出たが、世田谷線に乗れるわけではない。高野山と紀三井寺の分かれ道だそうだ。地名から言って茶屋があったのだろう。

世田谷区の三軒茶屋は今もY字型の分かれ道になっていて、それぞれ3軒の茶屋があって、茶と団子を口にして再び歩き始める。休んでいるうちに道を間違える人も多かったそうだが、熊野の三間茶屋で道を間違えたら大変だ。なにしろ、崖の下には既に大鳥居が見えている。





そして、ついに本宮大社に到着するが、特にメインイベントがあるわけじゃない。八咫烏の郵便ポストを眺めて、本州最南端の串本のホテルに向かう。



ところで、この辺で書いて置くが、この紀伊、熊野方面での歴史的スーパースターという人物がいる。紀三井寺でも熊野でも名前を残しているが、歴史的には「かわいそうな天皇」ランキングで上位数番に入る花山天皇である。彼は16歳で天皇になったが藤原氏のお家騒動のとばっちりで18歳の時に、寺に送られて、髪の毛を切られてしまい、上皇に引退するはめになった。陰謀である。歴史上では年若い自分よりもさらに若い妻を寵愛していたが、17歳でなくなってしまい。嘆き悲しんでいるうちに、藤原一門にはめられたわけだ。

もう御所には入れなくなり、人生を悲観するはずが、上皇になってからは神仏の研究をはじめ熊野詣を繰り返している。どこかで法力を得たそうだ。

もう一つ花山天皇(上皇)が有名なのは、好色家だったこと。特に歴史書にまで記録されているのは、上皇の世話をする女性とその娘と母娘ともに関係して、どちらにも子供を産ませている。専門用語でいうと「親子丼を食う」ということになる。法力すごしということだ。南無。