ゴールドメダリストの遺骨?

2016-08-07 00:00:34 | スポーツ
アテネで見つかった古代ギリシア人80人の遺骨は、何を語るのだろう。これだから歴史の長い国は魅力的だ。

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発見された状況がいかにも猟奇的だ。仰向けに寝かされたまま両手を上にあげ、その手を鎖でつながれたままの形で発掘されている。一体、何があったのだろう。少なくても全員がほぼ同時に死んだのだろう。日本でも四十七士の切腹という時代があったが、アテネの遺骨は紀元前632年に起きたキュロンの反乱でクーデターが失敗した時の反乱側の首謀者たちではないかと考えられているようだ。

アテネといえば民主主義とか直接投票とかが有名だが、それらはキュロンの乱の150年ぐらい後に僭主制度が行き詰まり、平民が貴族から政権を移譲された後のこと。この時代は僭主と呼ばれる専制的な君主が統治していた。キュロンはその僭主を追い出して一時的に政権を奪取したのだが、民衆が離反していったわけだ。日本で言えば木曽義仲のようなもの。

そして既成の貴族連合によって攻撃され、アテネの神殿に逃げ込むが、神聖とされる神殿でも容赦なく包囲されて捕まり、処刑されたともいわれる。あるいは、キュロンだけは逃げたが逃げ遅れた貴族が捕まったという説もある。捕まえた貴族は、神に対する罪として追放された。

あるいは、キュロン一人は窮地を逃れたとしても、人質となった友人たちを助けたいなら、戻ってくるように言われたのかもしれない。走れメロス流。しかし、結局80人は処刑されたのか。殺してから腕を鎖でつなぐとは思えないから、鎖でつながれたまま殺されたのだろう。先日の相模原の凄惨な事件のように、無抵抗にしてから頸動脈を斬ったのか、あるいはそのまま放置して餓死させたのか。

ところで、反乱者のキュロンだが、元はスポーツ選手だったようで、古代オリンピックに出場し、金メダルを二種目で獲得したようだ。

当時の競技種目は、基本的には5種類で、スタディオン走(約200m走)、やり投げ、砲丸投げ、走り幅跳び、レスリング。逃げ足が速かったとすれば、金メダルは200m走と走り幅跳びかな。走れキュロン。金メダルを取ったから人生が前向きになり、クーデターもうまくいくと思ったのだろうか。もっとも、彼の反乱がなければギリシアに起源をもつ民主主義が生まれることもなかったかもしれない。もちろん、大統領選挙や都知事選挙も行われないわけだ。