選択的夫婦別姓裁判のこと

2016-01-04 00:00:46 | 市民A
夫婦が同一姓となることの違憲性の裁判が最高裁で行われ、「違憲とまではいえない」ということになった。もっとも、判事によって判断がわかれたということで、主に女性判事が違憲と判断していたようだ。実際に、女性は結婚によってほとんどの場合、男性姓を名乗ることが多く、離婚した時に、「さあどうしようかな」というのが一般的じゃないだろうか。

実際に海外では多くの国が、違憲裁判により選択的夫婦別姓となっているのだが、それは、かなり前(20年前前後)に決まっていたようで、今頃の裁判になったのが、かなり判決に影響したのではないだろうか。

それと原告団の団長のTさんの主張というのが、裁判的にはかなり論理的じゃなかったこともあるような気がする。

そもそも個人の姓名だが、姓でも名でも、どちらも自分で決めることはできないわけだ。五郎丸歩がいやだといっても丸山五郎に変えることはできない。自分で自由に決められないものにアイデンティティとかあるのだろうか。

自由に変えられない姓を変えるためには、結婚か養子か記憶喪失者のふりをして、新しい名前をもらうかということになるが、養子というのは結婚よりも自由度が低いし、記憶喪失のふりをするとたぶん経済的に大損害を被るだろう。

といって、「自分の苗字には愛着があって、自分の存在の一部なのだから、失われてはいけない」という主張は自由なのだが、現在の日本社会では、「通称」とか「芸名」とか、「仕事姓」とか大ぴらに流通しているわけだ。「トミー」なんて使っている知人もいる。

それに、選択性夫婦別姓の「選択」ということは、自分だけで決められるのか、パートナーの同意がいるのかという問題もあるし、

最大の問題は、夫婦の間に生まれたこどもの姓をどうやって決めるのか、ということになる。鈴木一郎さんと佐藤花子さんの間に生まれたこどもの姓は鈴木なのか、佐藤なのか。両親の意見が合わないと決まらないわけだ。

また、小さい方の与党の顔を立てて報道されないが、一般的には墓などの問題もあるわけだ。個人の墓は要らないという信仰の方は別とし、墓には「○○家」と書かれていることの方が多い。少子化時代で女子だけの家にとっては重大な問題のわけだ。それこそ娘の夫が二男だったりすると、なんとかならないかと思うらしく、それに成功した友人がいる。

娘の姓を取り戻したわけだ。といっても、簡単にはできないわけで、一回、離婚し実家の旧姓に戻し、その後、例の日数後に元通り結婚し、その時は夫の姓が変わったようだ。

つまり、姓を変えることを少しは認めるようにしてもいいのではないかと思う。一方で国際化が進み、外国人が日本人の名前を選ぶ時には自由度が高いのだし、旧被差別地域出身を感じさせる姓の人たちの悩みもあるだろうし、親と姓が異なるこどももいるだろうし。

そういう意味で、判決の中にあるように、裁判所の問題というより、行政で考える問題なのだろう。

ともかく、裁判では、原告が「自分の姓で死にたい」なんか言わない方がよかったと思う。


ちなみにドイツのメルケル首相だが、メルケルというのは最初の夫の姓で、離婚した後もメルケルを名乗っていて、再婚した夫とは夫婦別姓にしているという複雑なことをしている。名前なんかどうでもいいと思っているのだろう。

あと、近隣の二つの漢字国家だが、法とは別に伝統的に夫婦別姓だが、女性は家の召使という発想からだから勘違いしないこと。