将棋ペン倶楽部通信46号に書かれているエッセイ「岡目八目について」。筆者は水野さんと言われ、京都のR大学将棋研究会の元顧問。退職後は将棋クラブで楽しむ団塊世代ということだそうだ。
このエッセイは論理的に複雑になっていて、
1.「岡目八目」という格言は、対局者より観客の方が客観的であることを意味する。
2.しかし、プロの世界では、対局者の方が読みが深いので、この格言はあたらない。
3.しかし、プロでも人間なので、熱くなることがあるので、扇子や色紙に「静観」とか「明鏡止水」とか「無心」とか書いて自らの戒めにする。
4.ところが、羽生名人の場合は、勝負に勝つ戒めとしてそういうことばを書くのではなく、よく「玲瓏(れいろう)」と書くのは、王と玉とが静かに向かい合う世界をイメージしたことばで、勝つか負けるかというような邪念を捨て、将棋道を究めようということなのだろう。
という論理展開になっている。
少し、羽生名人を持ち上げ過ぎではないかと思わなくもない。2015年度の勝率は、いつもより少し低く年末段階で6割5分。どう考えるべきなのだろうか。終わりの始まり??
さて、12月27日出題作の解答。
![z12](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c6/64bf70e61c40d602ecc07d51a7413c59.jpg)
![0109k](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/cc/b830b5d433ef0c86f5888aae3ff8dcdc.jpg)
とにかく長い。考える場所は1ヶ所だけかもしれない。年末なので1で始まり、長い1年を、めでたい二枚馬で終わる。午年だったらもっとよかったが。
動く将棋盤は、こちら。
今週の問題。
![0109m](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d1/0dd62759f437ce24e3d1abbb7c24518e.jpg)
今まで無仕掛図はなかったはず。初めて作ったので驚くような手はない。試作品で失礼といったところかも。
わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。
このエッセイは論理的に複雑になっていて、
1.「岡目八目」という格言は、対局者より観客の方が客観的であることを意味する。
2.しかし、プロの世界では、対局者の方が読みが深いので、この格言はあたらない。
3.しかし、プロでも人間なので、熱くなることがあるので、扇子や色紙に「静観」とか「明鏡止水」とか「無心」とか書いて自らの戒めにする。
4.ところが、羽生名人の場合は、勝負に勝つ戒めとしてそういうことばを書くのではなく、よく「玲瓏(れいろう)」と書くのは、王と玉とが静かに向かい合う世界をイメージしたことばで、勝つか負けるかというような邪念を捨て、将棋道を究めようということなのだろう。
という論理展開になっている。
少し、羽生名人を持ち上げ過ぎではないかと思わなくもない。2015年度の勝率は、いつもより少し低く年末段階で6割5分。どう考えるべきなのだろうか。終わりの始まり??
さて、12月27日出題作の解答。
![z12](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/c6/64bf70e61c40d602ecc07d51a7413c59.jpg)
![0109k](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/cc/b830b5d433ef0c86f5888aae3ff8dcdc.jpg)
とにかく長い。考える場所は1ヶ所だけかもしれない。年末なので1で始まり、長い1年を、めでたい二枚馬で終わる。午年だったらもっとよかったが。
動く将棋盤は、こちら。
今週の問題。
![0109m](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/d1/0dd62759f437ce24e3d1abbb7c24518e.jpg)
今まで無仕掛図はなかったはず。初めて作ったので驚くような手はない。試作品で失礼といったところかも。
わかったと思われた方は、コメント欄に最終手と総手数と酷評を記していただければ、正誤判断。