ひょっこり富士山

2016-01-07 00:00:32 | 市民A
東京や神奈川では晴れた冬の日、特に風の強い日に富士山を望めるのはよくある話なのだが、正月に羽田空港第一ターミナル(JAL)で、搭乗時刻を待っていると、乗るべき機体のずっとずっと向こうに富士山の輪郭が見えた。あわてて撮影すると、つられて大勢が写し始めたので、気まずくなって、数分間、姿を隠すことになった。

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遠景にANA機と国際線ターミナル。そして富士山だ。

富士山の美しさはその斜面カーブの自然さと、左右対称の輪郭だろう。また冬は白く、夏は黒いという季節感も感じる。

そして、昨年、おおた家の過去帳を調べたところ、9代目にあたる私の初代にあたる方の生年が1707年ということがわかったのだが、まさにその年の年末に富士山の最後の大爆発が起きている。宝永山という富士のこどものような山が東南側斜面にできて、そこから大噴火を続けた。ちょうど南東側の羽田方向から見ると、ニキビのように突き出した宝永山はちょうど正面から見えるわけで、江戸から見ると、山の中腹から煙が噴出すように見えたのだろう。逆に、東京から遠目に見ると宝永山が見えずに左右対称型に見えるわけだ。あの富士山の斜面の形は、溶岩の粘度が大きからず小さからずという微妙なバランスの結果なのだが、それにしても火山生成時には、とんでもない地下のエネルギーが地上に出現したわけだ。

宝永爆発の時は、東京湾での直下型地震や、東南海が動く宝永大地震などが発生し、そのあと富士山が爆発した。そして、色々あって、遊び人の徳川綱吉が文化を奨励したことで隆盛になった元禄文化が富士山爆発と期を一にして、終わる。2年後に綱吉が亡くなる。

後に、浮世絵の世界では広重がよく画面の中に「ひょっこり富士」を描いている。北斎は自ら富士山周辺地をめぐり、富岳三十六景を作っている。

まあ、ご先祖様も関東にいたわけでもないし、生まれた時の火山の爆発を見たわけではないだろうが、代わりに私が見届けてやろう、と思っているだけだが。

そして夕焼けの富士を見ることなく、本機に乗り、しばらくすると、富士山の真上を通過することになった。