ホーム・ドアの悲劇

2012-12-27 00:00:49 | 市民A
最近、鉄道会社が利益の一部を投資家に還元する前にホーム・ドアの設置に投資している。もちろん、ホーム・ドアを設置することにより各種人身事故を減少させ、結果としてダイヤ通りの正確な運行が可能になり、鉄道会社の企業価値を高めることになる、ということなのだろう。

で、本題の前に、「ホーム・ドア」というコトバでは、「自宅のドア」ということになる。正確には、プラットフォームのドアなので、せめて「フォーム・ドア」と言うべきところだが、今や手遅れだろう。

まず、手頃な場所にある地下鉄有楽町線で確認すると、ドアの高さは1メートル30センチ位だ。実際に、固い決意で、飛び込もうと思っている人には、ドアを乗り越えることはなんなくできそうだが、その高さは何らかの心的ハザードになるのだろうか。というか、この高さをなんなく飛び越えられるような人は健康人だから、そもそも十分に飛び込み防止効果があるということなのだろうか。

刑務所の塀をこの高さに設定した場合、健康状態や老若男女の差なく、5分後には全囚人がいなくなることは間違いないだろう。


事例1.さて、先日、地下鉄に2駅乗車することがあったのだが、最初の駅で、ホーム・ドアの位置を50センチ行き過ぎて停車したことがあった。ズレると大変まずいことがあるのが、ホーム・ドアの欠点である。どうするのかと思っていたら、「よいしょっ」という感じで動いて50センチ修正に成功。所要時間1分。

ところが、次の駅で、また50センチ行き過ぎてしまった。そこでまた、「よいしょっ」。連続で成功。また1分のロス。そこで降りてしまったのだが、その後、どうなったのだろうか。不明。

事例2.朝のラッシュの時間帯に、ドアの隙間から物を下に落とした男性がいて、駅員に拾ってもらおうと頼んでいるのだが、「4分間隔で電車が入ってくるので、最終電車が終了してから取りに来て下さい」。と、すげなく言われていた。

近付いてみたのだが、何を落としたのか、会話から聴き取ることはできなかったが、片足が靴下であった。