笹子トンネル天井崩落事故

2012-12-12 00:00:50 | 市民A
落ちたコンクリート板のこと

笹子トンネルの天井板の崩落は、直接原因はトンネルの上部から天井板を吊り下げるボルトの天井埋め込み部分に使われた接着剤と天井のコンクリートの間の接着力が失われ、ちょうどマッチ棒の頭のようにボルトに接着剤の塊が付いたまま抜け落ちたようだとされている。

そうなると、当初言われていたボルト側の問題ではなく、コンクリ側の問題ではないかということが、言われ始めている。打音検査すべきはボルトではなく天井のコンクリートだったということかもしれない。

そこで言われ始めたのが、このトンネルの竣工した時期。1975年ということは高度成長期の最後のあたりで、あちこちで公共投資が行われていた。一方で、資材不足が深刻になってきて、コンクリートの質の劣化が激しくなってきた。具体的には、セメントを節約した結果のシャブコンとか、海砂の使用とかである。以前、完成後、施主が受け取り拒否した欠陥ガソリンスタンドを視察したことがあるが、表面が見事な砂漠状で、風とともに果てしなく白い粉が舞い上がる始末だった。

今回の事故で疑われているのが海砂。塩分を含んでいるので鉄筋の骨を酸化させ、その骨材が膨張することによって、コンクリートにひびが入るということになる。こうなると、一体だれの責任ということになったり、同様の建築物は無数にあるということになる。

だから、「公共投資が必要」とか「事業仕訳で・・」といった論議に直結させるのでは、まったく頭が悪いというしかない。

さらに、もっと簡単なところから言えば、天井に1枚1トンのコンクリートの板を敷き詰めていたわけだが、コンクリートの密度よりも軽い素材を使っていれば天井の埋め込みボルトへの負荷も小さいし、仮に落下しても下敷きになる衝撃も異なるはず。たとえば軽量気泡コンクリートという素材なら、密度2.4のコンクリートに対し、最軽量なら0.6にまで落とすことができる。プラスティックでも軽いと思われる。さらに、連鎖反応にように落下したメカニズムも不明だが、まあ本質的には1枚でも落ちてはいけないもののような気がする。


奇跡的に助かった女性のこと

なぜ、つぶれたワゴン車から脱出できたのか、今のところまったくわからないとのこと。眠っていて、気が付いたら車外にいたということは、後部の席でシートベルトをはずしていて、さらに何かのはずみ(爆発的にガソリンに引火した瞬間に隙間ができたとか)に無意識に逃げたのかといったところだろう。

思えば人類が登場してから数百万年経っているのだけど、そのかなり初期の頃には山火事とか猛獣に取り囲まれるとか、隣の集落との大戦争とか、そういうことで種の滅亡寸前のようなことがたくさんあって、この女性銀行員のように奇跡的に生還した人がいて、種が滅亡しないですんだのだろうと、思ったりする。もちろん、これからも核戦争の一つ二つは起きるだろうし、未知の病気でほとんどの人類が滅亡したり、巨大隕石が落下したりするのだろうけど、でも奇跡的に助かる人っているのだろうね。

スバル・インプレッサ

脱出したNHKドライバーの乗っていたのがスバル・インプレッサ。水平対向エンジンということで、重心位置が車体の中心に近いので、取り回しが素早いのが特徴だが、乗り慣れていないとハンドルに振り回されることになるという評判。

かなり、この車に長期間(20年近く?)乗り続けていて、車の挙動を把握していたということも大きいのかな。もちろんコンクリ塊が助手席に落ちてきただけで運転席に落ちてきたらダメだったのだけど。それと、この車の性能を出し切ったということは、日頃から公道ラリーで腕を磨いていたのだろうが、不問。

スバルに乗って生き残った話を聞いて思い出したのは、マイ父親のこと。終戦間近、大学生だった。理工系の学生の応召には一定の猶予があったのだが、敗色深まる昭和20年には、もはや特別扱いを設ける余地はなかったのだが、最後の方法として、大学卒業後、中島飛行機への就職内定を取り付ける。

中島飛行機こそスバル(冨士重工)の前身であり、陸軍の戦闘機である「隼」などを生産していた。その内定の結果、入隊することなく、結局、終戦。もちろん終戦後は終戦前の約束はすべて反故になり、マイ父親は、飛行機や自動車とは関係ない方向へと、時代とともに漂流していったわけだ。

ということで、スバルがなければ、私はいなかったかもしれないし、この駄文の最後の行まで付き合うという難行を読者に強いることもなかったのかもしれない。スバルでも買おうかと思いついてみたのだが、3台目を買うほどの余裕なし。