四十七士の処分と異なるのは、荻生徂徠と輿石東の差か

2012-07-05 00:00:25 | 市民A
新幹線で1時間位のところを往復する仕事があって、中途半端な時間を、目を閉じて瞑想タイムにあてていたのだが、小沢一派に対する民主党の処分というのは、綱吉が行った四十七士(一人は討ち入りに参加しなかったので四十六士)に対する切腹処分みたいなものか、ということ。

四十七士にしたって、元々はバカ殿のご乱行によって処分されたのだから動機が正しいとは言い切れない。幕府に対して抗議するならともかく被害者の吉良を襲うというのだから、現代の裁判制度をあてはめて考えれば、とんでもない暴挙である。

一方、現代の謀反劇だが、よく主張を考えていると、小沢グループ(というか独裁者)の言い方は、「マニフェストと違う」ということと「やるべき順序が違う」ということだが、マニフェストの有効性というのは、どれくらいなのかということの認識がそれぞれ違うのだろう。やるべき順序といっても、もともと鳩山=小沢連合で政権を取った後の時間、やるべきことはほとんどできなかったというか、日米関係、日中関係をこじれさせ、日ロ関係、日朝関係は何もやらなかったし、マニフェストといってもガソリン税を期間限定で引き下げたのと金額減少で中途半端になったこども手当位で、今頃「順序」もないかな、とか思うわけだ。

要するに、党が自分の意のままにならなくなったから、意のままになる人たちを連れだして、また政権抗争を作り直そうということなのだろう。

まあ、政治は「理念」なのか、「リアリズム」なのか、ということなのかもしれない。

それで、四十六士は、全員が切腹を命じられて、即実行ということになったのだが、判決が出る前に約1ヶ月間、あーだこーだと幕府は検討を重ねていた。処分慎重論と激辛派がいたようだ。しかも世論は幕府の考えている激辛処分には否定的な雰囲気だったそうだ。にも拘わらず、全員切腹という、かなり辛口の処分に落ち着いたのは、お抱え学者の荻生徂徠の意見であったとされる。まあ、ルールを守るという筋を貫いたといえばそれまでだが、結局江戸幕府はその後160年も続いたわけだ。

それに比べて今回の民主党の処分は、なんとも馬鹿馬鹿しいというか、新党に加わる人は除名(参院議員はおとがめなし)。法案反対したものの離党しない者は党員資格2ヶ月停止(鳩ポだけは6ヶ月停止)、棄権したものは厳重注意、ということだそうだ。なんと柔軟な処分だろうか。

元教育者たる幹事長輿石東の能力の限界はこういうものなのだろう。もっとも江戸幕府は簡単に滅びるわけには行かなかったので厳しい処分が必要だったが、民主党は自壊してしまうのだろう。

処分を具体的に考えると、痛い目にあったのは鳩ポだけではないだろうか。もっとも、一時は引退すると言っていたのに出てきて、その後の行動を見ると、「何やってんだろう」ということだ。


ところで、四十七士の時代(1700年頃)の将軍は綱吉。綱吉といえば、お犬さまと言われるように生類憐みの令は日本中の国民を苦しめていた。よく調べると、四十七士の時も、生類憐みの令は有効であった。たぶん当時の国民の幕府に対する意識は、かなりよくなかったのだろうと想像できるのである。