江戸開城のあじ

2012-07-13 00:00:13 | あじ
田町駅の近くに、西郷・勝会談の記念碑が建っている。官軍による江戸突入予定日の前日、西郷の待つ薩摩藩蔵屋敷を勝海舟が訪れ、なんとか江戸の街、そして江戸城の焼失を食い止めたとされる。

以前より、勝がどうやって、その両軍の対峙する場所に辿りついたか?という疑問があり、私なりには、勝海舟は運河を使って一旦海上へ出てから、海路、薩摩蔵屋敷を訪れたのだろうと思っている。蔵屋敷の裏は岸壁になっていて薩摩藩のプライベートバースだった。そこに全国の物産を運び込み、江戸市内で金儲けを行っていた。

tokyosiba


そして、それと同じ仮説を読むことになった。東京港醸造という造り酒屋のHPでだ。

この東京港醸造だが元は薩摩藩御用達の酒屋だったそうだ。若松屋という屋号だった。例の薩摩屋敷焼討の際は、屋敷から大量のお宝類がこの酒屋の蔵に運ばれたようだ。ちょうど海陸の接点の場所が、この酒屋の場所とのことだ。

そして、その後、この若松屋は、よき後継ぎを得ることなく長く休業を続けていた。そして100年が経ち、数年前に若松屋は復活し、東京港醸造となり、はえある2種の酒を発売を始めた。

「江」と「江戸開城」。

kaijo


実は、若松屋に行き、この酒を試飲してみた。この近くで宴会を行うことになっていて、そこへの持ち込み用にしたいと思っていた。懐に余裕のある人は、何らかの持ち込みを行うことになっているわけだ。

ところが・・・

「江戸開城」は、どぶろくだったわけだ。

強烈な味だ。


今夜の宴会に集まる紳士淑女の好みに合っているとは、とうてい思えなかった。本当に幕末の殺気立った志士たちの味である。

手ぶらで宴会に行くことになり、貧乏人グループの方に入れられた。