今年のサマーミューザ。安近短?

2008-08-08 00:00:07 | 音楽(クラシック音楽他)
7月末から、8月にかけて、川崎駅前のミューザで川崎名物サマーミューザが開かれている。ここのところ毎年、聴きに言っている。現代的なオーヴァル型のホールである。革新市政が長く続いた川崎市らしく、どこの席に座っても、あまり大きな貧富の差を感じないようになっている。本来は2階席か3階席の正面が最も音響の良い席だそうだが、そうなるとステージが遠くなり見えにくくなる。トシをとると、視力も衰え、耳も遠くなるし、結局ステージの近くの高額な席に座るしかなく、細くなる年金がさらに心細くなるはずだ。



そして、3階席正面の席に座る。

ところで、今回のサマーミューザだが、異常に「ラフマニノフ」が多い。最終週は、3回もラフマニノフである。そのうち1日は3曲ともラフマニノフ尽くし。昨年は、ベートーベンはじめ、やたら正統派ばかりが並んだのだが、今年は、逆。ラヴェルやプーランク、バルトーク、・・・。いろいろと参加交響楽団の都合があるのだろうが、激しく偏るものだ。あるいは、昨年は入りが悪かったのだろうか。

さらに、今年は早々とチケットが売れていた。別の日を狙っていたのだが、予約とれず。当日券でいいや、と思っていたが、あわてて予約した。

なぜ、今年、満員になったか。いくつか理由を考えてみた。

1.昨年の不入りの反動

2.ラフマニノフのファンが急増

3.原油高で、レジャーの「安近短」化

おそらく、「安近短」ではないだろうか。家族連れが多いように見えた。



そして、登場したのが、日本フィル。沼尻竜典指揮。演目の一は「ラフマニノフ・ピアノ協奏曲第3番」。ピアニストは若林顕さん。

指揮者が嫌がるベスト5に入る曲だそうだ。

そして、最近まで、ラフマニノフが専門家からの評価が低かった理由は、作曲法に新しさがないということだそうだ。しかし、今となったら、別に、時代順に新しい技法を編み出さなくたっていいじゃないか、もう古い話なのだから、ということらしい。

次に、演奏家(ピアニスト)から嫌われていた理由は、弾くのが難しいということ。彼は、非常に手が大きく、親指でドのキーを押したまま、次の次のソまで小指が届いたそうだ。そして、譜面が細かく、かつ長い、譜面を開くと真っ黒でウンザリするそうだ。つまり、四分音符、八分音符ではあきたらず、16分音符、32分音符、さらには64分音符まで使う。一曲弾くのに多数のキーを叩かなければならない。そして、協奏曲なのにピアニストが休む場所が少なく、弾き続けたあげく、最後は右手と左手を指を4本ずつくらい駆使して、キーを叩きまくらなければならない。



時節柄、オリンピックの陸上競技に喩えれば、マラソンコースにハードルが無数に並べられていて、しかも、最後はフルスピードでスパートしなければならない。本来のロマンティシズムが弾き手の熱情でどこかに行ってしまいがちだ。

そして、指揮者が嫌うのは、そうしてピアニストが必死の形相で自分の世界に入って演奏を続けるものに、合わせて演奏するということになるからだ。しかも64分音符でだ。結局、ピアニストの体調任せになり、事前の計画通りに行かず、指揮棒を振り回しても思い通りにいかず、バラバラに崩壊する危険に直面したりする。

この前観た、映画「ラフマニノフ」では、交響曲第一番がアル中の指揮者のせいで空中崩壊して、酷評を浴びた結果、彼が数年間のノイローゼを患う、というエピソードがあった(そのお陰で、なんとも悩ましいピアノ協奏曲2番、3番という名曲が生まれた)が、何しろ、ラフマニノフは難しいようだ。



しかし、若林顕さんのピアノは、快調にジャンジャンジャンと景気よく鳴り続ける。予定外の陽気なラフマニノフに、とまどいながらもオケが追いすがり、息絶える少し前に一件落着する。

なかなかうまくいかないものだ。



次の演目が、ストラヴィンスキーの「ぺトルーシュカ」。ペトルーシュカはロシアのピノキオ。人形だが、生きている。そして感情を持っている。元々はバレエ音楽。数々の名曲を生んだロシア・バレエ団(バレエ・リュス)。ディアギレフが率いて、1909年から欧州を席巻していた。後で調べると、この「ペトルーシュカ」は、1911年6月13日、パリ・シャトレ座で初演。あのニジンスキーが出演している。
1911年の初演版と1947年米国で書き換えた版があるそうで、ミューザでは1911年版を使う。47年版は、もっと小振りに仕立てられているそうだ。当時のストラヴィンスキーは生活がかかっていて、大構成だと演奏してもらえないので、楽器の数や楽団員の数を少なくして、演奏される機会を増やそうとしたそうだ。

個人的には、ストラヴィンスキーのバレエ三部作の残りニ作、「火の鳥」と「春の祭典」のようなセンセーショナルさがないのが、好きになれないところだが、きわめてバレエ音楽的に絵画的な演奏は、指揮者沼尻竜典氏の鼓舞奮闘により次々に場面を変え、進んでいき、時節柄ふさわしくないが、刃物で人形の首が切り落とされ、亡霊として再登場するという「暗黒の深淵」で、突然のように時間が止まる。

突然、終わるのは、もちろん楽譜通りであり、既に終演予定時間を30分過ぎていたからではないのだ。